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ちまちました人にならないために 2

2022-06-15 21:05:22 | ひとりごと
大学1回生

平成元年4月 国立O大学薬学部製薬化学科入学

2年間にわたる浪人生活の末にやっと大学の門に辿り着けた。

志望学部は物理系から化学系になったが納得の上。

希望に燃えて入学。

なにか運動でも始めようと、構内をうろうろ。体重が三桁に迫っていた。

テニスとかがええかな、、などと思ってたのに、声をかけられたのが、柔道、ボート、アメフト

体重がネックなんだろう。

各部の勧誘において評価されていたのはその点だけだったと思う。

脂肪体にはハードかな、とは思ったものの、当時の関西の花形スポーツだったため、アメフト部に入った。

4回生RBのDさんになぜか目をかけてもらって嬉しかったかな。

この当時は一部入りを本気で狙ってて、特に4回生は個性のある方が多かった。

元来人と競争状態になるのは苦手だったので、もっと気楽な部に入ったほうがよかったかも。

しかし、入ったからには、頑張ろうと。

勉学に、運動に、、と張り切っていた。

入学して1月ほどは何事もなく楽しく過ごせた。

しかし、ほどなくしてなぜか微熱とちょっとしんどいのが続く状態になってしまう。

気苦労というか、無理してないつもりであってもここまでかなりのプレッシャーがあったため、心身に無理がきてたかも。

体育以外は、ほとんど出席できない状態。

その体育も見学とさせてもらった。

出席しないと単位もらえないから。

他の科目は休んたのは、あとで復活したときにちゃんと勉強したかったから。

7月ころには、完全に体調戻る。

とはいえ、体力低下は著しく。

体重は激減。

夏場ころからは普通に大学に通う。

講義は終わっているので、部活動に精を出すことにした。

この辺りから、原チャリ乗り出した。

豊中、吹田は坂道が多く、自転車やとかなりしんどい。

必要に迫られてのものだったが、この原チャリ乗りから二輪の楽しさを覚えた。

二輪との出会いはこんなところか。

元気は出てきたものの、体力低下はどうもしようがない。

また、講義を休んでいたのは非常に痛く、、結構な数の単位を落としてしまう。

人文科学系、社会科学系は、頭に入ってなくても座ってればなんとかこなせるので、なんとかごまかせた。

自然科学と語学はそうはいかない。

復調はしたが、元来のええ加減な性格のため、部活動はなんの悪気もなく休んだりした。

体育会系のゆえ、そんなの許されないところではあるが、さぼることも多く。

電話で同じくラインのZにえらくえらそうに怒られたな。

むかついたので、その後はちゃんと参加することにした。

夏場を迎える前に、そのZのほうがあっさり辞めてしまったが、、。

他人に対してえらそうなことは言うもんじゃないな、というのが年下のZから頂いた教訓

なんとか部活も元気にできるようになってきた。

当時のチームはなかなかいいチームやったと思う。

盆の時期の神鍋の合宿にもなんとかついて行けた。

2部で優勝を狙うチーム

秋のリーグ戦に入っても勝ち続ける。

体大には負けてしまう。

一部から落ちた直後の年だったので、さすがに強く。

しかし、その体大もなぜか岡大には負けていた。

我がチームはその岡大には勝ったので、リーグ戦上3者が並ぶことになった。

プレイオフの初戦 体大に勝つ。

直接的な力にはなれなかったがうれしかった。

次の岡大にも僅差で勝つ

来季は1部入りもあるのかな、と思ってたが、結局、中京という東海リーグの覇者に敗退。

4回生のみなさん、残念だった。

大の大人が大声を上げて泣いている。

次の年もラインに最上級生が揃っているので、期待の年のようだが、どうなるんだろう。

リーグ戦が終わった後の冬場は、遅れを取った単位取得に励む。

自然科学が酷いことになった。

数学・物理の素養というものが、吹っ飛んでしまったな。

大学に入っての痛手はこの点だろう。

自分で勉強して、、いうのもあるけど、自力でできる範囲というものもある。

自然科学の分野では、それだけ大学に入ってからのレベルに差がある。

といった1年。

部活以外の記憶はほぼない。

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