爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

人事を尽くす

2022-05-06 17:40:23 | 日記
武田信玄がこういう事を言っている。

「負けるべきでない合戦に負けたり、亡ぶはずのない家が亡ぶのを見て、人はみな天命だという。しかし自分は決して天命だとは考えない。
みなやり方が悪いからだと思う。やり方さえ良ければ、負けるような事はないだろう。」

戦えば必ず勝ち、戦国時代最高の名将と謳われた信玄の言葉だけに、非常な重みがある。

確かに、何事に於いても、我々は失敗するとすぐに「運が悪かった」という様な言い方をしがちである。

それは何も今日の人間だけでなく、「勝負は時の運」とか「勝負は兵家の常」と言ったことわざも有るくらいだから、昔からそう言う考えは強かったのだろう。

しかし、そう言う考えは間違っていると、信玄は言っている訳である。

敗因は全て我に有りと、言う事だろう。

厳しいと言えば、真に厳しい言葉である。

しかし考えてみれば、食うか食われるかと言う様な、戦国の世を生き抜き勝ち抜いて行く為には、それぐらいの厳しい自己反省、自己検討が必要だったのであろう。

そして、その事は今日に於ける指導者にとっても根本的に同じだと思う。

たとえば事業経営についても、事業というものは、儲かる時もあれば損をする時もあるのだという、考え方がある。

そういう事も考えられるけれども、しかし本当は正しい事業感を持ち、正しいやり方で経営を行ない、正しい努力をしていれば、世の中の好不況などに関わらず、終始一貫適正な利益を上げつつ、発展していくものだと思う。

それが上手く行かない、損をするというのは、事業観に誤りがあるか、経営の手法が当を得ていないか、為すべき努力を怠っているか、その何れかである場合が殆どではないだろうか。

かつて、アメリカがアポロ宇宙船を月に向けて打ち上げた時、あらゆる準備や点検を全て終え、残るは発射のボタンを押すのみという時に、その責任者の人は「あとは祈るだけだ」と呟いたという。

いわゆる人事を尽くして天命を待つという心境だと思う。

こういう意味での天命を信玄は否定しているのではなかろう。

彼の言わんとしているのは、天命という前に、どれだけ人事を尽くしているかという事ではないかと思う。

人事を尽くさずして、安易に天命を云々する事は、指導者としては許されないと言えよう。




貧乏神を近づけない

2022-05-04 10:32:33 | 日記
貧乏をしている人に「あの人には、貧乏神がついているね」と言うのは、大きな間違いである。

貧乏神は、貧乏な人にくっついているのではない。

むしろ、お金持ちにくっついて、お金持ちを苦しめるのである。

では、どんなお金持ちに、貧乏神がつくのか。

自分が稼いだお金を、自分の快楽や贅沢だけに使う人に、天から貧乏神が下りてきて、ぴったりとくっつく。

そして、こんなエゴのお金持ちには、決して安楽を与えない。

逆に福の神は、人の為にどんどんお金を使うお金持ちがいると、天からさっとやって来て、その人に味方して、幸せを守ってくれる。

貧乏な人でも、たとえいささかでも「人の為」にお金を使う人には、素敵な福の神がつくのだ。

「道に志す」という「道」とは、天道である。

天道は、利己的な考えで生活をしている人には、少しも力を貸してくれない。

お金が有ろうと無かろうと、誰であろうとかれで有ろうと「人を思いやり、人に尽くす人」に協力してくれる。

二宮尊徳は、貧乏のどん底に生まれた。

幼少から始まる寺子屋へも、月謝がなくて行けなかった。

母親はお盆に砂を敷いて、箸で字を書いて教えた。

ある日に嵐があって、堤が破れ洪水になった。

その時に村をあげての堤防工事に、父親は重病で手伝いに行くことが出来なかった。

尊徳は夜なべでわらじを作り、作業中にわらじの破けた人に配った。

彼は青年時代になると、大欲を抱いて働き、大きな富を得たが、自分の生活は質素を守り、倹約した資本を元に、多くの困窮した村民を救った。

彼は武士も敵わぬ偉業を、次々と達成した。



能力より性格を

2022-05-01 03:20:55 | 日記
今の学校の先生たちの心は、危機にさらされている。

教育とは、人が幸福に生きる為の真実を教える事が、その眼目であろう。

生徒たちの人生を豊かにするには、心を裸にして、自分の失敗談を話してあげる事も必要である。

自分が子供の頃には、田んぼの片隅にはポツンと立っていたお地蔵さんの事を、懐かしく話してやる事も大切だ。

旅行先でこんな人にこんな親切をされたとか、日本の歴史の中に、こんなに楽しい人がいるんだよ…とか。

今日の学校では、教科書以外の事を教えるのは余談であると、禁止された。

教育の三本柱は、教育、知育、体育である。

子供たちの心の安全を育てるのは、徳育なのである。

先生方が日常もっとも気楽に「君は思いやりがあるね」「貴方は本当に優しい人だね」「お前さんは実に親切な人だね」「君の笑顔は素晴らしいよ」と、勉強以外の事で生徒に温かい言葉を投げ掛けて欲しい。

「仁に当たりては、師にも譲らず」

勉強の競争だけではなく、「思いやりの心」でも競争する。

林周二氏の『経営と文化』(中央公論社)に、こんな話がある。

韓国のテレビのCMで、一つしかないラーメンを二人の兄弟が食べようとしている。

まず兄さんが弟に「お前から先に食べな」という。

すると、弟が兄さんに「いや、兄さんから食べな」

続けて「兄弟で仲よく食べる。これほどおいしいカップ・ラーメン」の文字が出てくる。

日本なら、兄弟が奪い合って食べ「これほどおいしいラーメン」となるであろう…と。