靖国神社とは、元々、民主政の否定を掲げる思想宣伝の政府機関であり(伊藤博文ら明治政府がつくった「天皇現人神の新宗教」の総本山です)、本来の神社ではありません。...
生きている人間を神とし、その一族を神の家系とする宗教で、いまの言葉では「カルト宗教」ですが、それを国家権力を用いて全国民に強制したのでした(政府=国家神道は宗教ではなく習俗だという理屈で)。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/4199159bb5440a8ae09492a126259f63より転載
過去のBlogを少しまとめて、神社ではない「靖国神社」の実態を明らかにします。
靖国神社とは、元々、民主政の否定を掲げる思想宣伝の政府機関であり(伊藤博文ら明治政府がつくった「天皇現人神の新宗教」の総本山です)、本来の神社ではありません。
生きている人間を神とし、その一族を神の家系とする宗教で、いまの言葉では「カルト宗教」ですが、それを国家権力を用いて全国民に強制したのでした(政府=国家神道は宗教ではなく習俗だという理屈で)。
近代社会になり、このような古代の王制(王は神であり、時間も空間も王が支配する、ゆえに、王が死ねば時代名=時間も変わる)を敷いた国は、わが日本をおいて他にありません。
したがって、敗戦の時、昭和天皇の裕仁(ヒロヒト)は、世界に例のない「人間宣言」(わたしは神ではない)をする事態となったのです。
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信教の自由を元から否定する『靖国神社』は、恐ろしい存在(憲法違反)で、国内問題です。
靖国神社をめぐるいくつもの裁判で明らかになったように、靖国神社は、その教義で、個人の意思を認めません。
兵隊となり、また、嫌でも政府の命令で兵隊にさせられて戦死すると、靖国神社の思想に反対していた人も、みな日本国の軍神とさせられてしまいます。
この軍神は【集合神】だというのが靖国の思想なので、「分祀」は不可能なのです。
靖国を否定し拒否するクリスチャンも、真宗や浄土真宗の仏教徒も、哲学者も、個人の意思は完全に無視され、強制的に日本国家の軍神とさせられるのです。
個人の思想及び良心・信教の自由を否定し、政府=国家の命令を絶対とするのが靖国思想ですが、このような思想は、近代市民社会ではとうてい認めらるものではありません。
靖国神社の思想は、明白な憲法違反です。したがって、靖国問題の核心は、外国からの批判云々ではなく、人権=個人の自由の否定にあるのです。
こういう教義をもち、極めて政治的な思想(「日本の戦争は、すべて天皇陛下による聖戦である」)を宣伝している施設に、戦後民主主義下の政治家が参拝するのが許されないのは、当然です。
以上のわたしの説明=見解に批判のある方は、コメント蘭にお書き込みをお願いします。罵詈雑言の類のほかはすべて公開しますので、お名前を記された上で(ペンネームでも可)、ぜひ。
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ご存知ですか?「靖国神社」の恐ろしい思想を。ここでは兵士は眠れません。ーーぜひ拡散を!
靖国神社は、明治政府が明治2年につくった「東京招魂社」という【政府神道】の施設で、従来の神道思想(各地にある神社)を否定し、1853年のペリー来航以来の〈維新革命側の兵士のみを祀る施設〉です。10年後に名称を神社と変えましたが、その思想は、実に恐ろしいものです。兵士たちは、このような天皇現人神という国体思想の施設に祀られていたのでは、永遠に浮かばれません。もちろん彼らの御霊は、それぞれの家族の元にあり、天皇現人神というカルト宗教の場にはありません。こういう異様な戦前思想の反省がないならば、日本の政治的社会的営みは、すべて砂上の楼閣です。あまりに当然の話です。
以下は、靖国神社の理論的重鎮である小堀圭一郎 東京大学名誉教授の談で、靖国神社の売店で平積みで売られている宣伝用パンフレットからの抜粋です。
「 靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側(天皇)のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。
この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。
靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。
あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。
実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。
だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」
(1999年8月 小堀圭一郎・東京大学名誉教授)
また、靖国神社の遊就館では、明治以降の日本の戦争はすべて聖戦である、との映画をエンドレスで流しています。
(※もちろん、現天皇の明仁さんや皇后の美智子さん、皇太子夫妻は、このような思想を認めていません。)
武田康弘(元参議院「行政監視委員会調査室」客員ー日本国憲法の哲学的土台を講義)
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靖国神社の徳川宮司の発言が波紋--パンドラの箱を開けた!
以下の週間ポストの記事は、極めて重要です。
こどもたちの教科書にある明治維新の項目は、ひどく偏っています(例えば、NHKの歴史番組・ヒストリアでも伝えている伊藤博文の犯罪=国学者の暗殺、建造中の英国公使館焼き討ち=全焼、長州藩金からの多額の公金横領にはまったく触れず、聖人のごとく扱う)ので、公平・公正な目で日本史を見直し、単純な天皇史観から脱しないと、いつまでもわが国は、精神の後進国に留まります。
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※週刊ポスト2016年7月1日号
【靖国神社の徳川宮司の発言が波紋】
靖国神社が揺らいでいる。
来る2019年に迎える創立150周年に向けて徳川康久宮司が語ったインタビュー記事の発言が、波紋を呼んでいるのだ。
記事は共同通信社から配信され、加盟する一部の地方紙(静岡新聞6月9日付、中国新聞6月10日付)に掲載されたのみだった。ところが、地方でしか読まれないはずの記事が各界の識者の注目を集め、にわかに論争へと発展している。
徳川宮司は靖国神社が抱える課題や、神社の将来像について語った後、「明治維新を巡る歴史認識について発言していますね」という質問を受けて、自らの「明治維新史観」を開陳した。以下が宮司の発言だ。
〈文明開化という言葉があるが、明治維新前は文明がない遅れた国だったという認識は間違いだということを言っている。江戸時代はハイテクで、エコでもあった〉
〈私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった〉
一連の発言が波紋を呼んだのは、靖国神社創建の「原点」に関わるからだ。靖国神社のルーツは明治2年(1869年)に建てられた東京招魂社に遡る。
明治維新に際して、薩摩藩・長州藩中心の後の「明治政府軍」と徳川家や会津藩が中心の「幕府軍」が争う「戊辰戦争」が勃発。勝利を収めた明治政府軍が“官軍”、敗北した幕府軍は“賊軍”とされた。
この時、明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設のために命を捧げた官軍側犠牲者を慰霊顕彰するため、明治天皇が創建したのが東京招魂社だ。明治12年に社号が「靖国神社」と改められて現在に至る。
それゆえに、「賊軍vs官軍ではなく、東軍vs西軍」とする発言は、靖国神社の歴史観を揺るがしかねないと受け止められたのだ。
靖国神社にある遊就館に展示されている「錦の御旗」には、「戊辰戦争で官軍の象徴として使用された」との解説があるように、靖国神社の見解はあくまで、「明治政府軍=官軍」だ。
発言の背景には、徳川宮司の出自が関係している。徳川宮司は徳川家の末裔であり、“賊軍”の長であった15代将軍・徳川慶喜を曾祖父に持つ。徳川家康を祀った芝東照宮に奉職した後、靖国神社の宮司になった。「賊軍の末裔」が「官軍を祀る神社のトップ」に立ったわけである。
◆「大村益次郎像を撤去せよ」
「明治維新史観」の見直しは最近のムーブメントだった。昨年1月に発売された原田伊織氏の『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』(毎日ワンズ刊)がベストセラーになったことを皮切りに、半藤一利氏と保阪正康氏の共著『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社刊)など、明治維新の勝者の立場に立った歴史観を見直す論考が相次いで発表されている。
その流れで徳川宮司の発言が飛び出したことで、騒動が拡大しているのだ。著書で「薩長史観」を鋭く否定した原田氏は徳川宮司に同調するかと思いきや、意外にも「発言は中途半端」と手厳しい。
「明治維新当時、東軍・西軍という言葉はほぼ使われていません。徳川家や会津藩に賊軍というレッテルを張ったのは明らかに薩長ですが、その責任や是非を問わず、当時ありもしなかった言葉に置き換えて流布するのはおかしい。また、靖国の持つ歴史観を見直さないのは欺瞞です。“官も賊もない”と言うならば、まず靖国神社の境内にある大村益次郎(官軍側の司令官)の銅像を撤去すべきです」
そんな意見が飛び出すほど、今回の発言は衝撃だった。波紋が広がる徳川宮司の発言について靖国神社は、「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないとの発言と理解しております」と回答した。
宮司は150年間封印されていたパンドラの箱を開けてしまったのか。
※週刊ポスト2016年7月1日号
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今年(2016年)から初詣を辞めています。神社本庁が改憲勢力と関連しているとの疑いがあるためです。・・・