浄土宗の関東十八檀林の寺であった鴻巣市にある勝願寺です。檀林とは各宗の重要な学問寺です。
ここには5年前に二回参拝しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b2/4086766d3c812a50c64a4dbc7a9b1ea4.jpg)
門を入り、最初に目に入ったのは小松姫ののぼりでした。
大河ドラマ「真田丸」が放映され、一気に勝願寺に参拝者が増えたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/64/0035b8c795516ca7d573850becafea2a.jpg)
先ずは御本堂参拝です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/5b/5198f9131457d4348a5daed5e3897026.jpg)
小松姫や真田信重夫妻だけでなく、なぜか千石久秀の墓もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/c3/dcafce72506a32f10a6ccb6655a0b199.jpg)
左から小さい墓石が千石久秀、真田信重室、真田信重、小松姫。
小松姫は真田信之室で本多忠勝の娘です。この地で亡くなり分骨が納められています。
千石久秀は、ここの地で病気のため亡くなりました。
伊奈忠次・忠治の墓もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/55/6c6338dc6ba0cdd4114accde50d1d232.jpg)
一角には多くの石仏が祀られていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/56/9f5d31d5f890d3eca980c2b9510efd7f.jpg)
一石六地蔵もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c6/698b2d99718dc2ce50ad063f8c5e4444.jpg)
境内のお地蔵様。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/1e/f966f93bc284e23e5b676d84906bb7d5.jpg)
鴻巣市は人形の町としても知られています。
人形塚がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/7c/6dc4ac4da53aecacafc3c2f5301ab7af.jpg)
人形供養も行われています。
勝願寺とは関連がないのですが、書かせて頂きます。
さて、何故二度も行ったのかと言いますと、鴻巣市は頼光四天王の筆頭「渡辺綱」の生地であるからです。
うっかり怖い渡辺さんに「綱の生地である鴻巣に行った」と話すと、「私も連れて行って ! 」の厳命です。
渡辺綱 豊原国周一條戻り橋の場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/1a/33d4bb685db343700b8f4c0d1e5b1f89.jpg)
渡辺姓の人は鬼も恐れるので、節分に豆まきをしなくて良いと伝えられるのですから、とても逆らえませんでした。
Aさんに運転手を依頼して、鴻巣駅で待ち合わせました。
ご存じではない方も多いと思いますが、綱の父・源宛は21歳で現在の鴻巣市箕田(みだ)で亡くなりました。
港区三田説もありますが間違いです。
幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。
長じて地名の渡辺を名乗り、渡辺姓の祖となったのです。
三人で綱の父・源宛関連の場所を巡りました。(勝願寺は渡辺綱とは関連ありません)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/3f/b3221d13a7c47dd93fe65485112961df.jpg)
市内の宝持寺には、全国渡辺会と嵯峨源氏顕彰会による先祖代々供養墓がありました。
ここには5年前に二回参拝しています。
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門を入り、最初に目に入ったのは小松姫ののぼりでした。
大河ドラマ「真田丸」が放映され、一気に勝願寺に参拝者が増えたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/64/0035b8c795516ca7d573850becafea2a.jpg)
先ずは御本堂参拝です。
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小松姫や真田信重夫妻だけでなく、なぜか千石久秀の墓もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/c3/dcafce72506a32f10a6ccb6655a0b199.jpg)
左から小さい墓石が千石久秀、真田信重室、真田信重、小松姫。
小松姫は真田信之室で本多忠勝の娘です。この地で亡くなり分骨が納められています。
千石久秀は、ここの地で病気のため亡くなりました。
伊奈忠次・忠治の墓もあります。
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一角には多くの石仏が祀られていました。
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一石六地蔵もあります。
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境内のお地蔵様。
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鴻巣市は人形の町としても知られています。
人形塚がありました。
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人形供養も行われています。
勝願寺とは関連がないのですが、書かせて頂きます。
さて、何故二度も行ったのかと言いますと、鴻巣市は頼光四天王の筆頭「渡辺綱」の生地であるからです。
うっかり怖い渡辺さんに「綱の生地である鴻巣に行った」と話すと、「私も連れて行って ! 」の厳命です。
渡辺綱 豊原国周一條戻り橋の場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/1a/33d4bb685db343700b8f4c0d1e5b1f89.jpg)
渡辺姓の人は鬼も恐れるので、節分に豆まきをしなくて良いと伝えられるのですから、とても逆らえませんでした。
Aさんに運転手を依頼して、鴻巣駅で待ち合わせました。
ご存じではない方も多いと思いますが、綱の父・源宛は21歳で現在の鴻巣市箕田(みだ)で亡くなりました。
港区三田説もありますが間違いです。
幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。
長じて地名の渡辺を名乗り、渡辺姓の祖となったのです。
三人で綱の父・源宛関連の場所を巡りました。(勝願寺は渡辺綱とは関連ありません)
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市内の宝持寺には、全国渡辺会と嵯峨源氏顕彰会による先祖代々供養墓がありました。