おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

術前の私の病理&転移の可能性&胸の痛み

2017年04月17日 17時50分40秒 | 乳がん
今日も不穏な記事です。

とっても落ち込んでいます。不安が苦手な方は、立ち去ってくださいね。








かきますね。



今日、電子カルテを外来担当医と診ていて、初めて私の正しい病理を知った。

今まで、主治医から口頭で言われた知識しかなく

HER2(3+)ホルモンはほぼ陰性という情報しかなかった。

正しい病理は

ER(2)※3以上が陽性扱いだそう。
ギリギリ陰性なのね。今日の担当医は「僕だったらホルモン療法はしない」と言いました。

PgR(マイナス)
HER2(3+)

12月3日の時点で1.3cm。
1月25日の治療開始時点で1.5cm。膨張と石灰化が進む。
★これは、私が採卵のためにすぐに治療を始めなかったから。採卵に2か月近く要したのは
病院の不妊クリニックが年末年始にかかり、培養室の閉まる予定と、さらに私の生理の予定もあり、さらにさらに、1回の採卵で3つしか取れなかったので2回チャレンジ(2回目0個)したためであります。その間、排卵誘発剤を使用しました。★主治医の了解を得て。さらに乳癌患者が排卵誘発剤を使用する際は、リスクを下げるお薬をのみました。

その後1月25日にAC療法を行う。2回で中止(効果なし)この間に、悪化し腫瘍マーカーが倍増しております。

本日担当のH先生は「腫瘍マーカーは目安でしかないから、そんなに気にすることはない」「腫瘍も縮小してるみたいだし」

とのこと。


【不眠について】
デカドロンがステロイドだから、不眠になりうる。飲む時間を早めるのもいいと思う。
あんまり癌のことばかり考えると疲れちゃうよ。と

※でもね、今しか考える時間がないっていうか・・・今決めることがいっぱいっていうか。
何かしてないと、落ちつかないっていうか・・・なのよ(;_:)

【脳転移の可能性を示唆されたことについて】
H先生、びっくりする。

H先生驚かせてごめんよぉ。研修医時代の担当事務だったのにぃ。

でも、多臓器に転移なく、いきなり脳転移をした人、先生の受け持ち患者さんでもいるとのこと。
しかし、可能性は低く、緊急度を主治医が感じてないからMRIはすぐ取る予定にしてないんだと思うよ。緊急性高いなら、速効撮影するから。って教えてくれた。

物忘れが激しいこと、化学療法がACが効いてないこと、不安がたくさんあると伝える。

そして脳転移してたら、原発の(右胸の)手術はしないとのこと。する意味があまりないとのこと(;_:)

化学療法が効かなかった人というのは、ACとかドセとか全部含めて5%。半分以上に縮小がみられたという人が95%。(完全奏功含む)

【完全奏功しなかったらどうなっちゃうの?】
H先生:癌細胞が残ったらってこと?現時点でエビデンスのある治療法が確立されていないよねぇ。
   
私:経過を見続けるしかないの?

H先生:そうだねぇ。

先生の口から、事実を言葉にされると、すごく怖い。


【告知前から続く、胸の痛み。今も続くしこりの痛み】

数年前から、右胸の脇の近く(脇ではない。あくまでバスト部分)が痛い。告知前なんてナイフでサクッと刺す痛みがあった。今もある。センチネルの術後の痛みではないと思う。
しこりも、今も痛い。

そこで、今日ついにH先生に「胸みてもいい?」※なんかイヤラシイ書き方ですが、当然そういう意味ではありません。と聞かれ、

ついに、見せてしまったよ(;_:)好きでもない人に(向こうは何とも思っちゃいないだろうけど)

H先生「あぁやっぱり、肋間神経痛かセンチネルの術後の痛みが影響してるんだよ。」「この大きさの癌で痛いなんてことはない!」と断言。

でも、でも、内心ではその言葉に安心できていない私。
専門書?上ではそうかもしれないけど、痛みって身体のSOSだし
何となく、気になるサインなんだよね。

H先生「僕は経過を診てきた先生と違うから、絶対こうとは言えないけど、それは主治医の先生にしか判断できないことだけど、毎回触診してるんだよね?それで縮小してるって記載もあるし、他の病院では最終回にしか触診も何もしない、経過みないで結果を出すところもあるんだよ」

私「知ってます・・・。私がけっこううるさいから、経過をマメに診てもらってます。途中で悪化もしたし・・」

H先生「確かに悪化したら気になるよね」


・・・今日もいっぱい外来時間を使ってしまいました。
その後、図書館で乳癌の勉強をして。再建のこととか、不安になって、外来での先生のお話、忘れた部分もある。。。


H先生におっぱいみられたこととかも地味にショックだし(;_:)
別にだからどうってわけではないけど、お互いの若いころを知ってる相手におっぱい見せるのってシュール。








再建は言ったもの勝ち

2017年04月17日 17時21分54秒 | 再建
今日は、ジーラスタ注射の日。主治医以外の外来です。

うちの病院は、形成外科と連携して
全摘出後の再建が可能なのですが

そのため、私も再建希望であることは、主治医に伝えてきたつもりでしたが

そういえば、まだ形成外科に受診したことがない。

しかも前回の受診で、ショックなことがあり、再建のこといい忘れてしまった。

正直、再建はしたいけど
まだシリコンか自家か決めかねている。
向き合うのをためらっているのも正直なところ。

でも、エキスパンダーは手術と同時に入れたほうが、皮膚の伸びがよく、よりよい状態になることも事実。

そこへ、今日の担当医より
「再建って言ったもん勝ちだから!」

つまり、術前化学療法を選択した人は、自動的に手術日が予定されていて
その日に形成の先生の都合が合わなければ

一次再建は無理ということらしい。。

知らなかった。

化学療法の結果をみて術式(私は全摘出と初めから決まっているので、筋肉まで摘出か、皮下を残せるのかとかそういうこと?放射線をかけるのかとか・・・)を決めるのかと思っていたので、そこで形成の先生が登場するのかと思いこんでいた。

再建希望を伝えてたつもりだった。

どうしよう。

同時再建したいもん。どうしよう。

手術をそのために延期するのは賢明ではない。

ジーラスタ接種してもらうときに、看護師さんに泣きついて
主治医に私の希望を伝えてもらう(今日明日と不在なので)ことにした。

間に合うのかな

でもこんな大事なこと、どうしてどうしてどうして伝えてくれなかったんだろう。

再建までが治療なんだよ、今は。


あえて、母との小競り合い

2017年04月16日 21時22分15秒 | 日記
さっき、すこし母とケンカしました。

そろそろ、。言わなきゃと思ってることを言った。

母も疲れていらいらしているのは、伝わってきますが

子供のまま、自分の感情のまま母親になってしまった私の母のおかげで
長い間の我慢、自分らしさの制御・・・大人になってしまった子供の自分がずっといたのですね。そういうものを開放しなきゃと思っていたので、言ってしまった。

予想通りの展開です。

今日は食事抜きかな。まぁいいや。
母が散らかし放題にし、わたしが片付けようとしては、もめごとの原因になってきた台所に入りたくないのです。

今は、とてもそんな余裕がありません。

独りで頑張ってるわけではなくサポートしてもらってるのですが

病気になったとき「ここから出て行って」「どっかいって」と言われたことに集約されてきた私の抑圧も認めて、怒りとして放出しなければ

今の状況耐えられないと思ってました。
さっきもウォーキングの途中で、やはりこれは開放しなければ、とおもってしたことですが

後味は悪いです。仕方ない。

母が理解してないことも承知ですから。

私の病気や私のことより、かなしいかなずっと自分が大事なのです。

それが、この年になってもすこし悲しい時もあるのですよね。

そういえば受診前の夢で・・・

2017年04月16日 16時46分36秒 | 日記
ほんとうに、さっき思い出したのだけど

昨日のMRIが決まった外来受診の前日にみた夢が

脳手術を受けた夢だった。(+o+)

手術を受けてる自分をもう一人の自分が診ている夢。
もちろん夢だから、リアルじゃないんだけど。

それもあって、ケモブレインかもって先生に申告するように導かれたのかしら?

昨日、眠れないこともあって
最悪想定をもしてみた。

最悪、最悪の結果があったら

人生の責任をおろすことができるんだなぁ。などと思っている自分。
最期の時は、わたしは
やっぱり彼にそばにいてほしいなぁ。
最期くらい。うそでもいいから。

愛してくれる家族より、自分が愛したものにそばにいてほしい。なんて
恩を何で返してくれるものなのか、と言われると思うが
今の私は、そういう気持であった。

もちろんサイバーナイフやガンマナイフや、できることはするつもり
(お金の続く限り。だけど)
でも、長く続く苦痛とは戦いたくない。

等と書いてるけれど

まだまだ私は、そんなつもりはない!
生きて治して、元に戻るのです。

ただ、なんで今回そういう想定をしてみたかというと

もう私の人生から「癌」という事実は離れることはなく
癌を経験したというのが私の人生の、もうひとつの代名詞にもなるのだから

しっかり、余裕のあるときに、私はどういう風に生ききりたいのか
どういう風に生きた証を残したいと考えるのか

それを考えてみようと思ったんだ。

でも、案外できることなんてあまりなくて

事前に癌と伝えている、ごく少数の人たちに経過を伝えること。
部屋を片付けること、各種友人の連絡先をまとめること
洋服を捨てたり本を捨てたり、家族に迷惑かけないようにしておくこと(断捨離ですね)
それくらいしか、思いつかなかった。

一回くらい独り暮らししておきたかったなぁ。
青春が私にはなかったなぁ。青春らしいこと、してみたかったなぁとか

それくらいしかなかった。

おおむね。私の人生が穏やかで幸せであった証拠に違いないのだ。
それだけは、はっきりした気がする。