第壱話 螺子職人の男
他界した両親から受け継いだ螺子(ねじ)工場の経営が安定するまで走り抜け、年号が替わることへ特に、興味を持たない男がいた。
時折見かける仕事人間で、彼が何故、そこまで仕事にのめり込むのか、真意を知る者は身近な者以外、誰もいなかった。
更には、趣味も持たず、孤独であることを無意識に楽な生き方だと、若しくは、それが自分自身であると感じていた。
その工場の事務方は、亡くなった父親の妹にあたる伯母とその娘が担い、昼と晩飯は、伯母らが作ってくれていた。
お得意さんからの急な発注をお願いされない限り、日曜日だけが唯一の休みで、その休日は、昼前に目を覚まし、缶ビールで喉を潤し、テレビを見ながら晩飯時までチビリチビリと酒を呑み、風呂に入って床に着く、といった過ごし方が殆どだった。月に一度くらいはパチ屋に二、三万円捨てにいき、三ヶ月に一度くらいは近くのショッピングモールで、日常的な消耗品を買い揃えたりした。
しかしながら、年に一、二度はパチ屋で大金を手にする事があった。そんな時は女性の身体の温もりを目当てに風俗店へ出向いたりもした。
つまり、仕事はとても熱心で、取り引き先からの品質的評判は良いが、無趣味の上、無口で、プライベートで何か真新しい事を探そうとかを一切しない面白味の無い人間だった。
「影親(かげちか)、昨日は呑み過ぎたの?顔色が良くないよ」
事務全般を担う伯母の睦美(むつみ)がある月曜の朝にそう聞いて来た。
「うん、呑み過ぎたかも」
景親は面倒臭そうに答えた。
「景親兄さん、そんな生活ばかりだと、一気に老け込むよ。こないだ、折角、紫織(しおり)さんを紹介してあげたのに、あれっきりでしょ、LINE交換したのに、私に興味ないみたいって、紫織さんに怒られちゃったんだから、いい加減、婚活したら」
睦美の娘で、影親の従兄妹にあたる夏菜子(かなこ)が嘆いた。
「ごめん、紫織さん、俺には勿体無いよ」
夏菜子に顔も向けずに無表情で影親は棒読み口調だった。
この男、三六歳にして独身、珍しくも何ともないが、父親を肺癌で亡くし、その二年後には、母親が膵臓癌で他界した。その両親が残した小さな町工場、笹山螺子(ささやまねじ)工場を継いでいた。
その両親から相続したのは工場とその土地、保険金が入って来た。それを全て工場の設備投資に使った。そして、ただの手伝いで来ていた夏菜子にも給料が払えるようになった。
そして、その地域の中学校の職場体験を引き受ける事も始めた。螺子職人を育てたいことが理由だった。
「睦美さん、夏菜ちゃん、社長は頑固だよ。先代とそっくりだ。俺と金(かね)さんの後釜を探さないと、自分の事は何もしやしねぇと思うよ、だから、社長の嫁さんより、働き手から探してやんないと」
影親が物心ついた頃から、この工場に勤めて、影親の師匠的な立場でもある湯浅卓造(ゆあさたくぞう)が睦美親子にそういった
「それは分かってるけど、ねぇ、夏菜子」
睦美は渋い表情を見せた。
「でも、卓さん達は、あと一〇年くらいはイケるでしょ。景親兄さんはもう直ぐ四〇で、あっという間に五〇になっちゃうよ、急がなくちゃ」
夏菜子は景親の今後を心配してた。
それは、夏菜子が若くしてシングルマザーになってしまったことを影親が思慮して、給与が入るようにした事に恩を感じていたからだった。
「大丈夫だよ、あんなに気配りが出来る人だ。ボーッとしてるように見えてもな、取引先とは上手くやってるからな、時期に良い人が見つかるさ、それとも、夏菜ちゃんが嫁になるか」
卓造の話しの中に出て来た〝金さん〟こと、金子良光(かねこよしみつ)が夏菜子を揶揄った。
「何言ってんですか、金さん、冗談はよして下さい。」
夏菜子は頬を紅潮させた。
その頃、影親はトイレの個室で腹痛を冷や汗をかきながら耐えていた。〝俺も癌になっちまったのかよ〟と思い、身体の変調を誰にも気づかれないようにしてた。
影親は、半年前辺りから徐々に腹痛が強くなっていた。そろそろ隠す事に限界を感じてた。何とかこの日は仕事に影響なく過ごす事が出来た。だが、翌日、昼前に腹を抱えて蹲(うずくま)ってしまった。
「社長、どうした、大丈夫か」
それを見た卓造は工場の機械音に負けないくらいの大声を出した。そして、事務所から夏菜子が飛び出して来た。事務所のドアが勢いよく閉まると、工場内の機械音がゆっくり静まっていった。
「多分、親父かお袋と一緒じゃないかな。坂本先生に体調気をつけるように言われてたから、二人とも似た病気で死んだからさ、そこら辺、遺伝するかもとかだろうよ」
卓造と夏菜子に抱えられ、事務所の中へ入り、来客用のソファーの肘掛けと背もたれの間の隅に頭を突っ込んで、痛みに堪え、五分ばかり動けないで居て、顔が挙げれるくらいまで治って口にした影親の言葉だった。
「社長、じゃあ病院に行った方がいいよ、救急車呼ぶぞ」
その言葉を聞いて良光が言った。
「影親、お水飲んで」
ほぼ同時に、お茶碗の六分目くらい水を入れて来て睦美が差し出した。
「睦美伯母さんありがとう。救急車はいいですよ金さん、明日、坂本先生のとこ行ってきますね、だいぶ楽になりました」
影親は楽そうではないが、みんなの気遣いが嬉しくて身体を起こし、ソファーに背をもたれ、お茶碗の水を少しだけ口に含んだ。落ち着くと、両親の主治医だった坂本(さかもと)医師が勤務する北山(きたやま)病院に予約を入れようと電話をかけた。
その病院は、公立の総合病院であるため、近所の診療所で紹介状を書いてもらい来院するよういわれた。嘗て、両親も診てもらい、坂本医師に紹介してくれた西山(にしやま)内科クリニックに行くことにした。既に、正午近くまで経っていて、午後の診療開始時間の一四時に間に合わせて工場を出た。
西山内科クリニックで診察を受けると、院長先生は直ぐ北山病院に電話を入れてくれて、明日の朝一で診察する手筈を調整してくれた。
「影親君、もう少し早く来ればいいのに、半年も我慢してたのかい、でも、明日は坂本君に診てもらえるからね、身体、大事にしてよ」
西山院長は、影親が幼い頃から知っていて、かつ、坂本医師の先輩にあたり、鶴の一声的な効果を発揮させて、北山病院に有無をいわさず坂本医師の診察へねじ入れてくれた。とても患者想いの町医者である。
翌朝、七時半には北山病院に着き、受付を済ませ、腫瘍内科の受付前の待合のソファーに腰掛けた。
丁度、八時に看護師に名前を呼ばれて処置室へ連れられ採血された。その一五分後には、バリウムを飲み、胃X線撮影をし、ゲップを我慢するのにひと苦労した。
その撮影が終わると放射線技師は、水分を多く取る事、下剤が出されるから医師の指示通りに飲む事を説明し、腫瘍内科までついて来てくれた。その技師は、影親の歩き具合や表情を観察しながら、変調はないかとかも聞いてくれ、彼ののペースに合わせて一緒に歩いてくれた。
朝一に腰掛けた隣りのソファーに座り、三、四〇分程、胃が膨張した感じと不安を抱きながら、目を瞑ったり、軽くため息をついたりしていた。
漸(ようや)く看護師に呼ばれ診察室に入った。
「お久し振りですね笹山さん、工場のお仕事頑張られてるようで、夕べ、西山先生から直にお電話頂きましたよ。相変わらず熱心でらっしゃいますね。」
マスクをしてる坂本医師の表情は分からないが、声色は穏やかだった。両親へ話した時と何ら変わらない雰囲気だった。
「急遽、組み入れて下さったようで、お手数おかけします。宜しくお願いします。」
あの頃と変わらない医師の声を聞くと、ホッとした影親は、少し涙を潤ませていた。
「では、血液検査の結果からですが、腫瘍マーカーが検出されてます、これは、良性であっても見られるものです、他の数値は大丈夫です、そして、上部消化管のX線写真を見ると、胃底部に少し気になる凹凸と十二指腸との境目にある幽門の手前で炎症がみられます、今日のところは、これが良性か悪性かが分からないので一度、検査入院をお勧めします、食道に異常はありませんので、酷い状態ではありませんが、ご両親の事を考えると、早めに検査した方が宜しいかと」
坂本医師は優しく、分かりやすく、無駄なく説明してくれた。
「はい、分かりした、僕も早く検査して頂きたいです、覚悟は出来てますので」
影親は、特に、戸惑う事なく検査入院を受け入れた。
この日は、胃の鎮痛消炎剤を二週間分と激痛の時のための強力な鎮痛剤を頓服薬として三錠処方してもらい、二週間後に検査入院する事を決め、診察は終わった。
坂本医師は、影親が診察室のドアから出て行くまで見守るように目線を向けていた。父親から影親の名前の由来、影の親分になって、縁の下の力持ちと周囲から呼ばれるようになって欲しいと言っていたのを思い出していた。
会計待ちでソファーに腰掛けてると、覚悟は出来てるといっていたが、不安感が再び忍び寄ってきた。それと、工場を存続させるために、卓造や良光、自分自身の後継者を早く探さないといけないとも考えていた。
世話になってる取引き先には迷惑をかけたくない。父親達が培った技術を絶やすわけにはいかないとも考えていた。だが、流石に疲れてしまい、思考は止まった。
支払いを済ませ、外へ歩き出すと、病院の正面玄関の内側の自動ドアが開き、外側の自動ドアとの空間にある左右の壁に設置されてた左側にある掲示板に無意識に目を向けると、ピアノ演奏会のポスターが貼られていた。隣のショッピングモールで三時間後に始まるようだ。無意識にそこへ足が向かってた。
ショッピングモールまでは、一〇分も歩かない。しかし、その時は一五分ばかり時間をかけて、頭を空っぽにしてゆっくり歩いてた。
そこに着くと影親は我に返った。何で来てしまったのだろう、そそくさ工場に帰ればいいのにと。その冷静さとは裏腹に、今は知らない場所に居たかった。死ぬのが怖い自分を自覚した。
空腹感なのか、胃の下辺りに違和感を感じた。余計に怖くなり、とりあえず、処方してもらった薬を早く飲もうと思った。一日三回、食前に飲む一包の胃薬を。
周辺を見渡すと、フードコートがあった。近づいて行くと高齢の紳士淑女達がテーブルを囲んでた。夫婦らしいふたり組、女子会を開いてる元乙女達。でも、綺麗に並んだテーブルは半分も埋まってはいない。影親には落ち着ける雰囲気だった。
無料の冷水機から傍にある紙コップ一杯の水を注ぎ、どこに座ろうかと、キョロキョロしてると、蕎麦屋のカウンターの直ぐ前の四人がけのテープルが空いていた。そこに水を注いだ紙コップを置き、カーキ色のジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれにかけた。そして、かけ蕎麦を注文し椅子に座った。
コップの水で、薬を飲み終えると、かけ蕎麦が運ばれて来た。口の中にはまだ薬の苦味が残っているが、そのまま蕎麦を啜った。空腹のようだった。薬の苦味はすぐに消え、蕎麦と小口切りされた葱の香り、歯応え、喉越しがこれまで以上に美味しく感じ、お汁まで飲み干した。影親は思わず微笑んでいた。
「ありがとうございます、こちらでお下げ致します」
食べ終えた食器を返却棚へ運ぼうと景親が立ち上がると、女性店員が足早に近づき、優しくそういってくれた。
「とても美味しかったです、ご馳走様でした」
影親も優しい声が出た。
空腹が満たされると気分も良くなるものだなと、薬を飲む前の自分と比較し、あの不安感が馬鹿らしくなった。
かけ蕎麦は美味かったし、店員さん、恐らく、パートで主婦で自分より若く見えた優しい笑顔も嬉しく思い、蕎麦屋のカウンターから遠ざかった。
途中、一度だけ振り向き蕎麦屋に目をやり、優しい女性店員を探した。進行方向に身体を向け直す間で女性店員を見る事は出来ず、フードコートを後にした。
続