K.H 24

好きな事を綴ります

長編小説 分かれ身 ②

2021-10-19 06:49:00 | 小説
第弍話 誕生
 
 睦美の陣痛が始まり、いよいよ新しい命が誕生しようとしていた。それも、六つもの命が。
 
「河井さん、立ち合いますか、長時間になると思いますが」
「先生、宜しくお願いします」
 病棟のデイルームで、無事な出産を待ち侘びる愛優嶺と美佐江、獏之氶のところへ産科医の博子が顔を出した。
「分かりました、この方々も職場のお仲間ですね」
「共同経営者の古謝といいます、先生宜しくお願いします」
「高松です、調理師です、睦美さんを宜しくお願いします」
 愛優嶺と獏之氶は硬い表情で挨拶した。
「はい、ご丁寧に、みなさんご自宅に戻られててもいいかと思いますよ、もしも、何かあった場合や出産が終わりましたら河井さんに連絡しますので、では」
 博子は冷静に分娩室へ向かった。
 
「えっ、なんで美佐」
 愛優嶺は美佐江と博子の親しげな会話に驚いていた。
「実は、睦美さんに付き添って何度か町田先生の診察に付き添ったことがあって、睦美さんに頼まれて」
「睦美さんの優しさですね、愛優嶺さんや私に心配させまいと、ずっと、気を遣って下さってたのですね」
 三人はそんな会話をしながら、ゆっくり一歩一歩、病棟を後にした。
 
「みなさん、お腹空いてませんか、私、作りますよ、愛優嶺さん食材がだいぶ残ってますが」
「そうたよね、明日もお店閉めないといけないもんね、もう何時、三時か、美佐んちはちびっ子はそろそろ学校終わるでしょ、七助さんは仕事、何時に終わるの」
 病院の駐車場で車に乗り込むと獏之氶が話し始めた。
「一太(いちた)と小二郎(こじろう)はもう学校終わってて、おばあちゃんちにいると思います、うちの人は今日は五時半に終わると思います」
「獏さん、今日は鯖だっけ、それは全部煮込んでさ、美佐のご両親にお土産で持って帰れるようにしよう、だからさ、美佐ちのみんなも一緒にお店に連れといで、多勢で食べたほうが楽しいしさね」
「私も賛成」
 愛優嶺は瞬時に、今日仕入れた食材で日持ちしない鯖を思い浮かべて機転を利かせた。
「はい、ありがとうございます、あの、実は睦美さんから預かっているものがありまして」
 美佐江はいいずらそうだった。
「へぇ、まだ、隠してることあんの、いやぁ、ちょっとショックだけど、仕方ないわね、むっちゃんが気を遣ったんだから、水臭いなぁ、うん、分かった、今見なくていいでしょ、美佐も気ぃ遣わないでね」
 愛優嶺は裏切られたとは思わずも、お局にされた気分になり、車中はラヂオさえつけず、冷房機の風の音だけになった。
 
 定食屋に車が近づくと、先ずは美佐江の自宅へ向かった。歩いて五分もかからない近所に位置していて、獏之氶が気を利かせ美佐江の両親の顔を見ようと考えていた。というのは、美佐江の両親は愛優嶺のことも実の娘のように接しており、愛優嶺もそれが嬉しくて仲が良かったのだ。
 
「あら、あゆちゃんも来たの、獏ちゃんまで」
 車を美佐江の自宅へ横付けすると、玄関前に水撒きしていた美佐江の義母のヨネがいた。
「お母さん、今朝、睦美さんの陣痛が始まったんです、みんなで病院へ送って行ったんですけど」
「そうなの、六子なんだって、だから時間がかかるみたいでね、お母ちゃん達も晩ご飯、食べに来て、鯖があるの、足が早いから食べてもらいたいんだけど」
 愛優嶺はいくらか明るさを取り戻し、美佐江もそれを見て安堵した。
「いいのかい、獏ちゃんがこさえてくれるの、嬉しいねぇ」
 美佐江の夫の七助はひとりっ子であるが、ヨネが三回流産した後に産まれた子で、美佐江は勿論、近所の七助と同年代の人達、その子供達にも我が子のように愛情を注ぐ深い慈愛を持つ人だった。
「はい、腕によりをかけて調理致しますので、お食べにいらして下さい」
 獏之氶の空気を変えようと考えた作戦は見事に的を得た。
 
「獏さんありがとね、あなたまで気を遣わせてしまって」
「何を仰います、睦美さんがレシピ作りだけにまわって、愛優嶺さんがその分の仕事、熟してらっしゃったじゃないですか、だから、睦美さんと美佐江さんは気をお遣いになったんだと思います、もうひと頑張りですよ」
「そうだね、獏さんも優しいね、そろそろむっちゃんが産休の間、戦力になる人探さないとね」
 定食屋に着き、愛優嶺と獏之氶はお茶を一杯飲みながら、そんな話をし、厨房へ入っていった。
 
 一方、病院の分娩室では睦美と共に、助産師の里美と産科医の博子が奮闘していた。
 本来ならば、産科医は出産直前に分娩室へ入ってくるが、睦美の多胎妊娠(たたいにんしん)はこれまでに例のないもので、一卵性で一絨毛膜六羊膜(いちじゅうもうまくろくようまく)なのである。
 要するに、一つの胎盤に六児の臍帯(さいたい)が繋がっていて、それぞれ六つの小部屋に仕切られている状態である。なので、博子は日を設けて胎児達の発育状況を勘案して帝王切開を勧めたが、睦美本人はそれを拒否し、可能な限りまで自然分娩を進めて、危険性があれば帝王切開へ切り替える分娩方法を要望した。
 
「はい、深呼吸して下さい、陣痛が来たらまた、押し出すイメージでお腹に力を入れます、はい、力を入れて、もっともっと、力んで、そうそう、その調子」
「うう、んん、うう」
 睦美は普段のような会話が出来ないでいた。しかしながら、里美の指示は忠実に聞けていた。
 それを見ていた博子は自然分娩が成功するかのように思えていて、驚いた表情で腕組みしていた。

 今朝の偽陣痛から一二時間後、ひとりの女児が産声をあげた。その三〇分後、二人目の女児、更に、一時間後、三人目の女児が娩出された。里美は博子に笑顔で目線を送り、博子も笑顔を見せた。二人は自然分娩で六児が誕生することを期待した。
 
「はあ、はあ、うう、ぎああ」
 とてつもない雄叫びのように変わった睦美の声は四人目の女児を産み落とした。同時に睦美は意識を失った。三女が娩出されて三時間が過ぎようとした時だった。
「六田さん、聞こえますか、六田さん」
 里美は大声で睦美を呼んだ。
「手術室に移るわよ、急いで徐脈になってるわ、アドレナリンとリドカインを準備してて下さい」
 博子は看護師に指示した。
 
 手術室で残りの男児二人を取り上げ、胎盤の処理と術巣を縫合し、一段楽ついた時、突然、睦美の心拍は止まった。意識をなくして三時間後のことだった。
 
「アドレナリンとリドカイン持って来て」
 博子は冷静に睦美の蘇生を始めた。
「六田さん戻って来るのよ、頑張ってよ、あなたの子供達は元気に産まれて来たのよ、戻って来るんだぞぉ」
 博子は喉が潰れる程の渾身の大声で睦美を呼び戻そうとした。
 
 続