砂原浩太郎の時代小説「高瀬屋庄左衛門」を読んだ。
神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。50歳を前にして
妻を亡くし、さらに息子をも事故で失い、ただ倹しく老いてゆく身。
残された嫁の志穂とともに、手慰みに絵を描きながら、
寂寥と悔恨の中に生きていた。
しかしゆっくりと確実に、藩の政争の嵐が庄左衛門を襲う。
美しく生きるとは、誇りを持ち続けるとは何か。
生きることの喜び、悲しみ、希望を問いかけてくる。
心が洗われる美しい時代小説である。
文中の、大人の人生観や仕事観がセリフとして発せられる部分に共感した。
人などと申すは、しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるものされど、
ときには助けとなることもできましょう……均(なら)して平らなら、それで上等」
「精魂こめれば疲れもいたしましょう-----されど、だから不幸というわけでもない」
神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。50歳を前にして
妻を亡くし、さらに息子をも事故で失い、ただ倹しく老いてゆく身。
残された嫁の志穂とともに、手慰みに絵を描きながら、
寂寥と悔恨の中に生きていた。
しかしゆっくりと確実に、藩の政争の嵐が庄左衛門を襲う。
美しく生きるとは、誇りを持ち続けるとは何か。
生きることの喜び、悲しみ、希望を問いかけてくる。
心が洗われる美しい時代小説である。
文中の、大人の人生観や仕事観がセリフとして発せられる部分に共感した。
人などと申すは、しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるものされど、
ときには助けとなることもできましょう……均(なら)して平らなら、それで上等」
「精魂こめれば疲れもいたしましょう-----されど、だから不幸というわけでもない」