http://nikkan-spa.jp/1115266より転載
ごり押しで進む「巨大防波堤」の建設。地元住民の代替案も検討されず・・・
公共事業予算が増え、全国各地で費用対効果の怪しい事業が進行している。そんな「アベノミクス」のもとで進む、環境破壊をリポートした! 安倍さん、それって必要ですか?
巨大防潮堤が370kmにわたって海と陸を分断、漁業・観光も大打撃
「国土強靭化」を旗印に岩手・宮城・福島の被災3県で巨大防潮堤建設(総事業費8000億円)が進められている。総延長距離は370kmという、超巨大事業だ。
宮城県気仙沼市の漁民はこう話す。
「防潮堤は海岸の美しい景観を壊すだけでなく、陸から海への水の流れを遮断、森の養分が海へ流れにくくなって、牡蠣養殖など漁業への悪影響も懸念されます」
しかし、漁業振興を担当する水産庁も海の環境保全が責務のはずの環境省も、まともな調査すらしてないという。日本自然保護協会の志村智子氏はこう話す。
「防潮堤建設は、環境アセスメントの対象になっていません。その結果、漁業にどんな影響が出るのかがわからないまま、巨大防潮堤建設の“大実験”が行われているのです。海と陸を巨大防潮堤で分断すれば、何らかの悪影響が出る可能性は高い。それなのに水産庁は、漁港整備などハード事業には熱心ですが、防潮堤建設による水産業への影響には不熱心。諫早湾干拓事業も工事が完成した後、少し遅れて貝が激減するなどの影響が出てきました。三陸海岸でも同じ失敗を繰り返す恐れがあります」
気仙沼市で牡蠣養殖業を営む畠山重篤氏は、漁業振興にプラスになる植林活動を実践している。
「森の養分が海に流れ出ることが水産業にとって非常に重要。まさに海と陸を分断する巨大防潮堤を建設すれば、悪影響が出ないほうが不思議です」(気仙沼市の漁民)
⇒【写真】はコチラ(かつての小泉海岸)
http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1115393
気仙沼市小泉地区の防潮堤計画(事業費356億円。高さ14.7m)に対して、地元見直し派の阿部正人氏らは防潮堤に反対する安倍昭恵首相夫人などとともに、シンポジウム開催などに取り組んできた。阿部氏が強調するのは、「環境や景観破壊を避けられる代替案を提案したのに、きちんと比較検討されずに現行案のまま、ゴリ押しされてしまった」ということだ。
その代替案は、少し陸側に盛土をして建設される「国道45号線」と高速道路「三陸自動車道」に防潮堤機能を兼用させることで、豊かな自然が残る海岸に防潮堤建設をしないという内容だ。
「道路の盛土強化で防潮堤ができてしまうので工事費が削減されるうえに、湿地帯などの海岸の自然環境を保全することができるという一石二鳥の優れた案なのです。推進派は『見直すと復興が遅れる』と言いますが、代替案のほうが工事が少なくて済むので、建設業者の仕事量は減りますが、被災者にとっては完成時期が早くなってプラスなのですが……」(阿部氏)
阿部氏は代替案に転換することで、海岸に隣接する湿地帯などの一帯を保全、エコツーリズムの拠点にしようという構想も思い描いていた。’14年8月に小泉海岸バスツアーを企画した志村氏は、こう話す。
「小泉海岸は日本の海岸の原型のような豊かな生態系に移り変わりつつありました。海から見て、砂浜の次には海岸植物のエリアがあり、その次は湿地帯。そこには希少種の巻き貝も生息していました。そして、乾いた地面の陸地になっていく。子供たちは貝などさまざまな生物を見つけて大喜びをしていました。海岸の自然環境は、砂浜だけで成り立っているのではないのです。日本は世界で6番目の海岸線を持っているのに、自然の砂浜は10%ぐらいしか残っていません。その貴重な自然の砂浜が残る小泉海岸を潰して、巨大防潮堤を造ろうとしているのです」
⇒【写真】はコチラ(潰された湿地帯で見つかった貝類)
http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1115373
アベノミクスで公共事業費が急増し、建設業者が儲かる一方で、海の環境保全をしながら観光振興や漁業振興を図ろうとする人たちにとっては、海と陸の分断は死活問題だ。
日本の美しい自然に魅せられた東洋文化研究者のアレックス・カー氏は、こう嘆いている。
「防潮堤建設は、先進国では考えられない動きです。アメリカでは巨大ダムは基本的に造れない。それに対して、日本はダムや防潮堤の建設が進められている。非常に残念なことです」
― アベノミクスの[環境破壊]が止まらない! ―
栃木県・那須塩原市にあるベーカリー「パン・アキモト」。
戦後間もない1947年・昭和22年に「秋元パン店」として、今の場所にお店をオープン。昔から販売されている「甘納豆パン」が今も名物で、店舗だけ見ると、どこの街にもある普通のパン屋さんですが、実はこの「パン・アキモト」、ある商品を通じて世界に貢献しているのです。
それは・・・「パンの缶詰」
災害が起こった際の非常食として開発されたもので、というと、乾パンのような硬いパンを想像するかもしれませんが、これがまったく逆。
賞味期限は3年間ですが、その間ならいつ缶を開けても、焼きたてのようにフワフワで柔らかいパンが食べられます。
しかも味は何種類もあるので毎日食べても飽きません。
そう語るのは二代目社長の、秋元義彦さん・63歳。
秋元さんは、創業者のお父さんからお店を受け継ぎ、パンメーカーとして発展させましたが、この「缶詰パン」を開発したきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災でした。
現地で食料が不足していると聞いた秋元さんは、少しでも役に立てればと、震災直後の神戸に、無償で2千食の食パンや菓子パンを送りましたが、その後知らせを聞いて愕然とします。
震災が起きて、すぐにパンを送ったんですが、あちこちリレーして送ったので、被災者に行き渡る前に、半分ぐらいが傷んで廃棄処分になった、というんです。
ショックでしたねぇ・・・。
日持ちがして、時間が経っても柔らかく風味が変わらない、おいしいパンはできないだろうか?
秋元さんは、被災者の意見も聞き、あれこれ考えた末に思い付いたのが「パンの缶詰」。さっそく開発に取りかかりましたが、実際に作ってみると、いろいろ難しい問題にぶつかりました。
パンを焼きあげてから缶に詰めれば雑菌が入り込む可能性があり、品質が損なわれてしまいます。何とか、焼きたて、フワフワのまま缶詰にできないだろうか・・・? そこでひらめいたのが、
そうだ、缶の中にパンの生地を入れて、加熱殺菌しながら焼いたらどうだろう!
殺菌はうまく行きましたが、今度は、新たな問題が起こります。パンが焼き上がったあと、缶のフタを閉める際、中である程度の湿度を保たないと、パンが「しっとり」しないのです。
しかし、水分が多すぎると、中でカビが発生して、パンがダメになってしまいます。保存性の高さと、しっとり感・・・相反するこの課題も、熱に強く、湿度の調節にも適した特殊な和紙を見付け、ベーキングシートの代わりに、缶の内側に敷くことで解決しました。
その他にも、様々な難題があり、途中、何度も挫折しそうになりましたが、励みになったのは、被災地・神戸からの声でした。
パンの缶詰、いつできるの? 楽しみにしてるから、あきらめないで頑張りなよ!
1996年秋、ついに、3年間風味と柔らかさが変わらない「パンの缶詰」が完成したのです。
さっそく、多くの企業や団体、学校、災害を経験した個人が非常食として購入してくれましたが、ある自治体から、賞味期限が過ぎた缶詰の処分を依頼されたとき、秋元さんの中に、どうしても割り切れない思いが残りました。
災害用の非常食は、本当は食べずに済む方がいいんです。だけどパン職人としては、せっかく作ったパンが食べてもらえず捨てられるのは、何ともしのびないんですよね…
そんなとき、2004年にスマトラ島沖地震が起こり、津波で沿岸諸国に大きな被害が発生しました。被災地のスリランカにいた知人から「売れ残ったパンの缶詰があったら、送ってくれないか?」と依頼を受けた秋元さんは、これをきっかけに、あるアイデアを思い付きます。
それは「救缶鳥(きゅうかんちょう)プロジェクト」
パンの缶詰を購入した人から、賞味期限が来る1年前に前倒しで回収。それを下取りし割引価格で新しい缶詰を買ってもらいます。
回収したパンの缶詰は、飢餓に悩む世界の国々に、NGO団体を通じて寄付。
救缶鳥プロジェクトの缶には「メッセージ欄」があり、パンを受け取る側にメッセージを入れることもできます。
購入する側は、国際貢献ができ、新しいパンの缶詰を割引で買うことができます。寄付を受ける側はおいしいパンが食べられますし、パン・アキモトも新しく商品を買ってもらえるので、誰も損はありません。さらに、大災害が起こったときは、被災地にすぐパンの缶詰を送るシステムも作り上げました。
東日本大震災の際は、那須塩原のパン・アキモトも工場が被災しましたが、直後にパンの缶詰を1万5千食、被災地に送り、秋元さんは今でも、毎月社員と一緒に被災地応援に行っています。
先月の熊本地震では、2度目の大きな地震が起こった朝に、ワゴン車に積めるだけのパンの缶詰を積み、翌日にはまず1800食を届け、これまで、すでに2万食を送っています。
救缶鳥プロジェクトは、 寄付やボランティアが盛んなアメリカでも好評で、今後は、海外のパン屋さんでも展開してもらえるように、支援していきたいと思っています。
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE & MELODY 2016年5月14日(土) より
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株式会社パン・アキモト | パンの缶詰を販売している栃木県那須高原に ...