人は社会を離れて、生きていけない。
人間関係を疎かにしては、生きていけない。
社会生活の中で、人間関係を潤滑にしていくには、礼節が大切である。
レストランでもホテルでも、この頃は以前よりずっと丁寧に、礼を尽くしてくれる。
気持ちが良いが、この礼の作法がお客を呼ぶ為の技術であったら、枝葉のものになる。
礼の作法を行っている、人の心は育っていかない。
礼とは、人に敬意を表す作法だ。
ではいったい、人が持っている何に敬意を表すのか。
あらゆる人は、宇宙の生成力(大徳)によって生きている。
その人の大徳の力を、敬するのである。
社会には敬意を表したい人も、そうしたくない人もいるだろうが、たとえどんな人であっても、宇宙の大徳の力によって、歩き、立ち、座っているのだ。
万人が持っている、完全無欠の大徳の力を敬し、礼の作法を行っていく事で、実は自分の精神も、等しく広く深く大きな心に、なって行くのだ。
だが、いくら自分が礼を尽くしても、人間関係は、相手が有っての事である。
関係は一人では作れない。
お互いが、礼の大切さを理解し、礼の心を深めて、平和な人間社会を作って行こうという、協力心がなくてはならない。
「人にして不仁ならば、礼を如何せん」で、自分だけが努力しても、相手にその気がなければ、こちらか不愉快になるだけだ。
自分の努力にも関わらず、相手が無礼千万な態度をとって来たら、決して相手に好かれる様に、努力してはいけない。
無礼な人とは、相手が変わるまで距離を置く事だ。