夢の中でショーを観ていました。
観客がいて演じ手がいて、その全体を創るのが夢を観る私ですが、
夢というのは個人的意図としての創作とは違います。
自ずと沸いてくるイメージなのでしょう。
ショーは舞台でもあり、TVショーでもあり、映画でもアニメでもあり、演じ手の心はリアルでもあり嘘でもあり…
夢ならではの自由さがあって面白いのです。
ショーの一つに中学の時に好きだった男の子に似た少年が出ています。
普通の少年で、TVなどに出てパッと花があるタイプでもないのですが、
観客は彼という少年を日々観ること知ることで、感情移入することができ、
親しみを感じているのだろうなと私は思います。
そして彼がショーに出なくなった途端、騒ぐだけの観客は彼のことを忘れてしまうだろうなとも思います。
バラエティのようなショーの中で、少年の心は偶然にリアルに傷ついてしまいます。
ショーとしての、お芝居などではありません。
芸人でもない普通の少年に気の利いた嘘の芸などできないのです。
カメラのような、夢の視点がその一瞬のハプニングである、生きた表情と本物の涙を捉えるのです。
観客は「あ~…」と言葉にならない声をあげます。
そして彼は涙を流しながら笑います。
自分自身の本物の心の傷と涙を、どうにも隠しようも抵抗しようも無く、観客と白日の下に共有した時、
どこにでもいそうな少年が、言葉にできない素晴らしさを持っているような、目の離せない存在となり、
夢を観ている私も一緒に、悲しみも傷も共に、言葉や理屈や意味を超えた心をそこに重ね合わせていました。
彼が、何故、どんな理由で、どうして、傷ついたから、どうだったのか、どう思ったのか、それはどういうことなのか、
だから何なのか、
本当に共感をした時、そんなことはどうでもいいのです。
真の感情の前に「言葉で表せる程度の意味」程度のものなんか何処にも無いのです。
ショー自体は大変俗っぽい、幼稚なものでしたが、夢を楽しんで目が覚めました。
でも、起きて考えてみたら、リアルとしてのショーは毎日毎日観ているのです。
芸の達者な役者さんじゃなくても、TVのように日々その人を観ることで、親しみを感じている
バラエティのタレントさんは、私の身の回りにもいるような気がします。
ちょっとヤバイ発想かもしれませんが、
人の心のリアルな動揺や傷、あるいは喜びは、相手に感情移入し、注意して真剣に見ていれば、
十分感じ取ることができます。
メロドラマが美味しいショーであるようにね…
TVよりも、もっと痛くて悲しくて楽しくて残酷で面白いショーが毎日やっているのですね。
ショーにはテーマ音楽もありました。
目覚めて音楽を憶えているか、口ずさんでみました。
夢のメロディは、一応西洋音楽の基礎として成り立っている、楽譜上に起こすことが可能な形式でした。
だから記憶として残すことができたのでしょう。
どっかで聞いた様な気がする、懐かしい感じのものでしたが、思い出すことはできませんでした。
夢を思い出したり、記録をとるのが好きですが、これからは夢のメロディも一緒に取れるかもしれません。
いつか夢からもらった音と一緒にアニメーション映像を創れたら面白そうです。
画像はラクガキ。
アニメランキングni参加中!
