まちおもい帖2

日ごろ感じていることを書き記します。

「都市農業のゆくえ」を掲載しました。

2017-12-08 14:06:44 | 日記

『ひばりタイムス』に富沢このみのまちおもい帖第16回として「都市農業のゆくえ」を掲載しました

前回の「緑の喪失に歯止めはかけられるか」では、後半に都市農業について総論的なことを取り上げた。今回は、実際に西東京市で農家の方々がどんな思いで営農されているのかを伺ってみた。

1.新倉大次郎さん(ハーブ)

2.貫井正彦さん(保谷梨、ぶどう)

3. 松本 渉さん(中玉トマト)

4.安田 加奈子さん(多品種の野菜を露地栽培)

5.都市農業のゆくえ

 西東京市には、平成27(2015)年現在、234の農家があるので、インタビューに応じて下さった4軒の農家さんだけで、西東京市の農業の行方を語ることはできない。しかし、それぞれ工夫を凝らし、一生懸命農業に取り組まれていることや、地元に多様な農家がおられることを垣間見てもらえたのではないだろうか。4人の方々には、個々の家庭の事情まで突っ込んでお話を伺うこととなり、大変恐縮している。

 今回、いろいろなお話を伺うなかで、門外漢である私が知らなかったことや理解不足であったことをいくつか挙げておきたい。

①  私は、農家=農業をしている自営業者(肉屋が肉の小売を業としているのと同じ)といったイメージで理解していた。しかし、誤解を恐れずに言えば、農家は、単に「農業」をしているというより、土地という資産の運用をしていると理解する方が合っているように思える(注10)

 都市の農家は、自分の土地を「農業用の生産緑地地区」に指定するか、それとも「宅地並み課税の掛る土地」にするかを選ぶことが出来る。その上で、生産緑地には、どんな作物を育てるのが良いか、後者の土地をどのように利活用するのが適切かを考えて運営する。いわば、資産運用者としての判断力が求められる。消費者目線で、地元で採れる新鮮な野菜が良いとか、緑が無くなるのは悲しいなどと勝手なことを思いがちだが、農家によっては、農業を本業と考えて頑張るよりも、持てる資産(土地)を有効活用した方が暮らしやすいという判断もありうる。

② 農家の持つ自宅等宅地並み課税の掛る土地の場合、都市では相続税が高額になるため、土地を売らないと支払えない。場合によっては、生産緑地指定を外して畑を売ることになり、規模が減少するため農業だけでは食べていけなくなる。そこで、駐車場やアパートなどの不動産業を営まざるをえず、それがまた次に相続が発生した折に、相続税を高額にすることになるという悪循環が続いてしまう。

③ 私が子供の頃にあった雑木林は、かつて農家が薪や堆肥を作るのに利用していたのだが、現在は、そうした用途に使う必要のない農家が増えてきた。最近では、薪はほとんど使わないし、堆肥については、環境基準をクリアしている必要があり、自前で作っても検査に出さなければならない。それならばと、基準に適合している堆肥を肥料会社から購入するようになった。用途が無くなれば雑木林が売られてしまうのは、致し方ない。

④ 昔は、農家では、長男が後を継げば、兄弟は相応の財産分与で納得したものだが、今日では、平等にということになりがちだ。そうなると、土地を売って財産分与せざるをえない。また、仮に、生産緑地の貸し出しが可能になった場合、遠方にいる農業をやっていない兄弟が分与を求めて不在地主になる可能性もある。生産緑地を借りた人が農業を続けるという面では良いのだが、土地の所有者は、農家ではなくなってしまうおそれもある。農家の場合、地域のつながりが重視されるので、知らない人が土地を借りて農業をすることに拒否反応する可能性もある。

⑤ F1種(一代雑種)というのは、一代限りで、次の年には、またタネ・メーカーから種を購入しなければならないため、農家泣かせではないかと思っていた。ところがそうではなく、「雑種強勢」といって、雑種第1代が大きさ、耐性、収量、多産性などで、両親のいずれをもしのぐ現象は、昔から知られており、F1種の方が、在来種より質が安定し出荷に向いているそうだ。一方、F1種に警告をならす意見もあり(注11)、私には、まだ判断ができない。農家のなかでも、江戸東京野菜など、在来種を見直す動きもある。

⑥ 元自分の畑だったところを手放して、そこに戸建住宅などが建つと、新住民から、「土埃が舞って困る」、「鶏糞が臭う」等々の苦情が寄せられ、農家は、周辺に気を遣って営農せざるをえなくなっているのが現状とのこと。

 

農のある西東京の風景

 

⑦ 都市の農家は、地方に比べ耕作面積が狭いが、狭いからこそ出来ることもある。広い畑では、効率を追求せざるをえず、市場出荷に向け規格を揃えるため、機械化・農薬散布・化学肥料に頼りがちだ。一方、小さい畑では、大きな機械化が望めないからこそ、手間暇かけて、多種多様な作物を耕作することができる。また、直売所など顔の見える関係で販売するので、安全・安心・美味しい作物を提供することになる。

 耕作地面積が小さく、農業だけで食べていけない農家には、後継者はいないだろうから、西東京市の農家数は、今後より減少せざるを得ないだろう。農業自体を頑張る農家を育てていくには、隣人である市民が都市農業への理解を深めることが不可欠だ。安さだけを求めたのでは、地方の農業に敵わない。まちに農業や農地・山林があることについて、「新鮮さ」、「美味しさ」を得られることに感謝し、さらに第15回で記したように、農作業を手伝う、学ぶことによる「楽しさ」や「健康によい」などに価値を見出し、共存の道を探っていくしかない。



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