第弍什弍話 群
砂糖を溢したことに気づいてないと、いつのまにか蟻が群がることがある。
それは、役割分担した蟻のなかで、人間が勝手に働き蟻とカテゴライズした蟻達の仕業である。
働き蟻が運んだ砂糖は巣に運ばれて女王蟻、これも人間の勝手な命名なわけだか、その女王と女王を世話する蟻、巣を整備する蟻、女王が産み落とした卵からふ化したまだ役割を持てない蟻達への食料となる。
すなわち働き蟻は、蟻達の生死に関わる重要な担い手だということである。
「大丈夫だっていってるじゃないか、大学には余る程、金があるんだよ、君にもこれまで以上に回せるから、俺の言う通りやればいい、書類を書き直させる事務方にも金は握らせてるんだからな」
「はいはい、頃合いを見計らってるだけですよ、トリイさんを信用してないわけじゃないでいすから」
「じゃあ、なんでそんな、前はトントンって進めてたじゃないか」
「おかげ様で昇進したんですよ、だから会社のなかでの動き方も変わったものですから」
「そうだったね、サクラ君昇進したんだったな、じゃあ昇進祝いで、君に回す金、上乗せしようじゃないか」
サクラの目論みは怪しまれなかった。
このトリイという男は、ある大学の学術研究促進室の長であり、直接、学生教育には携わらず、かつ、大学のなかの重要な部署とは位置づけられず、教授会の直下の部署である。しかしながら、裏では学長の直接的な駒で、事務部門より格上の位置づけが成されていて、学長と共に私腹を増やしていた。
実際には学長と新規事業、例えば、高額な研究機器の購入や研究施設の改装、影響力のある研究者の入職や客員教授としての辞令を出す時等は、密会し、学長へ金が流れるように、若しくは、立場が揺るがないような施策を企てていた。すなわちトリイは学長の右腕的な働きをしており、大学上層部の均衡が学長に有利な形をつくる担い手である。
一方サクラは、学校法人の運営コンサルト会社に勤務しており、学校運営の経済面を改善させる手腕に長けている。トリイとサクラは自然に距離が縮まっていった。いわゆる、類は友を呼ぶといった具合で互いに距離を縮め仕事をするようになっのだ。
「室長、経理の経費管理担当主任のカタヤマさん、落としましたよ」
「仕事が早いね、イイダさんは」
トリイと秘書のイイダが学術研究促進室が開設された頃の会話である。
「それでですね室長、落とすのにかなりお金が必要だったんです、彼女はレズビアンでですね枕営業的になってしまってて、まぁ、彼女の秘密を握れたので仕事はスムーズにいくと思うんですが、次の私のお手当、考えてて下さいます」
「弱みを握れて安泰じゃないか、でも、実際の仕事は君がしっかり教え込まないと、成果を出さないことにはなぁ」
「やっぱりそうなんですか、私は嫌なことをしてるんですよ、少しは今すぐ」
「ハハハ、そうかい、嫌いだなんて、沼にハマるんじゃないぞ」
トリイは一万円札を五枚、財布から取り出してイイダに手渡した。
「すみません、無駄遣いが嫌いなものですから」
トリイの側近達は金に群がる者ばかりである。
「サクラ先輩、ひとりだけ出世してトンズラですか、僕の協力はもう要らないのですか」
「サガリ、早い追い込みだな、大丈夫、お前の協力なしに仕事は進まんさ、地位と環境が変わったばかりなんだ、これまでみたいに直ぐ仕事を始められないじゃないか、わかるだろ」
「そりゃ先輩の都合でしょ、俺の都合とは違うんですから、蓄えから少し回して下さいよ」
「まぁそうだな、一〇本でいいか、とりあえず」
サクラとその手下のサガリとの会社エレベーターでの会話だった。
サクラの協力者は歳下であるが、シビアな関係性だった。それが信頼度を高めていた。
「サクラ君、体制はどうかね、こっちは明日にでも学長の稟議が降りるぞ」
「大丈夫ですよ、研究施設の新築って凄いですね、それとトリイさんとこの大学は強いですね、ありがたいですよ、機材を入れる会社だけでも懐が充分温まるのに、ゼネコンまで巻き込むなんて、ウハウハじゃないですか」
「だから、狙っていたんだよ、うちの大学は学生や卒業生も金を持った家柄で、運動部は何人もオリンピアンを輩出してるからな、俺は武者振るいが止まらないよ」
サクラが調査した研究施設の新築に関わる様々な大企業はほぼ全て汚点があり、日々それを隠蔽する活動を行っており、裏金を学長へ回させる手筈は簡単なものだった。まるで、そらに必要な金を前以て準備してるかのような状況だった。合計すると、一〇億円もの金が学長の懐に入り、その中から三億円がトリイへ、更に、そこから一億円がサクラに下りることになった。
しかし今回は、それが逆転してしまうことになった。正確には、サガリが一〇億円を分取り、サクラと四億円づつ山分けし、二億円しか学長とトリイには入らないことになったのだ。
「トリイ君、どういうことかね、何故、君の手下達が金をすくめたんだ、そいつら許さないぞ」
「すみません、甘くみてました、あの連中を、こちらの急所を握られてしまいました」
学長は怒りが頂点へ達していた。
「トリイ君、私はね、金額じゃないだよ、あんな雑魚に出し抜かれたことに怒りを覚えるんだよ、お前が何とかできんのか」
「すみません、今回ばかりは私の手に負えかねます。」
「私には君が必要だ、君には奴らが必要かもしれないが、新しい兵隊を探すんだな、私の力を思いしらせてやるまでだ、今回は一億で目を瞑ろう、次は失敗するんじゃないぞ」
数週間後、学長はサクラとサガリへヒットマンを送った。
数ヶ月後、サクラは高層ビルから飛び降りたように、左右の靴で遺書が押さえられてる痕跡をそのビルの屋上に施し、サガリは山奥のダムの貯水池へ身を投げたように見せかけ、そのダムへ向かうためと考えられる車のなかに遺書を残す手筈を取った。二人は、多忙により心を病み、自らこの世と訣別した形で遺体となってみつかった。また、トリイは命に別条はなかったものの、精神病院へ長期入院することとなった。
「イイダ君、君がトリイ君の後任だ、宜しく頼むよ、もう老後の心配はないな」
学術研究促進室の室長になった、カタヤマと二人で学長室で辞令を交付されたイイダはそれを受け取りながら、学長の声を受け止めた。
人間は蟻と違い、必要以上に糖蜜に群がるようである。
蟻と同じように、命がけで群がるようだ。その、命がけという意識を持たないままに。
終