生きとし生けるもの、微生物に至るまで、全てが大宇宙の生成力(天徳)の表れである。
もしその事を実感しないと、私たちはちっぽけな人間社会の価値観にだけ、振り回されて、心の迷いに囚われる。
両親たちは、殆どが頭のよい子に育てられれば、一番いいと思っている。
では、頭のよい子がいい子てあり、頭のよい子がしっかりした子なのであろうか。
頭のよい子でいい子もいる。
頭のよい子で悪い子もいる。
頭が悪くたって「いい子」は沢山いる。
だから、決して頭のよい子がいい子ではない。
一般に「頭のよい子」と言うのは、学校や塾で教わった事を、しっかりと記憶している子の事だ。
「いい子」とは「生きている尊さ」を知っている子だ。
「勉強しなさい」「あれをしなさい」「これをしなきゃダメ」と言う前に、もう少し宇宙や自然のリズムに合わせて、ゆっくりと、うるさい事は言わず、優しい笑顔で見守ってやる事だ。
楽しい生活をしている内に、いつしか素晴らしい和の能力が、自然発生する。
「真面目に勉強しましょう」これは結構な事だが、「真面目に勉強しなければならない」、これがいけない。
「真面目に勉強しましょう」、そこには友だちと仲よく一緒にね…と言う気持ちがある。
「真面目に勉強しなければならない」、そこにはもう、友だちが入ってくる余地が失くなる。
自然の在り方の基本は、共存共生である。
「仁を知らず、焉(いずく)んぞ佞(ねい)を用いんと」ーー「佞」とは才能。
思いやりの心を知らないで、才能だけで競争をしてはいけないと、孔子は主張する。