武田信玄がこういう事を言っている。
「負けるべきでない合戦に負けたり、亡ぶはずのない家が亡ぶのを見て、人はみな天命だという。しかし自分は決して天命だとは考えない。
みなやり方が悪いからだと思う。やり方さえ良ければ、負けるような事はないだろう。」
戦えば必ず勝ち、戦国時代最高の名将と謳われた信玄の言葉だけに、非常な重みがある。
確かに、何事に於いても、我々は失敗するとすぐに「運が悪かった」という様な言い方をしがちである。
それは何も今日の人間だけでなく、「勝負は時の運」とか「勝負は兵家の常」と言ったことわざも有るくらいだから、昔からそう言う考えは強かったのだろう。
しかし、そう言う考えは間違っていると、信玄は言っている訳である。
敗因は全て我に有りと、言う事だろう。
厳しいと言えば、真に厳しい言葉である。
しかし考えてみれば、食うか食われるかと言う様な、戦国の世を生き抜き勝ち抜いて行く為には、それぐらいの厳しい自己反省、自己検討が必要だったのであろう。
そして、その事は今日に於ける指導者にとっても根本的に同じだと思う。
たとえば事業経営についても、事業というものは、儲かる時もあれば損をする時もあるのだという、考え方がある。
そういう事も考えられるけれども、しかし本当は正しい事業感を持ち、正しいやり方で経営を行ない、正しい努力をしていれば、世の中の好不況などに関わらず、終始一貫適正な利益を上げつつ、発展していくものだと思う。
それが上手く行かない、損をするというのは、事業観に誤りがあるか、経営の手法が当を得ていないか、為すべき努力を怠っているか、その何れかである場合が殆どではないだろうか。
かつて、アメリカがアポロ宇宙船を月に向けて打ち上げた時、あらゆる準備や点検を全て終え、残るは発射のボタンを押すのみという時に、その責任者の人は「あとは祈るだけだ」と呟いたという。
いわゆる人事を尽くして天命を待つという心境だと思う。
こういう意味での天命を信玄は否定しているのではなかろう。
彼の言わんとしているのは、天命という前に、どれだけ人事を尽くしているかという事ではないかと思う。
人事を尽くさずして、安易に天命を云々する事は、指導者としては許されないと言えよう。