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【マルティンルターと宗教改革】10月31日は「95か条の提題」から500周年 (ドイツ発ニュースダイジェスト)

2017-10-31 01:57:43 | 森友・加計疑惑

 ニュースダイジェスト @newsdigest

 http://www.newsdigest.de/newsde/features/8381-martin-luther-500-jahre-reformation.html

マルティン・ルターと宗教改革 - 「95か条の提題」から500周年

1517年、神聖ローマ帝国。一人の修道士が教会へぶつけた怒りは人々を動かし、時の技術も味方につけてキリスト教に新しい宗派を生んだ。後に連邦制のドイツほか近代国家の成立にも繋がる、対立と和解の物語。500周年を迎える今年、宗教改革の日(10月31日)はドイツ全州で祝日となる。

時代背景
どうして起こったの?

カトリック教会が支配する階級社会

500年前の中世ヨーロッパは、パソコンも携帯電話も、スーパーマーケットもなく、一般の人々の生活は、現代の感覚からは想像もつかないほどに質素だった。公衆衛生や医療も整備されておらず、ペストなどの大流行も人々をパニックに陥れた。地獄や魔女の存在もごく身近に感じられるほど、不確かな世界。当時の階級社会は、トップにローマ・カトリックの教皇が君臨し、各地の王や諸侯たちがそれに続き、農民や商人など一般の人は最下部に属していた。農民らは領主を通して教会に仕え、皇帝の戴冠式がローマ教皇によって行われていたことに象徴されるように、カトリック教会が社会を支配していた。

贖宥状(免罪符)の販売、腐敗する権力

人は死ぬと地獄に行き、燃え盛る炎で焼かれてしまうと信じられていた時代。聖職者は神の代理人とあがめられていたが、教会は人々の罪を救うとして「贖宥状(しょくゆうじょう)(免罪符)」を販売しはじめる。不安や恐怖など、人々の心の隙を利用し、生まれ持った罪や犯した罪を救済する方法はこれを買うことのみと宣伝する聖職者も。不満や批判が高まる中、ローマの聖ピエトロ大聖堂などの建設に巨額のお金を必要とした教会は1515年、神聖ローマ帝国(後のドイツ)でも贖宥状を販売。利権を求める王や諸侯らの下心も相まって、教会の権力を支えるこのシステムは次第に肥大化し、腐敗していった。

教会で語られる言葉を人々は理解できなかった!

驚くべきことに、当時はローマの名の下、礼拝や聖歌など教会で使用される言葉は全てラテン語だった。人々は教会の壁に飾られた絵画やステンドグラス、聖人らの彫刻などを眺め、そこに描かれている聖書の内容を理解しようとするも、礼拝中に何が話されているのかは全く分かっていなかった。

ケルン大聖堂のステンドグラス世界最大のゴシック建築、ケルン大聖堂のステンドグラス

宗教改革の主人公 
ルターは何をしたの?

死の恐怖から修道士へ

アイスレーベンの農家の家系に生まれたルター。農夫から経営者に転身した父ハンスは息子にも学問の道を選ばせた。ルターは父の期待通り当時の大都市エアフルトで教養学を修める。しかし、法律を学び始めた22歳の夏、帰省旅行の道中で雷雨に遭遇。稲妻とともに投げ倒され、死の恐怖を味わったルターは「聖アンナ! 私は修道士になります、お助けください!」と叫ぶ。当時は聖人を通して神に祈ることが普通だったのだ。激怒する父や止める友人らをよそに、ルターはアウグスティヌス修道院の修道士になり、聖書研究に打ち込みはじめた。

すべての人に聖書を

ラテン語だけでなく、ギリシャ語やヘブライ語にまで遡って聖書を読んだルターは、教会や聖人を通さずとも、人は誰でも聖書を読むことで、神に直接祈り、神の慈悲を受けることができると説いた。そのためには聖書をラテン語から民衆の言葉であるドイツ語に訳す必要性を痛感。後に出版したルター訳の聖書はその後近代ドイツ語の統一に影響を与える。また、聖書の理解には時に歌いながら祈ることも大切と考え、簡単なドイツ語の賛美歌(Choral)を作り、自らリュートを演奏して歌った。日本でも有名な「神はわがやぐら」はよく知られる1曲だが、ナチスの行進曲に利用された暗い歴史もある。

95か条の提題

聖書に書いてあることのみを信仰とするべきだ!と確信したルターは、修道士の立場で当時濫用されていたカトリック教会の贖宥状制度を批判。教会は自ら変わるべきだとした。これが、1517年10月31日、ヴィッテンベルクの教会の門に打ち付けられた、宗教改革の大きなうねりに繋がる「95か条の提題」。一方、カトリック教会はルターに自説を撤回するよう迫る。これを拒否したルターは1521年、ついに教会を破門される。同年ヴォルムス帝国議会で神聖ローマ皇帝カール5世に召喚を受けるが、ここでも自説の撤回を拒否し、帝国追放を宣言される。その帰り道、ルターを支持していた有力諸侯の一人、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢公)に保護され、居城であるヴァルトブルク城にて新約聖書のドイツ語訳を完成させた。

仲間とともに

腐敗する権力に立ち向かったルターの怒りは人々の共感を呼び、宗教改革の勢いは各地に広がった。1517年にヴィッテンベルク大学の教授に就任したフィリップ・メランヒトンは、ルターの思想の体系化に尽力。フリードリヒ3世は皇帝カール5世誕生の立役者であったこともあり、ローマからのルターの引渡しにも応じずルターを匿った。北部ドイツ語を味方に、ハンブルク、リューベック、コペンハーゲンなど北部の各都市を回り、ルターの教えを広めたのはヨハネス・ブーゲンハーゲン。ヴィッテンベルクを拠点に宮廷画家としてフリードリヒ3世に仕えたルネッサンスの画家ルーカス・クラナッハ(父)は、数多くの絵画を通してプロテスタントの宗教精神を伝えている。

忘れてならないのは、危険を顧みず修道院を抜け出し、ルターを追い掛けた修道女、カタリナ・フォン・ボラ。聖書に根拠はないものの、肉体的欲望は罪であるとされ、聖職者の結婚など到底認められなかった時代、二人は結婚し6人の子どもに恵まれた。一躍有名になったヴィッテンベルクには各地から学者が集まった。ルターの自宅にも次々と論者が訪れ、カタリナは女主人として彼らの宿泊や食事などを世話しながら一緒になって日々議論した。

100万部も印刷されたルターの聖書
どのように広まったの?

グーテンベルクの活版印刷技術

それまで書物は手書きによる書き写しか木版印刷が主流だった。しかしヨハネス・グーテンベルクが1450年頃発明し、実用化が進んでいた最新技術の活版印刷がルターの教えを広めるのに大きな役割を果たした。各地の印刷所は「95か条の提題」を始め、ビラや冊子をどんどん刷り、これらは飛ぶように人の手に渡った。ラテン語で書かれていた「95か条の提題」もすぐにドイツ語に訳され、ほんの2週間でヨーロッパ中に広がった。神聖ローマ帝国で1500万人いた人口の大半が読み書きのできなかった時代に、ルターの聖書は100万部も印刷され、大ベストセラーに。印刷の技術がなかったらルターの思想はここまで一気に広がることはなく、宗教改革も起こり得なかっただろう。人々が歌った、ルターの賛美歌にも乗ってルターの思想は拡散された。こうしてルターは庶民の共感を得ただけでなく、ハンザ同盟の都市やドイツ国内の有力諸侯からの融資も得た。一方で教会は危機感を募らせ、両者は対立を深めていく。

ルターの聖書の広がり聖書やビラ、賛美歌によってルターの思想は瞬く間に広がった

対立する両者、社会は混乱
カトリック対プロテスタント?

農民戦争の悲劇も

ルターの教えは重い重税に苦しんでいた農民に希望を与えた。農民たちは農奴制の廃止など「12か条の要求」を訴え中南部で立ち上がった(ドイツ農民戦争)。しかし諸侯軍に敗れ、反乱を主導した聖職者のトマス・ミュンツァーは拷問の末処刑、10万人が犠牲となった。当のルターは諸侯に保護されている立場から諸侯軍に味方し、同地での信頼を失うことに。南部ではその後カトリックが優勢となった。

国外からの脅威もあり、宗教問題に決着を付けるため、皇帝カール5世は1530年、アウグスブルク帝国議会を開いた。破門されたルターに代わり、盟友メランヒトンがプロテスタントの最初の信仰告白「アウグスブルク信仰告白」を執筆。ルター派の主張をしつつもカトリック教会への批判を抑えた内容だったが認められなかった。不満を持つ諸侯らはプロテスタントとして結束を深めた(1531年、シュマルカルデン同盟)。その後1555年にようやくアウグスブルク帝国議会でルター派が容認され(アウグスブルクの和議)、都市や領主に宗教の選択権が認められることになった。

超教派による対話へ
宗教改革が後世に与えた影響は?

領邦間の争いは30年戦争へ、国民国家の礎にも

1555年のアウグスブルクの宗教和議でルター派のプロテスタントはカトリックと並ぶ存在に! ルターはその9年前にこの世を去っていたが、権力への怒りから火が付いた、「聖書に書いてあることのみを信仰とする」との信念は実を結んだ。だが、まだ市民一人一人に信仰の自由が与えられていたわけではなく、どちらの信仰を選ぶかは各都市や領主の決定に従わなければならないことに不満も残った。またカトリックの対抗宗教改革の動きや魔女狩り、宗教裁判も激しさを増した。各地でカトリックとプロテスタントの領邦間の争いも始まり、その他の権力紛争も相まってヨーロッパ中を巻き込んだ30年戦争(1618-1648)に発展。1648年のヴェストファーレン(ウエストファリア)条約でやっと最終的な決着を迎えるとともに、この条約は連邦制のドイツ始め、近代の国民国家の礎となった。

コーラルを交響曲にも、300周年を機にメンデルスゾーン

ルターが作った賛美歌「神はわがやぐら」は、1724年、バッハが宗教改革を記念してカンタータ80番に取り入れるなど、後世の教会音楽やクラシック界に大きな影響を与えた。アウグスブルク信仰告白から300年の1830年、メンデルスゾーンはルターの「宗教改革」をタイトルに交響曲第5番を作曲。ドイツの賛美歌「ドレスデン・アーメン」が用いられているほか、フィナーレで「神はわがやぐら」が響く。

神はわがやぐらルター自筆のコーラル「神はわがやぐら」、右下にルターの名前がある

超教派による対話へ、エキュメニカル運動

ホルトハウス牧師
ネアンダール教会の
ディルク・ホルトハウス牧師

現在も宗教間の対立や争いは各地で続いている。一方で、第2次世界大戦後、キリスト教の教派を越えた和解や結束を目指すエキュメニカル運動(Ökumenische Zusammenarbeit)も始まった。デュッセルドルフの旧市街にあるネアンダール教会は1684年に初めてこの地で建設が認められたプロテスタント教会。角を曲がった場所に、ほぼ同時期に建てられたカトリックの聖アンドレアス教会が並んでいる。ネアンダール教会のディルク・ホルトハウス牧師(Pfarrer Dirk Holthaus)は年に2回、クリスマスとイースターの前に、聖アンドレアス教会の神父と交代して、カトリックの人々を前に説教をしている。ホルトハウス牧師は語る。「ルターも後年そうだったが、プロテスタントの教会もユダヤ人を排除し過ちを犯した。そしてこれは戦争にもつながった。近隣教会の協働エキュメニカル運動は両者の壁を取り払うことへの試みだ。過去の過ちを反省し、世界平和を考えるために」

ルター略年表

1483年 11月10日、アイスレーベンで生まれる。翌日の聖マルティンの日に洗礼を受け、マルティンと名付けられる
1501年 18歳、エアフルト大学教養学部に入学
1505年 22歳、父の教えに従い大学法学部進学、落雷を受け、アウグスティヌス修道院に入り修道士に
1512年 29歳、ヴィッテンベルク大学聖書教授となる
1515年 教皇レオ10世、ドイツで贖宥状販売を許可
1517年 34歳、「95か条の提題」をヴィッテンベルクの教会の門に打ち付ける(10月31日)
1518年 35歳、アウグスブルクで異端審問を受ける
1519年 カール5世神聖ローマ皇帝に即位
1520年 37歳、『キリスト教界の改善について』『キリスト者の自由について』など宗教改革的著作を精力的に出版。教皇庁は破門脅迫の大教勅を発する
1521年 38歳、教皇レオ10世から自説の撤回を求められ、拒否。教会を正式に破門される。皇帝カール5世に与えられたヴォルムス帝国議会の場でも撤回を拒否したため、帝国追放を宣言される。帰り道、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の居城ヴァルトブルク城で保護される
1522年 39歳、新約聖書のドイツ語訳を出版する
1524年 ドイツ農民戦争
1525年 42歳、ルターに共感し追い掛けた元修道女のカタリナ・フォン・ボラと結婚
1530年 アウグスブルク帝国議会でメランヒトンの「アウグスブルク信仰告白」が提出される
メランヒトンの信仰告白皇帝カール5世(左)を前に読み上げられるメランヒトンの信仰告白
1534年 51歳、旧約聖書のドイツ語訳完成
メランヒトンの信仰告白フランクフルトのSt. Ger traud 教会に残る、1534年のルターによる聖書
1546年 63歳、アイスレーベンで死去
1555年 アウグスブルク帝国議会でカトリックとルター派プロテスタントの和議、各諸侯らが決める教派をその領邦内の教派とする教派属地権が決まる

宗教改革500周年!ドイツ各地の関連イベント

※時間や内容が変更される場合もございますので、お出かけの際はあらかじめご確認ください。

パノラマ「1517年のルター」
PANORAMA „LUTHER 1517“

PANORAMA „LUTHER 1517

ルターが95か条の提題をヴィッテンベルクの教会の門に打ちつけた1517年当時の風景360℃再現。ドイツ人アーティスト、ヤデガール・アシシの巨大なパノラマアートに足を踏み入れれば、中世の時代に迷い込んだ気分に。

2017年12月31日(日)まで
10:00~18:00
11ユーロ(割引9ユーロ、子供4ユーロ)

WITTENBERG 360
Lutherstr.42
06886 Lutherstadt Wittenberg
www.wittenberg360.de

ポップ・オラトリアム ルター
Pop-Oratorium Luther

Pop-Oratorium Luther

賛美歌をドイツ語で歌う喜びを民衆と分かち合ったルター。今年は、ドイツ各地で参加型の賛美歌プロジェクトが企画されている。ルターの生涯を1000人のコーラスと、ポップなミュージカルで楽しめるコンサート。

3月11日(土)ハレ Gerry-Weber Stadion
3月18日(土)ミュンヘン Olympiahalle
6月25日(日)ジーゲン Siegerlandhalle
8月26日(土)ヴィッテンベルク Schlosskirche
9月23日(土)、24日(日)ヴィッテン Saal bau
10月29日(日)ベルリン Mercedes-Benz Arena

www.luther-oratorium.de

クラナッハ マイスター・マルケ・モデルネ
CRANACH. Meister − Marke − Moderne

CRANACH. Meister − Marke − Moderner

ドイツ・ルネッサンス期の巨匠ルーカス・クラナッハ(父)の作品200点以上が並ぶ展覧会。ルターを保護したザクセン選帝侯に仕えた絵師で、ルターの聖書の挿絵も描いた。彼の絵画が現代美術に与えた影響を見る。

4月8日(土)~7月30日(日)
11:00~18:00、木~21:00、月曜休館
12ユーロ(割引9.50ユーロ)、
土日祝14ユーロ(割引11ユーロ)

Museum Kunstpalast
Ehrenhof 4-5
40479 Düsseldorf
www.smkp.de

ルター効果 世界のプロテスタントの500年
Der Luthereffekt. 500 Jahre Protestantismus in der Welt

CRANACH. Meister − Marke − Moderner

ドイツ歴史博物館が企画した展覧会では、500年前に始まったプロテスタント運動が、現代に与えた影響を追う。欧州や北米、世界各地で文化と宗教の対立が浮き彫りになった。

4月12日(水)~11月5日(日)
10:00~19:00、火曜休館
12ユーロ(割引8ユーロ)、16歳以下無料
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Martin-Gropius-Bau
Niederkirchnerstr. 7
10963 Berlin
www.3xhammer.de

ルターとドイツ人
Luther und die Deutschent

Luther und die Deutschent

ドイツの国民性のシンボルとして愛されているルターとドイツ人との関係を探る展覧会。会場は、匿われたルターがドイツ語の聖書を完成させたヴァルトブルク城。年間35万人が訪れ、現代ドイツの礎を築いた改革者をしのぶ。

5月4日(木)~11月5日(日)
8:30~17:30 ※城内ツアーは20:00まで
12ユーロ(割引8ユーロ、学生5ユーロ)
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Wartburg
Auf der Wartburg 1
99817 Eisenach
www.3xhammer.de

ルター! 95個の宝-95人の人間
Luther! 95 Schätze – 95 Menschen

Luther! 95 Schätze – 95 Menschen

ルターが35年間を過ごした町ヴィッテンベルクでは、1200㎡の展示会場に彼ゆかりの品々が並ぶ。第1部では、信念を貫いた改革者の青年期の横顔を、第2部では、16世紀から現代までの95人の改革者たちを紹介する。

5月13日(土)~11月5日(日)
9:00~18:00
12ユーロ(割引8ユーロ、学生5ユーロ)
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Augusteum
Collegienstr. 54
06886 Lutherstadt Wittenberg
www.3xhammer.de

 

 

 

 


前川喜平氏「安倍圧勝で“モリカケ”ロンダリング許していいのか?」…私も国会前に行く。日本国憲法は人類の歴史の成果。  

2017-10-28 19:29:03 | 森友・加計疑惑

  10月24日

 https://dot.asahi.com/wa/2017102400092.html?page=1

2017.10.25 07:00週刊朝日
 
前川喜平(まえかわ・きへい)/1955年生まれ。79年に文部省(当時)入省。2016年に事務次官となる。加計問題では国会で証言
前川喜平(まえかわ・きへい)/1955年生まれ。
                                          79年に文部省(当時)入省。2016年に事務次官となる。加計問題では国会で証言

郷原信郎(ごうはら・のぶお)/1955年生まれ。東京地検、長崎地検次席検事などを経て2006年退官、弁護士登録。名城大学教授など歴任
郷原信郎(ごうはら・のぶお)/1955年生まれ。
                                         東京地検、長崎地検次席検事などを経て2006年退官、弁護士登録。名城大学教授など歴任

血税635億円もかけた衆院選は自民党が283議席(追加公認含む)と大勝、公明党とあわせて全議席の3分の2を上回る勢力となり、憲法改正の発議が可能となった与党。安倍圧勝で、“モリカケ疑惑ロンダリング”は許されていいのか。前川喜平・元文部科学事務次官、郷原信郎・元東京地検特捜検事が怒りの声をあげた。


●元文部科学事務次官・前川喜平「首相が国家権力を私物化した疑いは濃厚」

 安倍首相にとって、今回の解散は森友・加計問題を“ロンダリング”する意図があったことは明らかだと思います。野党の足並みがそろわない隙をついたことで勝利はしても、それで首相に向けられた疑惑に対し国民が信任を与えたことにはならない。国家権力を私物化して友人に特権を与えた疑いは濃厚であり、こうした不公正さに国民は敏感です。

 加計問題については、私が文部科学省にいた当時に知らなかった事実が次々と明らかになっています。2015年4月には、愛媛県今治市や加計学園の関係者らが首相官邸を訪れて首相秘書官と会っていたとされていますが、行政をつかさどる役割ではない首相秘書官が面会するのは不可解です。

 私が「加計ありき」の指示を受けたのは昨年8月からですが、それよりずっと前から「加計ありき」は始まっていたのではないか。加計孝太郎理事長や今治市の菅良二市長なども国会に呼ぶ必要がありますし、当時の内閣府の担当者らには、うそをつけば偽証罪に問われる証人喚問の場で証言してもらうべきです。

 自民党が公約に掲げた憲法改正についても危惧しています。私は安倍政権下での改憲には反対です。今回の選挙では無理かもしれませんが、立憲民主、社民、共産の立憲3党で衆院の3分の1を確保し、改憲になだれ込まないかたちをつくってほしい。

 それでも安倍首相が改憲を実行するというのなら、私も国会正門前に行ってデモに参加しますよ。


●元東京地検特捜検事・郷原信郎「森友問題で『妻はだまされた』は暴言」

 安倍首相は森友学園疑惑を巡り、前理事長の籠池泰典氏を「詐欺を働く人物」とし、「妻はだまされた」という趣旨の発言を民放の党首討論でしました。

 国民に対し「丁寧に説明する」と繰り返し約束してきたが、それは籠池氏を詐欺師と決めつけることだったのか。これから公判がありますが、行政の長である総理が、刑事司法の「推定無罪の原則」を破ったとんでもない暴言です。名誉毀損に当たる可能性がきわめて高いからです。

 名誉毀損の免責要件は事実の公共性と、目的の公益性です。もし籠池氏から名誉毀損で民事訴訟を起こされたら、安倍首相はどういう反論ができるだろうか。公共性はありますが、「妻はだまされた」なんて自己弁護でしかないから、公益目的とは到底言えません。ましてや、一体何をだまされたというのか。昭恵氏が名誉校長になるときに、籠池氏が何かだましたわけではないでしょう。

 今回の検察の捜査にも政権の意向が働いたと疑わざるを得ません。国の補助金の不正受給であれば、補助金適正化法が適用されるべきなのに、大阪地検はより罪の重い詐欺罪で起訴した。検察実務の常識ではあり得ないことです。大阪府からの補助金不正受給も行政処分の対象で、わざわざ詐欺罪で立件する話ではありません。法治主義の観点からも大問題です。

(構成/本誌・小泉耕平、亀井洋志)

週刊朝日 2017年11月3日号 

 

 

 

 

 


【議会を徹底的に開かない安倍首相】 特別国会は首相の所信表明なし 疑惑隠しで代表質問も拒否 〔日刊ゲンダイ 2017.10.26〕

2017-10-26 23:32:22 | 森友・加計疑惑

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、テキスト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ありえない!
次の通常国会まで、7か月間国会審議なし?~森友加計から逃げ回る安倍首相!

 

  2017年10月24日

11月1日から8日まで首班指名などのために特別国会が開かれる予定だ。文化の日と週末があるから実質5日。政府は選挙に勝ったから臨時国会を開かないという。屁理屈だ。

通常国会を閉じたのは6月18日。来年1月の通常国会まで開かないなら7か月にもなる。これが「逃げ続ける」安倍政権の実態だ。

 

金子勝認証済みアカウント @masaru_kaneko 2017年10月25日

【議会を徹底的に開かない】
アベは11月1〜8日まで特別国会を開くというが、ひどい印象操作だ。3日は文化の日、4〜5日は土日で休み。5〜7日はトランプ来日騒動。
残るは1,2.8日の3日間だけ。国会は首班指名でほとんど終わり。森友加計隠しで、どこまでも議会制民主主義を否定するアベだ。



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特別国会は首相の所信表明なし 疑惑隠しで代表質問も拒否

日刊ゲンダイ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/216329

2017年10月26日

年内は臨時国会も開かず(C)日刊ゲンダイ 年内は臨時国会も開かず(C)日刊ゲンダイ

 安倍首相がどれだけ森友・加計疑惑の追及を恐れているかが分かるというものだ。

 政府・与党は25日、首相指名選挙などを行う特別国会を来月1日に召集し、会期を8日までとする日程を固めた。また、トランプ米大統領の来日や連休で日程がタイトなことを理由に、安倍首相の所信表明演説も拒否し、野党が要求している代表質問にも応じない方針だ。

 トランプとゴルフをする暇はあっても、まともに国会審議をする時間はないということか。おまけに、年内は臨時国会も開かない方針という。

 臨時国会をめぐっては6月に森友・加計疑惑を解明するため、野党が憲法の規定に基づいて召集を要求。安倍首相は3カ月も召集要求をたなざらしにした揚げ句、9月28日に臨時国会を召集し、所信表明も行わずに即日、衆院の“疑惑隠し解散”を強行した。

 このままでは、安倍首相の所信表明演説や森友・加計疑惑を追及する国会審議は、来年1月に召集される通常国会までお預けとなる。安倍首相が言う「謙虚な姿勢」はどこへ行ったのか。

 

 【関連記事】

個人的な都合で7カ月もの「国会機能停止」が許されるのか

臨時国会見送りへ 森友・加計は閉会中審査 政府・自民:朝日新聞デジタル

 

 

 

 

 

仏ル・モンド紙が「安倍首相の改憲の本質は、大日本帝国の復活」と喝破!「天皇が安倍の歴史修正主義に抗っている」との記述も〔リテラ 2017.10.25〕

2017-10-26 23:25:28 | 森友・加計疑惑

仏ル・モンド紙が「安倍首相の改憲の本質は、大日本帝国の復活」と喝破!「天皇が安倍の歴史修正主義に抗っている」との記述も

 
2017.10.25

 
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「安倍晋三、受け継がれし歴史修正主義」と報じるル・モンド紙(10月20日電子版)


 衆院選で大勝した安倍首相は、「謙虚」をくり返し強気な言葉こそ控えているものの、このあと改憲に向けた動きを本格化させるのは明らかだ。安倍改憲の背後にあるもの、その危険性について海外メディアも大きく報じている。

 フランスのル・モンド紙は、今月20日の電子版に「安倍晋三、受け継がれし歴史修正主義」(Shinzo Abe, le révisionnisme en heritage)と題した特集記事を掲載。約3000語に及ぶ長文で、内容は安倍晋三の家系や生い立ちを紹介しながら、安倍の歴史修正主義の危うさを鋭く指摘するというものだ。海外から安倍首相がどう見えているのか、その視点を知るうえで極めて興味深い記事なので、部分的に訳しながら紹介してみたい。

 まずル・モンドは、北朝鮮との緊張関係や中国との対立によって、安倍の「国難」との主張が強化されていると指摘。興味深いことにル・モンドは、第二次安倍政権発足以来、防衛予算が増加し続けていることを指摘する一方、「安倍氏は、各国の多くの指導者と比べればとりわけナショナリストとは言えないし、再軍備に熱狂しているわけでもない」と評すが、「その代わり」と続け、こう強調している。

〈そのかわり、安倍氏は歴史修正主義者(révisionniste)である。たとえば、彼の礼賛する憲法改正は、日本の帝国主義の復興を目指し、1930年代初頭から第二次世界大戦終戦までの日本軍が犯した残虐行為の数々を過小評価ないしは否定しようとする広大な企てのなかの一つだ〉

 さらにル・モンドは、日本でも大正時代には民主化運動や反戦運動が盛んだったことに触れたうえで、戦後日本が大正デモクラシーと似た傾向に回帰したことを「日本の歴史の断絶」として否定的に捉える右派の文脈のなかに安倍を位置づけている。

〈1945年の敗戦は、日本の歴史の深い断絶となっている。しかしその断絶は、1910〜1920年に日本が経験していた民主主義への回帰と軍国主義の拒絶を導いた。安倍晋三を生み落とした日本の右派は、国際社会におけるコンプレックス(劣等感)から解き放たれ、経済的にも軍事的にも強い、ある種のJapon éternel(引用者注:悠久不滅たる神国日本というような意味)を取り戻すため、戦後という“ページをめくって”この断絶を抹消したいのだ。「Japan is back!」。安倍氏は第二次政権初期の2013年(引用者注:2月、米ワシントンのシンクタンクSCICでの演説)に、そう宣言している。歴史的観点からみれば、安倍氏が権力にいたる道において目立った事実として残るであろうことは、激しい外交活動と経済政策よりも、その否定的な色彩を帯びた歴史修正主義だ〉

 

大日本帝国の復権を狙う安倍首相と、それに抗う天皇というパラドックス

 

 その後、記事は岸信介が戦争を引き起こした政権の重要メンバーであったこと、戦後戦犯として逮捕されたことなど一族のヒストリーを紐解きながら、安倍晋三の右派政治家としての経歴を紹介。ネットを駆使したメディア戦略や報道に対する圧力の問題にも触れながら、森友・加計学園問題で支持率を急落させたが北朝鮮ミサイル問題で復調、これを奇貨として解散選挙に打って出ると報じ、「勝てば修正主義のアジェンダ(行動計画)を続けることができる。それは、敗戦以来の右派のアジェンダではあるが、同時に安倍氏の家系的遺産の賜物でもある」と分析している。

 さらに、ル・モンドは安倍晋三という政治家が伸長したもうひとつの背景として、バブル崩壊による経済ナショナリズムへの致命的打撃と、その後の長引く不況を指摘。平和主義に対する疑念も膨むなかで、右派が、日本の“作られた神話”に遡る歴史に根差したナショナルアイデンティティの感覚をかきたてようと企てていると記している。

〈第二次世界大戦をめぐる歴史認識は常に左右の思想対立の中心にあったが、日本の精神の特異性に基づく神話的アイデンティティは副次的なテーマであった。それ以降、ネオ・ナショナリズムのアイデンティティは、論争の的となっている歴史の書き換えと組み合わされて、国家の最高レベルが示す統合の物語を志向している。それには二つの面がある。安倍氏の言う「美しい国」、起源への回帰と、軍国主義時代に犯した残虐行為を最小化どころか否定しながらなされる帝国日本の復権とである。逆説的だが、明仁天皇は、天皇という立場に課された制約上可能な範囲で、こうした歴史修正の動きに抗っている〉

 本サイトでも度々触れてきたように、安倍政権は単なる外交問題の一つとして歴史認識問題を位置付けているのではない。安倍が日本会議らと歩調を合わせ進める歴史修正主義は、復古調の国家主義と確かに対になっている。日本国内のマスコミが歴史修正主義と国家主義の綿密な関係をほとんど報じないなか、海外メディアがこうした指摘をしているのは極めて重要だろう。

 事実、2016年の伊勢志摩サミットの際、自らの強い意向により各国首脳を伊勢神宮に招いたが、周知のとおり、皇祖神とされる天照大神が祀られている伊勢神宮は、戦前・戦中の日本を支配した国家神道の象徴である。ル・モンドの記事では、わざわざ安倍首相が伊勢神宮に各国首脳を招いたことこそ、日本の右派が取り戻そうとしている「Japon éternel」であると強調したうえで、安倍が当選後すぐに身を置いた自民党の「歴史・検討委員会」とその系譜を継ぐ活動を支援していることに言及。〈日本の戦争は自衛であって侵略ではない〉という認識に積極的に加担してきたことを記している。

愛国を謳いながら対米従属という右派の矛盾を体現する安倍政治

 

 記事の最後の章では、安倍政権の国際政治が、ナショナリストでかつ対米従属派であるという「右派の両義性」の象徴であると断じ、安倍の歴史修正主義も相まって、東アジア情勢にも悪影響を与えているとする。そのうえで、再度、安倍の悲願である9条改憲についてこう述べている。

〈日本が独自の権限を主張し、軍隊の法的地位を付与し、国際安全保障協力を促進する法的枠組みを有することを妨げるものは何もない。しかし、帝国日本軍の残虐行為(1937年の南京虐殺や「慰安婦」など)に関する立場を争う人物が憲法改正のタクトを振るっていることは、日本の世論に明らかに不安感を与えているのである。〉

 どうだろうか。ル・モンドといえば、これまでも戦後70年の安倍談話について、「安倍総理大臣個人として、過去の侵略や植民地支配に対する謝罪を一切行っていない」とはっきり指摘。サミットのときに安倍首相が“世界経済の現状はリーマンショック前の状況とそっくりだ”という趣旨の捏造発言を行なった際も、「安倍晋三の無根拠なお騒がせ発言がG7を仰天させた」と銘打ち、しっかり批判していた。

 ル・モンドだけではない。同じく仏高級週刊誌「ロブス」や英経済紙「エコノミスト」は、日本のマスコミが安倍政権と日本会議の関係に注目する前から〈経済的改革者のイメージとは程遠く、日本の総理大臣は大日本帝国への回帰を目指す極右、歴史捏造主義団体と一心同体である〉(ロブス)、〈(日本会議は)憲法改正に必要な国民投票の実施を目指し、100万人の署名を集めている。憲法9条を撤廃し、伝統的な家族観を大事にするような憲法を求めている。2012年に作成された自民党改憲草案は、こうした日本会議の主張をいくつも採用している〉(エコノミスト)などと報じていた。他にも、安倍首相がオバマの広島訪問を政治利用したときも、米紙「ニューヨーク・タイムズ」や英紙「ガーディアン」などは安倍政権に批判的に報じていた。

 一方の日本のマスコミはどうだろう。東京新聞など一部を除いては、安倍首相を名指しして歴史修正主義者と批判することもほとんどない。今回の選挙でも、「極右集会」「おとなの塚本幼稚園」と評された安倍首相の街宣の実態をまともに報じるメディアもほとんどなかった。海外メディアから安倍政権が「極右」「ナショナリスト」「歴史修正主義」などとたびたび批判されていることについても、ベタ記事で触れるだけだったり、わざわざ政権を擁護する文化人や学者のコメントを入れるなど、あからさまに“忖度”している。しかもこのままでは、衆院選に大勝した安倍首相が、憲法改正に動き出すなかで、今後、さらに国内マスコミが萎縮していくのは必至だろう。

 しかし海外メディアによる安倍政権批判の多くは、ネトウヨや右派が喧伝するような陰謀論的日本叩きなどではなく、今回のル・モンド紙がそうであるように、いずれもきわめて冷静かつ客観的な指摘だ。国内メディアにもなんとか気骨ある報道をのぞみたいのだが……。