「筑波海軍航空隊ここにありき」の碑。
場所はこの辺↓
筑波海軍航空隊の司令部の建物は、現在の県立こころの医療センター(地図左上)の敷地内にあります。
その取り壊しが取りざたされる中、何とか残そうと、1993年、「筑波海軍航空隊友の会」が立あげられました。
中心になったのは、映画「筑波海軍航空隊」(本日公開!)の中でも証言をされていた、木名瀬信也さん(故人)。
しかし、周囲からは、「遅すぎた」との声が少なからずあったと言います。
すでに土地は県の管理下に置かれていたのです。
少なくとも、ここに筑波海軍航空隊がここにあった、そのことを後世に伝えるため、敷地内に
石碑を建てることを県に要請しますが、認められません。
そこでやむなく、少なくとも推移を見守れる場所として、現在の場所に建てられました。
石碑付近より、「筑波海軍航空隊記念館」方面を望む。
周りにはコスモスや
ヒガンバナが静かに揺れていました。
現在、司令部の建物は、「筑波海軍航空隊記念館」(市民による自主運営)として公開されており、関係者各位のご努力により、公開期間を今年度いっぱいまで延長するという成果を勝ち取っています。
そして、ついに本日、映画「筑波海軍航空隊」公開!
亡くなった皆さん、今日まで努力を重ねてきた皆さんの今日に思いを馳せます。
場所はこの辺↓
筑波海軍航空隊の司令部の建物は、現在の県立こころの医療センター(地図左上)の敷地内にあります。
その取り壊しが取りざたされる中、何とか残そうと、1993年、「筑波海軍航空隊友の会」が立あげられました。
中心になったのは、映画「筑波海軍航空隊」(本日公開!)の中でも証言をされていた、木名瀬信也さん(故人)。
しかし、周囲からは、「遅すぎた」との声が少なからずあったと言います。
すでに土地は県の管理下に置かれていたのです。
少なくとも、ここに筑波海軍航空隊がここにあった、そのことを後世に伝えるため、敷地内に
石碑を建てることを県に要請しますが、認められません。
そこでやむなく、少なくとも推移を見守れる場所として、現在の場所に建てられました。
石碑付近より、「筑波海軍航空隊記念館」方面を望む。
周りにはコスモスや
ヒガンバナが静かに揺れていました。
現在、司令部の建物は、「筑波海軍航空隊記念館」(市民による自主運営)として公開されており、関係者各位のご努力により、公開期間を今年度いっぱいまで延長するという成果を勝ち取っています。
そして、ついに本日、映画「筑波海軍航空隊」公開!
亡くなった皆さん、今日まで努力を重ねてきた皆さんの今日に思いを馳せます。
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