白い北海道から光の漏れる黒いビルの出迎えで東京に帰りました。
東京に戻った私は美しい夢のような時間が終わってしまったように思いました。
昨夜入浴していると、真底疲れていたのか不思議な感覚を持ちました。
眠っていながら起きている感じです。
様々な個人的感情や拘りから切り離されたような気のする私の頭は大変冷静で、
身体の力は抜け、普段痛い肩や首筋がとても楽に思われました。
私は新鮮な心地よさを感じ、このような気持ちで創作や生活に挑みたい、
この冷静で浮き沈みの無い幸福な感覚を今後大切にしたいと思いましたが、
同時にそこに拘りたくはないとも思い、できるだけ静かに考えずにそのまま眠りにつきました。
私は久しぶりに安眠剤もなく熟睡しましたが、朝方夢を観ました。
夢の中では音楽の学校があり、ワーグナーやベートーヴェンが鳴り響いています。
学生たちはまるで歌で会話しているようでした。
ある部屋には亡くなった兄がいたので、私は「ここは生と死の狭間だろうか」と思いました。
兄は私にCDを聴かせてくれました。
オーケストラの途中に入った、今まで聴いたこともない斬新なバイオリンの音に驚かされました。
私はバイオリンの弾き手ではないので、どうすればこんな音が出せるのか全く見当もつきませんが、
それでも演奏の新しい技法を今体験しているという事に強く感動していました。
「これは素晴らしいバイオリンだ!」
思わず出た言葉はそれでしたが、同時に私は(今まで全く知らなかった新しい演奏の音に対して
何故私は素晴らしいと言えるのだろうか?これは単に奇をてらったものではないだろうか?
全体の中でこの音が調和を持たないとは思わないが…)などとも思いました。
そして私が後から頭の中でぐちぐちと考えた事は、私の最初の直感的な一言が、
音楽の専門家である兄から無知で不適切な発言であると判断されることへの恐怖から来ていることにも気がつき、
自分が情けなく思いました。
兄は私の発言に対して何も応えず、静かに微笑んでいました。
CDを聴くうちに、私はそのオーケストラの音楽が昨年見た映画「崖の上のポニョ」だと思い始めます。
夢の音楽は現実のサントラよりも深みのあるもので、メロディもオーケストラも全く違います。
初めて聴く新しいポニョの方が、ずっと好きで演奏も素晴らしいと思いました。
私は「ポニョの持つ本質を別の作曲家が創作したのだろう」と予想します。
そして、ワーグナーのオペラも、神話の世界を当時再現したものなのだから、
ポニョが再び音として新しく再現されるということも在り得ることであり、
映画で見たポニョとはかなり違うものとなった物語が音によって再現されているのがわかり、
モーツァルトのオペラのような映像イメージが沸いてきました。
今まで観たことのある沢山のイメージが現れてきます。
全ては解けて融合していき、世界は音、オーケストラとは世界そのものだ、と意味不明な事を私は思います。
兄は消え、さっきまでいた夢の私すらもどこにいるのかはもうわかりません。
とても言葉に出来ない感動から徐々に私は現へと移行し、頭で色々と考えています。
北海道で見た白い雪の中の黒い墓石群が夢に浮かびました。
あれはニンゲンという存在の一つの在り方であり、
多くの人が肉体を捨てると墓石という存在になり、いつかはそれもまた消える変わる。
そう思う私自身は死んでも墓石にはならないタイプの人間ではないかと思いました。
墓石も人間…だったら書物も作品も人間の一つの死後の姿だろうか?
古典とは何だろう。古典と言われるには殆どの場合、作者はもう死んでいる。
そこにこそ古典の価値があるのだろうか。古典を通して時空を超えた死者との語らいの場所ができる。
例えば古代の哲人と創造の世界を通して、生死の狭間で会える。
その事こそが古典作品の持つ最大の価値なのだろうか。
次から次へと妙な連想が起こり、言語的思考になるほどオーケストラの響きは消えていきます。
私は夢現の世界に、ありあらゆる創作者たちが積み上げていった人類の遺産があるように思い、
ゆっくりとすっきりと目を覚ましました。疲れは取れていましたが、睡眠時間は短めでした。
目覚めると覚えのある肉体の痛みがあり、少々ガッカリしたものですが、それすらも
私の生きた勲章のように有難い愛着のあるもののようにも思いました。
私は兄にも会えたし、とても素敵な夢体験をしたと感じています。
画像は実習動画、ジャンプをするエドナより。
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