とにかく富裕層ひとり勝ちの社会システムにすることが正しいとするアイン・ランドの信念は、パソナ会長として安倍政権の産業競争力会議有識者委員をつとめ、労働者派遣法の大改悪をねらい、派遣労働者から強奪する改革利権をどこまでもむさぼろうとする竹中平蔵氏の姿にぴったり重なります。
http://blogos.com/article/84676/より転載
竹中平蔵氏がめざす貧困大国アメリカ - 99%を食い潰す富裕層の富裕層による富裕層のための日本へ
竹中 僕はニューヨークの5番街がすごく好きなんです。ミッドタウンから北のほうに向かって行くと、そこには人生と社会の縮図があります。このストリートに住むこともできるし、あちらのストリートに住むこともできる。それはあなた次第ですと。そこには生活の違いがあります。でも日本人は…。 幸田 格差って言いますものね。そんな違いがあったら格差だって(笑)。 竹中 住むストリートが違うどころじゃなくて、それこそ1メートル離れているだけでも格差だって言うでしょう(笑)。 確かに競争が厳しくなると、辛い思いをする人が出てくる。しかし、結果的に社会全体としての雇用は増えている。 幸田 新たに職を得られる人が出てくるわけですからね。 竹中 痛みをこうむる人もいれば、必ずメリットを受ける人がいて、経済全体としてはプラスの効果を間違いなく受けている。そういう社会を考えないといけない。 竹中 政府がお金を税金としてとって、その所得を再分配するような社会の機能が大きくなりすぎると、その国はダメになると。それはまったくその通りですよね。集団的なたかりみたいなものが所得再分配という名のもとに、税にまとわりついて生まれてくるわけです。 竹中 所得再分配、社会保障は、人のものを強奪することを正当化するシステム。 ――以上が以前ブログで紹介したものですが、いま安倍政権の産業競争力会議有識者委員をつとめる竹中平蔵氏の思いがストレートに伝わってきます。それで、この竹中氏が「すごく好きな」「人生と社会の縮図」をドキュメントしたテレビ番組を観たので以下その一部要旨を紹介します。(※とりわけグラフ類が興味深かったのでそれを中心に紹介します。逐条起こしでなく私の要旨メモであること御了承を。by文責ノックオン。ツイッターアカウントはkokkoippan)
BS世界のドキュメンタリー
シリーズ 真実に迫る
加速する“富の偏在”
「パーク・アベニュー 格差社会アメリカ」
※NHKBSで4月4日に放送(2012年11月30日に放送した番組のアンコール)
ニューヨーク、マンハッタンを南北に走るパーク・アベニューの道沿いには、アメリカで最も裕福な人たちが暮らしている。それはアメリカ社会の頂点に立つ大富豪たちだ。しかし、パーク・アベニューは富だけでなく政治の力をも象徴している。ここの住人たちは高級車や自家用ジェットだけでなく、ゲームを有利に動かすためにカネをつぎこんでいるのだ。社会制度を思うままにする力を持つことで、彼らはこの30年の間に巨額の富を得た。ここから北へ10分ほど車を走らせると、この通りはハーレム川でさえぎられる。
ハーレム川の向こう側にはパーク・アベニューの別の顔がある。このサウスブロンクスはアメリカで最も貧しい地域だ。人口70万人のうち4割が1日当たり40ドル以下の収入しかない。サウスブロンクスの30年はハーレム川の向こう側の30年とはまったく違っている。サウスブロンクスの労働者の給料は下がり、生活必需品は大きく高騰した。
貧困が大きく広がっているのだ。だがそれでもアメリカはチャンスのある国だろうか? 一生懸命に頑張れば誰でも上に行くことができる、だからアメリカはすばらしい――そう、みんなは思っているのだろうか? サウスブロンクスで生まれ、ここで暮らすしかない人々にとって、チャンスは一体なんなのであろうか?(ドキュメンタリー監督 アレックス・ギブニー氏の番組冒頭のコメント)
貧困大国アメリカは、先進国の中で最もチャンスのない国になってしまいました。アメリカンドリームとは逆方向で、貧困層はまったく上に行くチャンスがなく、いまや中間層までもが貧困に滑り落ちているのです。
「社会の一部の人たちには望むことをするために社会の様々な手段が与えられていてお金も豊富にあります。それとは反対に何の恩恵も受けられず不利な立場にいる多くの人たちにはそんなものはありません。本来のアメリカンドリームというのは、みんなに平等にチャンスが与えられてなりたつのに今のアメリカ社会はそうではないのです」(カリフォルニア大学の社会心理学者 ポール・ピフ氏)
富裕層は貧困層に意を介さず
優越感を膨らませていく
カリフォルニア大学の社会心理学者ポール・ピフ氏は、富と貧困が拡大する格差社会がもたらす心理的変化について研究しています。ピフ氏は、ゲームのモノポリーを使った実験を行いました。プレーヤーから無作為に選んだ1人にだけ最初からたくさんのお金が与えられ、同時にルール自体が必ず勝つようになっている富裕層の役でゲームを行ってもらいました。ニューヨークのパーク・アベニューに位置する高級住宅街と貧困地区に無作為に人が生まれ落ちることと同じというわけです。
明らかに不公平なゲームなのに、富裕層役のプレーヤーは優越感を持たずにいられません。そして勝って当然だと思うようになっていくのです。最初から貧困層役にまったく勝ち目がなくても金持ち役はそんなことには意を介さず優越感を膨らませていく。これは、最初から富を持つ富裕層と、富裕層に有利な社会ルールが作り出されているアメリカ社会において、富裕層が貧困層に意を介さず優越感を膨らませていく様と酷似しているのです。
「貧困層の子どもたちは生まれる前から社会の競争で遅れを取っています。治安の悪い地域に生まれ、栄養のある健康を維持できる食事は与えられず、体調が悪くても医者にさえかかれない子どもたちも多くいます。なかでも一番の問題はチャンスそのものが与えられないことでしょう」(ソーシュルワーカー アン・ルース氏)
貧困大国アメリカは最もチャンスが少なく
流動性の低い国になってしまった
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「現在のアメリカで極度の貧困から抜け出すのは至難のわざです。ほとんど不可能と言っていい。人々が長年抱いてきたアメリカはチャンスの国という概念とは真逆の現実です。アメリカで貧困層が上の階層に行ける確率は他の先進国と比べてずっと低いのです」(▲上のグラフ参照※数字が高い方が貧困層が富裕層に変わるチャンスが少なく流動性が低いことをあらわしている)(『グレート・ディヴァージェンス』著者ティム・ノア氏)
(※最初に紹介した竹中氏の言葉「このストリートに住むこともできるし、あちらのストリートに住むこともできる。それはあなた次第です」はまったくのウソだということがこのグラフで明らかになりました)
富裕層にだけ富が集中
労働者の231倍の収入得る重役
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格差は常に存在していましたが、この30年間で99%の国民の所得はのびず、1%の富裕層の収入だけが急激にのびました。(▲上のグラフは上位1%の平均所得と99%のアメリカ国民の平均所得の推移)
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上のグラフにあるように、1947年から1977年までのアメリカの所得増加分はすべての階層に分配され、大半は平均的な庶民に渡っていました。ところが、1978年から2008年までの所得増加分は、富裕層上位1%と上位10%だけに完全に吸い上げられてしまったのです。
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そして、上図にあるように、1965年の重役の収入は労働者の収入の20倍でしたが、2011年には重役の収入は低く見積もっても労働者の収入の231倍へと10倍以上も激増しているのです。
富裕層400人と庶民1億5千万人の所得が同じ
政治をカネで買い富が集中するシステムを構築
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2010年には、たった400人の富裕層が、下層から数えて半分の一般層1億5千万人分の所得を得ているのです。富裕層はこの巨額の富を何に使っているのでしょうか?
誰よりもカネで政治を買っているのが、コーク・インダストリーを経営している推定資産250億ドルを持つデイヴィッド・コークです。
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コークは政治家たちに巨額の寄付をし、さらに富裕層に利益を擁護するグループに投資。右派のシンクタンクに資金をつぎこむ一方で、自ら研究所も立ち上げ、マスメディアなどを活用しています。さらに大学に多額の寄付をし、規制緩和や新自由主義の市場をすすめるブログラムを支援しているのです。そして、ロビイスト集団を使って富裕層に利益をもたらす法案を次々と生み出しているのです。
ティーパーティー運動は自然発生的に盛り上がった市民の草の根運動だと思われています。しかし実際はコークなど超富裕層が作り出したものなのです。
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そして、上のグラフにあるように、この10年で富裕層の税率は4分の1以上も下がっています。さらに上位400人の超富裕層の税率は半分になってしまいました。
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上のグラフにあるように、アメリカの税収は近代史上において最低になっています。もっとも基本的な公共サービスにさえ資金が回らないのです。学校は機能しなくなっているし、道路も老朽化しています。
富裕層はより多くのお金を求めて政治を歪めています。政治家が富裕層の金の力で選挙に勝ち、議員に居座り続ける限り、金持ちのためだけの法案はなくならないのです。
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以上が要旨メモですが、このほか、哲学者で小説家のアイン・ランド(※上の画像がアイン・ランド)の小説『肩をすくめるアトラス』がいまや共和党の多くの政治家たちのバイブルになっていることも紹介されていました。映画にもなったこの小説で、ランドは、最小国家主義と自由放任資本主義を唱え、「わずかな支援でも求めてくる人たちはたかり屋」「他人を助けたがる人たちは悪者」「自分勝手な振る舞いをするのがヒーローだ」ということを描いているそうです。
小説『肩をすくめるアトラス』のストーリーは、中間層と貧困層に支援する政府に嫌気がさした富裕層がストライキを起こし、政府を捨て山奥へ行き、政府のない新しい社会をつくるというものだそうで、富裕層に税金をかけたり、富裕層のビジネスに規制をかけると、中間層も貧困層も富裕層は養わないし、中間層や貧困層はもちろん政府そのものも見捨てるぞという、富裕層の脅しそのものの内容とのことです。新自由主義の代表的な論者であるフリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンでもそこまでは主張しなかったとのことですが、アイン・ランドの主張は、「所得再分配、社会保障は、人のものを強奪することを正当化するシステム」などと言う竹中平蔵氏と酷似していることがわかります。
とにかく富裕層ひとり勝ちの社会システムにすることが正しいとするアイン・ランドの信念は、パソナ会長として安倍政権の産業競争力会議有識者委員をつとめ、労働者派遣法の大改悪をねらい、派遣労働者から強奪する改革利権をどこまでもむさぼろうとする竹中平蔵氏の姿にぴったり重なります。