人生は短い。
私たちはともすれば、今よりもっとお金を貯めたい、今よりもっといい仕事をしたい、今よりもっと長生きをしたい、今よりもっと地位を上げたい、今よりもっと人に認められたい…と、もっともっとと思いながら、上を目指して日々を送る。
そうして「したい」様になる為に、さまざまな企画を立てて努力している内に、だんだん居心地の悪い人生になっていく。
自分の「したい」事が、自分の能力に適したものであれば、何の問題もないが、あまりにも自分の波長に合わない事を「したい、したい」と骨を折っている人の多いことか。
「したい」ことが多くて「したい」ようにならないと、誰もが不満や愚痴をこぼし出す。
その内悩み、苦しみ出す。
孔子は、どんな不幸な状態であっても、その不幸の中に一筋の光を見つけ、あれこれ「したい」と思わず、ひたすら人を思いやって「無為」にして今日を生きよと、主張する。
「無為」は「為さ無い」と読む。
でも「無為」とは、何もしないという事ではない。
自分中心の我儘な行動はしないで、人の為に行動するという事なのだ。
我儘で自己中心的な人は「有為」の人という。
自己中心の人は、思い通りにならないと、気が治まらない。
自分の思ったように事が進まないと、人を激しく攻撃したり、怒鳴ったりして、人を深く傷つける。
「無為にして治まる」
孔子は牧畜を司る役人になった時、別に何の施策も取らなかった。
ひたすら農民を思いやりの仲良く生活していたが、その寒村はみるみる家畜が増え、豊かな村になって、その職務を成し遂げたという。