まちおもい帖2

日ごろ感じていることを書き記します。

住民参加とポピュリズム(頭の整理3)

2017-01-08 19:00:41 | 日記

私は、もっと住民参加を促進したいと願っているのだけれど、イギリスの住民投票やアメリカの大統領選などを目の当たりにすると、今ひとつ分からなくなる。

エリート政治家は、大所高所に立って「ベキ論」でたぶん議論する。でも、目の前で職を失い、現実に食べていけないでいる人たち(「現実型」と呼ぶ)にとって、自分たちの職を奪ったのが「移民」であるとか、「自由貿易」であるとか言われれば、それらを阻止したいと思うのは、人情だ。「ベキ論」の人たちが、長期的にみて自由貿易の方が今貧乏な人にとってもメリットがあることを明確に示さなければ、そして、少しでも明日の暮らしが良くなる兆しが見えなければ、「現実型」の人たちは、納得しないだろう。

選挙に長けた政治家は、「大衆≒『現実型』の不満≒ニーズ」を読み取り、票が得られる発言や政策を打ち出すことになる。それをマスコミが伝えれば、さらに勢いは増すだろう。

選挙に長けた政治家が、ものごとの本質をとらえているかどうかは分からない。しかし、マーケティングというか大衆のニーズ(ウオンツ?)をとらえて、あなた方が本当に欲しいのはこちらでしょ、と見せるのには、長けているのだ。

たとえば、小平市の都道の建設を再考することについても、交通渋滞を無くすとか、災害の折などの避難のしやすさとか、長期的にみれば意味があるのかもしれない。

しかし、今住んでいる人たちは、現在の緑の多い素敵な住空間を失いたくないと思う。

安倍政権が福島のことが無かったかのように、原発を再開させ、さらに、それを海外に売り込む政策を取っていることには、私は反対で、驚きの念を隠せない。

しかし、目の前の景気を少しでも良くしてくれることが良いとする企業やその社員たちにとっては、安倍政権は、なかなか良いことをやってくれているということになる。

住民参加を促進するにあたっては、仮に住民の意見が受け入れられ、その後の世の中(暮らし方)が悪くなったとしても、それは、自分たちがそちらを選んだからなのだと認識するだけの責任感をも同時に持たせることが必要なのだろう。

 

 

 


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