退職したシニアがやることがなくて、 家の中でプラプラしている状態は最悪です。
それに、夫婦で毎日家の中にいるようなことがあれば、人によっては、また違う意味で最悪かもしれません。
退職後に継ぐ家業があるとか、田畑があって農業をするとか、起業をするとかできる人は良いのですが
大多数の人たちは、何をして暮らしていけばよいのか分からないことが多いです。
戦国時代であれば、もうとっくに亡くなっていた人たち。(私も含めて)
医療技術の進歩で、がんや心疾患、脳血管疾患、肺炎で亡くなる割合も下がり、寿命がどんどん延びていった人たち。
この高齢者たちに、生きがいや居場所を、誰が用意してやれるのでしょうか。
これは、喫緊の課題です。
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よく言われることですが、
実は、歳を取れば取るほど重要になってくるのは、「きょういく」と「きょうよう」なのです。
「教育」と「教養」ではありません。
「きょういく」と「きょうよう」です。
「きょういく」というのは、「今日も行く所がある」ということです。
「きょうよう」というのは、「今日も用事がある」ということです。
今日も、生きがいや、学びや、仕事があるということです。
良い社会というのは、若人から高齢者に至るまで、どこにいても、そういう環境が用意されている社会を言うのです。
もし、あなたが若い人だとしたら、あなたの周囲の高齢者たちを見て
「これから歳をとっていく自分の未来の安心」を感じとれますか?
もし、あなたが高齢者だとしたら、あなたばかりでなく、日本の高齢者たちは、幸せに生きていると感じとれますか?
歳を取るというのは、人生をリタイアすることではありません。
60歳で退職して、もうリタイアだ思っても、あと21年間と少し(男性)や27年間と少し(女性)を、どうやって過ごしていくのですか?
今から、まだまだ輝ける日々を創っていくのです。
今から、まだまだ若人と一緒に社会を担っていくのです。
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「幸齢社会」という言葉があります。
これは、「高齢社会」という言葉の持つ、マイナスのイメージから脱却し、健康で、生きがいを持った高齢期が迎えられる社会を目指して造られた言葉です。
人生100年と言われる今、これからの高齢期の人たちは
「社会から支えられる存在ではなく、地域が抱える課題を解決する《地域社会の主役》として活躍する存在」であってほしい。
そういう強い願いが込められた言葉です。
これは、文部科学省が、「長寿社会における生涯学習の在り方について」(平成24年3月)の中で、使った言葉です。
私は、この「幸齢社会」という言葉は
これからの日本の社会の重要なキーワードになるに違いないと思っています。
高齢期の方々が、新たな価値観を創出しながら、新しい生き方を試みていく社会が到来することを切に願っています。
同時に、私も《幸齢社会》の実現に向けて活動をしていこうと考えています。