人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

意識がからだに向かい始める

2020-05-26 06:50:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

からだに良いことを一つでも始めると、普段気づかないからだの動きや形に気づき出す。



自分の意識が自然に身体に向かい始めるからだ。



脚の組み方一つにしても骨や筋に意識が向かう。



からだの快・不快についても敏感になる。



そして、そういう感覚についての把握の的確さに比例して、自己治療・自己予防についての関心が深まってくる。


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さっき、押入から布団を取り出す時、右肩(三角筋)に激痛が走った。



かって五十肩に悩んだことがあったが、その痛みに類似した激痛だと思った。



左手で右の激痛箇所を擦りながら、「またあの頃の痛さと付き合って暮らしていくのか。」と暗い気持ちになった。



「とにかく、何とかしなければ・・・。」



五十肩だとして、浮かぶのは、アイロン体操、マッケンジー体操、操体法だけれど・・・。



アイロン体操で救われたことがあったので、試してみることにした。


http://www.4050kata.net/ch4/iron.htm


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シニアの不安 複合不安 

2020-05-25 14:55:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

「あなたは、このまま死んでいくのですか?」と言われたらどうします?


実は、この言葉、私が私に言っているのです。


がんばって生きているんだけど、「このままでいいのかなあ」なんて、ふと考えたりするんです。


日頃、いろんなシニアと話をします。


若々しい話をすることもあれば、普通の世間話をすることもあります。


そんな中で、たまにシニア本人の悩み相談めいたこともあります。


中身はやっぱり、「このままでいいのかなあ?」という類が多いです。


遠くへ嫁いで行った娘のことや、腰痛や肩こりのことや、一人住まいのさみしさなど。


まあいろいろです。


相談というのは、相談する側と相談される側がいます。


当たり前のことですが、シニア級の相談になると、話をしているうちに、相談する側と相談される側が入れ替わってしまうことがあります。


相談を受けているうちに、自分の今やこれからを考えてしまい、相談が逆転してしまうのです。


最後は、手を取り合って、お互いがんばりましょうということで終わりになります。


それ以上、突っ込んでいけないからです。


たくさんのシニアが苦しみの中で生きています。


集団でいれば紛れ込んで分からないことでも、個人が胸襟を開いて話をすると、その苦しみの様々が心の中に飛び込んできます。


健康不安だったり、経済不安だったり、数年後の生活不安だったり、個々人によっていろいろですが、話を突き詰めていくと、複合不安もたくさんあります。


複合不安というのは、お金がないから、せめて健康だけは保持しなければと考えているが、最近は、めまいがしたり、急に涙が出てきたりして耐えられなくなってしまうというように、いくつもの不安が波状的に襲ってくるのです。


冒頭の「あなたは、このまま死んでいくのですか?」という問いかけは、実は、「私は、こんな悩みの中で人生が終わりになるのかなあ」という不安の表出なのです。


人生の晩年をこのままで終わらせたくない、という意欲的な場合も、「あなたは、このまま死んでいくのですか?」という問いかけになりますが、今日のブログは、そちらではありません。


暗い方に向かっている話です。


生きているからには、生きている使命がありますが、笑いながら、生き甲斐をもちながら、残りの人生を生き切るということは、とても難しいことです。




スマートシニア

2020-05-24 08:18:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

アクティブシニアかスマートシニアかの違いは、

インターネットを使うか使わないかという違いです。

もともと、アクティブシニアとは、団塊の世代を中心とするシニアたちを指し、自分なりの新しい価値観を持つ元気なシニア世代のことを言います。


そのアクティブシニアの中からスマートシニアが生まれてくるのです。


文科省の「長寿社会における生涯学習の在り方について(骨子案)」には


スマートシニアへの期待が、次のように書かれています。


→高齢者がICTを利活用できるようになることは、高齢者自身にとっても、買物等の生活の利便性が高まるとともに、「多様な情報に接することで新たな刺激が得られる」、「脳の活性化につながる」、さらには「活動的になり、交友関係や行動範囲が広がることで居場所ができる」、等の効果が見込まれる。

地域社会にとっても、ICTリテラシーを持った高齢者を活用することにより、地域社会の活性化や地域での問題解決の促進につながるなどの影響が見込まれることから、高齢者こそ、ICTリテラシーを生活の基礎能力として学ぶことがセーフティネットの観点からも必要である。←



アクティブシニアの特徴は


①生涯現役志向が強く、仕事や趣味にも非常に意欲的でチャレンジ精神が旺盛。


②しかも若い世代に比べ社会経験や人生経験が豊かで、優れた価値判断を有している、ということです。


その元気なシニア群からスマートシニアが出てくるのです。


ですから、これは、最強(?)のシニア?かもしれません。


ある資料によれば、


「スマート」とは、もともと「賢い」という意味で、スマートシニアは、「知的で賢く、格好良く老後を楽しむ世代」


と定義されている、と書かれています。


日本でもスマートフォンやインターネットを使いこなし、気軽に情報収集を行い、インターネットショッピングをしたり、趣味を楽しんだりするスマートシニアが増えています。


今、スマートシニアは、社会的弱者としての「高齢者」のイメージを覆し、


自立した高齢者としてライトアップされてきています。


ほんとに日本の動きの大きな要素を、高齢者が担っているのだと思います。


うかうかしていられません。



幸齢社会

2020-05-23 09:05:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ

退職したシニアがやることがなくて、 家の中でプラプラしている状態は最悪です。



それに、夫婦で毎日家の中にいるようなことがあれば、人によっては、また違う意味で最悪かもしれません。



退職後に継ぐ家業があるとか、田畑があって農業をするとか、起業をするとかできる人は良いのですが


大多数の人たちは、何をして暮らしていけばよいのか分からないことが多いです。



戦国時代であれば、もうとっくに亡くなっていた人たち。(私も含めて)



医療技術の進歩で、がんや心疾患、脳血管疾患、肺炎で亡くなる割合も下がり、寿命がどんどん延びていった人たち。



この高齢者たちに、生きがいや居場所を、誰が用意してやれるのでしょうか。



これは、喫緊の課題です。


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よく言われることですが、


実は、歳を取れば取るほど重要になってくるのは、「きょういく」と「きょうよう」なのです。



「教育」と「教養」ではありません。



「きょういく」と「きょうよう」です。



「きょういく」というのは、「今日も行く所がある」ということです。



「きょうよう」というのは、「今日も用事がある」ということです。



今日も、生きがいや、学びや、仕事があるということです。



良い社会というのは、若人から高齢者に至るまで、どこにいても、そういう環境が用意されている社会を言うのです。



もし、あなたが若い人だとしたら、あなたの周囲の高齢者たちを見て



「これから歳をとっていく自分の未来の安心」を感じとれますか?




もし、あなたが高齢者だとしたら、あなたばかりでなく、日本の高齢者たちは、幸せに生きていると感じとれますか?



歳を取るというのは、人生をリタイアすることではありません。



60歳で退職して、もうリタイアだ思っても、あと21年間と少し(男性)や27年間と少し(女性)を、どうやって過ごしていくのですか?


今から、まだまだ輝ける日々を創っていくのです。



今から、まだまだ若人と一緒に社会を担っていくのです。

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「幸齢社会」という言葉があります。



これは、「高齢社会」という言葉の持つ、マイナスのイメージから脱却し、健康で、生きがいを持った高齢期が迎えられる社会を目指して造られた言葉です。




人生100年と言われる今、これからの高齢期の人たちは



「社会から支えられる存在ではなく、地域が抱える課題を解決する《地域社会の主役》として活躍する存在」であってほしい。




そういう強い願いが込められた言葉です。




これは、文部科学省が、「長寿社会における生涯学習の在り方について」(平成24年3月)の中で、使った言葉です。



私は、この「幸齢社会」という言葉は

これからの日本の社会の重要なキーワードになるに違いないと思っています。



高齢期の方々が、新たな価値観を創出しながら、新しい生き方を試みていく社会が到来することを切に願っています。



同時に、私も《幸齢社会》の実現に向けて活動をしていこうと考えています。





人生の締めくくり方の学び 二つの美しさ

2020-05-22 05:55:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ
「人生の締めくくり方の学び」について、8回連続して今日的な状況を書いてきました。

何かの参考になってくれたらありがたいです。




人生の締めくくり方の学びの最後に、今日は、何年か前に私が別の場所に書いた短文を載せます。

老いてもガンバです。

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   「二つの美しさ」


リウマチを自彊術(じきょうじゅつ)で克服した人の講義(体験指導)を受けた。



背筋がまっすぐで、優しい顔をしていた。


「正しい型をすることが大事です。」「続けること 続けること。」と言いながら、四方八方に気を配って自彊術の動作と精神を伝達していた。



三十年近く自彊術に取り組んで自ら難病を克服してきた自信と正確な型からにじみ出る美しさが、教室に充満していた。


その横で講義のアシスタントとして八十一歳になる女性が模範演技をしていた。


その女性は、無口だけれど素人の私が見ても無駄のない合理的な動きをしていた。


この人も朝夕欠かさず、十八年間、自彊術に精進してきたのだと紹介されていた。


この女性も美しかった。講師の美しさとは違う一途な美しさを放っていた。



実に、講師七十三歳、弟子八十一歳。


二人の振舞いは、禅の世界に似ていた。



休憩時間に陳列されていた書物のなかに『易経』があった。


不思議に思って講師にたずねてみると


『易経』の一節を開いて、「天行健君子以自彊不息」という言葉を示しながら、


「天の運行はすこやかである。人間は健康を保つためには、毎日自ら勉めて休んではいけない」という意味の解釈を教えてくれた。


休憩を挟んで後半の講義も前半同様、意味深く引き込まれるような講義であった。


勿論、七十三歳の講師と八十一歳のアシスタントの二人三脚で伝授が進行していった。


二人とも美しかった。


それぞれが違う美しさを放っていた。


要求された動作を人並みにできない私であったが、会場の誰よりも二人の美しさに圧倒されていた。


七十三歳の講師の美しさは、難病を克服してきた「救いの美しさ」だった。


八十一歳のアシスタントの美しさは、難病を克服してきた講師の生き方に魅せられ、修練の末に辿り着いた「求道の美しさ」だった。


百年近く続くわが国の体操(自彊術)の体験指導を終えた私は、身体の軽快な心地よさを感じながら幸せな気持ちをいっぱいにして会場を後にした。


強く生きようと思った。




Photo


元気をためて、深呼吸をして、歩いていこう。・・・ね。