華氏119を見てきました。
この映画を通してですから一面的でしょうが、アメリカの政治の酷さに愕然としました。
どことなく、アメリカは、自由の国、民主主義の国と思っていましたので、人々をないがしろにした政治が行われるなんて、ありえないと思っていたからです。
ところが、これは、幻想でした。確かに、黒人に参政権を認めた「公民権法」が成立したのが1964年ですし、その後もさまざまなごたごたが続いていたのですから、内実は、いろいろなのでしょう。
実際、私がアメリカに出張した折の休日に、海岸に行ったら、有色人種が入れる海岸は、限られていました(私も有色人種です)。
今回の映画で特に酷いと感じたのが、フリント(ミシガン州)の汚染水問題です。
ネット検索すると、自動車産業などが国際競争力に負けて、州の財政が悪化したのが原因とのことで、日本のせいなのかもしれませんが。それでも、公害で水質の悪い川から飲料水を取水するようにするとは信じられません。
トランプが憧れたという共和党のミシガン州知事が映画では、悪者として叩かれていますが、彼やトランプだけではないのです。皆が期待していた(黒人出身の大統領)オバマですら、人々の気持ちに寄り添っていなかったのです。
汚染水の上に建てられ、それを問題と指摘しながらも、豊洲市場をオープンにした小池知事を思い出してしまいました。
政治って、何なんだろう!と思ってしまいます。
しかし、こうした酷さに諦め、投票に行かないと、もっと酷いことが起きかねないのが政治です。
一方で、こうしたことに怒り、政治を自分事として捉え、マイノリティや女性が立候補するという「民主主義」のパワーも感じました。
為政者が恐怖と分断を創りだして人々を煽るのは、昔から常套手段です。移民が敵だ、黒人が敵だ、輸出国が敵だ・・・白人の貧乏人を取り込む作戦でしょう。でも本当は、白人の金持ちたちのための政治です。
敵と言われている人達と白人の貧乏人が一緒になって、どうしたらより良い暮らしになるかの対案を出さないと、勝利は、トランプになってしまいます。
本当は、金持ち対貧乏人(底辺で働く人達)という構図の筈です。しかし、民主党(クリントン)も金持ちの方を向いている・・だから白けて(自分達の代表ではないと)投票しない。
この貧乏人たち(数は多いはず)に向いた施策を打ち出す政治家が出てこないと、次もトランプになってしまう。
前に記した、マイノリティや女性議員が全部を巻き込めるビジョンを打ち出せるかどうかだ。
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