K.H 24

好きな事を綴ります

長編小説 分かれ身 ⑤

2021-10-25 03:37:00 | 小説
第伍話 予見
 
「お疲れ様です、全て今日で分かるわけではないのですが、ほぼ死因は分かりました」
 司法解剖室から博子が出て来ると、窓の外は明るくなっていて、小鳥の囀りが聞こえていた。睦美の母、紀子以外は博子が開閉した扉の音で目を覚ました。
「先生こそ、お疲れ様でした」
 紀子は真っ先に労った。
「あっ、先生、もう朝になっちゃったんですね、すみません」
 愛優嶺は眠気まなこで目を擦りながら一時の安らぎ終えた。
「では、会議室でお話ししましょうか」
 解剖室の出入り口の傍には、ふたり掛けの長椅子しかなく、そこにいちばん近いところに紀子が座り、その隣りに獏之氶、その端の下の壁とにもたれて座り込んでいた愛優嶺、壁だけにもたれた美佐江も床に座っていた。
 丁度その時、助産師の里美が私服姿で駆けつけた。
 
「司法解剖させて頂いた結果なのですが、執刀医は万木(まき)先生がさなって下さいました。それでですね、恐らく、脳出血が死因と思われます。といいますのは、脳は頭蓋(とうがい)骨内で髄液に浸っている状態で保護されております、それは脳実質は凄く柔らかい状態であるためです、頭蓋内から取り出した直後は扱いが難しいのです、一度ホルマリン固定する必要があります、ですから、脳のどの血管から出血したかは後日判明します、ですが、脳を取り出した時、明らかに小脳下部に大出血の血腫が目視できました、後頭葉下部からの出血と予測できます。その血腫が脳幹を圧迫したものと考えおります。」
 博子はホワイトボードに脳のイラストを書きながら説明した。
 
「先生、むっちゃんは、やっぱり苦しんで死んでいったんですか」
 愛優嶺は博子の話がよく分からずにいて、辛抱できなくなり思わず大きめな声を出した。
「出産は私も経験ありますが、苦しいものです、恐らく、六田さんもそのきつい思いはなさったと思います、しかしながら、脳内出血の経験がありませんので、それに対しては分かりかねます」
 博子がそう答えると、数秒間、鳥達の囀りが響いた。
 
「話を戻しますが、脳幹が血腫に圧迫されると、基本的な生命維持機能が破綻してしまいます、今のところ、予測を含めてですが、ここまでのことはお話しできます、ご了承下さい、私はまた病院へ戻ります、みなさんも一旦、ご自宅へ戻られて身体を休めて、今後のことを考えましょう、六つの新しい命は輝き出しました」
 
 博子は里美が運転してきた車で病院へ戻った。
 
「我々も一旦、戻りましょうか」
 獏之氶が促した。
「ここからだとお母さんが近いでしょ、獏さん、お母さんちもよって帰ろう、ねぇ、お母さん、乗ってってね」
 愛優嶺達も大学を後にした。
 
「産河さん、会議室では脳の話しかしなかったけど、六田さん不思議なのよ、それ以外は何の異常も見当たらないの、心房や心室には血餅がなかったの」
「珍しいですね、じゃあとても綺麗な心臓だったんですね」
「脳を切らないと分からないだろうなぁ、病理でも診てくれって伝えたんだけど」
「時間がかかるかもしれませんね、あっ、六子ちゃん達は元気でしたよ、六田さんのお母さん、どう考えてらっしゃるのですかね」
 博子と里美は今後のことを話し合ってた。
 
「信じられないというか、悲しいのは確かなんだけど、夢心地な感じで、上手くいえないな」
「紀子お母さん、やっぱり、六田家には、何か事情があるのですか、それと、この手紙、どうしましょう」
「はい、深い事情があるんです、とても長い話になるので、もう少し落ち着いてからにしましょ、それと、子供達のことなのですが、古謝さんと河井さん、養子にできないですかね、ご家族で検討して欲しいなって思ってます、私独りでは育てあげられません」
「紀子母さん、はっきりと仰いますね、でも、そうですよね、このままだと施設に入るんですかね、それが悪いとは思いませんが、どっちがいいんですかね」
 悲しみも束の間、愛優嶺達は産まれてきた六人の今後を話し合った。
 
 まだ、朝でも暑さが残っており、熱帯夜も相まってエアコンが必要な日々が当分続きそうだと誰もが思う猛暑であった。この身体的苦痛と日に日に悲しみを実感していて、この苦痛から逃れるには仕事をして、お客さんの笑顔で癒されたいと思う愛優嶺は、襟を正し、腹を括ってカフェ風定食屋を再開することにした。愛優嶺は一心不乱に職場着に身を纏い三日振りに店を開こうとしていた。
 
「獏さん、また宜しくね」
「勿論ですよ、お客様に旨い料理を食べてもらいましょうや」
 獏之氶はいつもと変わらない態度で愛優嶺に接した。
「おはようございます。今日は忙しくなりそうですよ」
 美佐江も出勤して来た。
 すると、店の電話がなり、美佐江が出てみると、紀子からだった。今日、仕事終わりに話をしないかという申し出だった。一度、三人で顔を合わせると、誰も嫌な表情ではないことを美佐江は確認し、それを了承した。
 
「こんばんは、お疲れ様です、差し入れ持って来ましたよ」
 美佐江が最後の客の会計をしていると、紀子が現れた。
「こんばんは、紀子お母さん」
 愛優嶺が笑顔で迎えると、獏之氶と美佐江も笑顔を向けた。最後の客のが店を出ると、美佐江は食器を片し、それを獏之氶が洗い出した。
「紀子お母さん、何、それ」
「赤ワインよ、今日は私、リラックスして話したいから、グラス一杯でいいんだけど、みなさんいけますよね」
「仕事終わりのワイン、いいですね」
 直ぐに美佐江が嬉しそうにした。
「紀子さん、お食事は」
 獏之氶がそう聞くと、紀子は済ませて来たと答え、つまみでチーズを出すといい、冷蔵庫を開いた。
「獏さん、ありがとう、お母さん、これぐらいのグラスでいい」
 この店にはワイグラスがなく、愛優嶺は脚のついたゴブレットタイプのグラスを出した。
 
 ひとつの四人掛けのテーブルには、赤ワインと四つのグラス、皿に盛られた五ミリ程の厚さで長方形のチェダーチーズがキラキラしていた。
 
「みなさん、疲れてると思うのですが、早速、六田家のこと、話しますね」
「お母さん、この手紙、どうしましょ」
 ずっと美佐江が睦美から預かっていた手紙を出した。
「なんとなく察しがつくので、私がタイミングをみて開けましょね」
 美佐江達三人は頷くだけだった。
「実はですね、六田家は、武家の末裔なんです、私も結婚して初めて聞いたんですけど、江戸時代の寛永一〇年に、徳川家光が六人の家臣を側近で仕えさせたのが六人衆って役職があったようで、でも、その役職は一四、五年で廃止になったみたいで、その六人のなかの四人が上の位へ昇進したかららしくて六田家の血筋の人は、昇進出来なかったみたい、で、その四人を含めて数名の人達が若年寄(わかとしより)って呼ばれるようになったみたい、その若年寄は、年齢が若いんだけど老け顔だったり、若いのに年寄りみたいな考えを持つ人達だったっていわれてて、若年寄になれなかった六田家の人は、そんな風貌だったり、老いた考え、どちらか分からないけど、周囲の武家や家臣の人達は勿論、民衆にも毛嫌いされて、一家で山奥へ逃げるように隠れ住むようになったみたい、その時に六田へ苗字も変えようです」
「へぇ、何で出世できなかったんですかね」
 少し、赤ら顔になった愛優嶺は遠慮なく聞いた。
「そこまでは分からないんだけど、徳川幕府は安泰だったでしょ、だから、そこでの出世争いが酷かったのかもしれませんね、それで、六田家の人達は、幕府に復帰できるように剣術や武術、勉強を一生懸命頑張ったみたいなの、でも、それは認められずにいたみたいだけど、六田家の人達は、何とか自分達の存在を知らしめるために、人の域を超えた能力を手に入れようと必死になったみたいです」
「凄い歴史を持ってるんですね」
 美佐江は関心した。
「後は、六田家は神武天皇、日本の初代天皇ですけど、その人の側近の一人の血筋を継いでいるっていわれてて、山に籠って鍛錬を重ねてると、その神武天皇に仕えてた時の能力が覚醒したともいわれてるの、けど、それがどんな能力なのかは謎、ただ、確かな言い伝えとして残ったのが、六田家に災いが訪れると、六田家の血筋の女性が六子を産むってことがあるの、これは、三年前に亡くなった主人、睦美の父親が残した古文書で、この部分だけ、現代文が添えられていて、〝六田家に災いが起こる時、血筋を持つ女人が六子を産み、その子らに救われるだろう〟って文章と実際に六子を産んだ人の名前と年号、年月日も綴られているの」
「えっ、本当だ、〝元禄二年七月、睦瑠子(むるこ)が六子を出産〟〝大正一三年〟ん」
「愛優嶺さん、その一四、五年後に大東和戦争が始まると思います」
 紀子が出してきた古文書の現代訳を愛優嶺が口に出して読んでると獏之氶は付け加えた。愛優嶺は驚き、信憑性を持ち始めた。美佐江は両手で口を押さえ、動きを止めた。

「美佐江さん、睦美からの手紙、見ましょうか」
 紀子の顔も薄っすらピンク色に染まってきていた。
 
 その手紙には、紀子が話した内容が簡潔にまとめられていた。
『私は、今回の出産に自信がありません。どうか美佐江さん、母が仲介に入ると思いますで、六人の子、全員が元気に産まれてくるかどうか分からないのですか、愛優嶺さんにも協力して頂いて、育ての親になって欲しいです。養育費は亡くなった父が残していますので、ご心配なさらないで下さい。お願い致します。ひとつだけ、必ず守って欲しいことがあります。それは、子供達の名前です。長女は慈由无(じゅん)、次女は迦美亜(かみあ)、三女は釈亜真(しゃあま)、四女は巫那(きねな)、そして長男は拳逸楼(けんいちろう)、次男は剣侍狼(けんじろう)と名づけて下さい』との文章も綴られていた。
「むっちゃん全て知ってたってこと、この子達、不幸な人生を送るのかしら」
 美佐江がその文章を読み上げると、愛優嶺は自分で感じたことを即座に口にしてしまい、閥が悪い表情を見せた。
「大丈夫よ、この子達が解決してくれますから」
 紀子はその前にこの子達が六田家の救世主的な説明をしたつもりで、愛優嶺にはそれが通じてないと思い、慌てて即答した。
「手紙にも書いてましたが、私が養子にして、愛優嶺さんと美佐江さんご家族で育てて頂いて、勿論、私もお手伝いします、養育費は主人の兼光の遺言で残っておりますので、ご心配なく」
 美佐江が最後まで読み終えると、全員が静まり返った。紀子以外には衝撃的な内容だったのだ。そして、紀子が三人に目配せして、兼光の名前の預金通帳と子供らそれぞれの名前が刻まれた通帳をテーブルに広げた。
「こんな大金、全部九桁よ」
 再び、愛優嶺は我を忘れた。
 
 こうして、経済的側面が心配要らないことを告げて、愛優嶺と美佐江に育ての親を引き受けてもらうことになった。

「獏さん、一緒にやらない、私一人じゃ、子育て、心細いわ」
 子供を引き取る一週間前に、愛優嶺は獏之氶へ縋った。
「えっ、でも、そうですね、私は愛優嶺さんが心配でした、分かりました、居候させて下さい」
「獏さんて若年寄よね、居候なんて、父親役をお願いします、私達二人の子供のつもりで育てていきましょ」
 獏之氶はプロポーズを受けた気分になり、顔を紅潮させて何度もお辞儀をした。
 一方、美佐江の家族は、反対する者は一人もいなかった。特に、一太と小二郎は弟や妹ができると大はしゃぎした。
 
 続