くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十話

2021-01-07 16:24:54 | はらだおさむ氏コーナー

白 鳥

      

  拙宅の近在に小さな溜池がある。

  むかしはその崖下の田畑への用水池であったが、いまは一区画を残してすべてが宅地化され、防水池に転じている。

  わが家の庭の前後には小さな溝があり、それは丘の上から池まで繋がっているが、いま池に注ぐのはほぼ雨水のみ。このところ雨期を除いて池が満杯になることはなく、えさを求めて飛来する渡り鳥も少なくなった。

  先日は鷺の一種か、一羽だけ飛来してきたが仲間を呼ぶこともできないと三日ほどで姿を消した。下水も流入していたむかしは鶴の親子も姿を見せていたが、どうだろう、池浚いで道端に放りだされた鯉などが跳ねる姿も数年はお目にかかっていない。

  いま コーラスCで『ふるさとの山に向かひて』(詩:石川啄木 作曲:新井 満)と『ひたすらな道/白鳥』(詩:高野喜久雄 作曲:高田三郎)を練習している。

  後者『ひたすらな道』は「姫」「白鳥」「弦」の三曲、同じ作詞・作曲者で組まれている。「姫」は昨秋の演奏会ですでに歌い、この作詞家:高野喜久雄の幻想的な詩にはお目見えしているが、以下に触れる「白鳥」の詩句・作風には、いまだなじめないものがある。

わたしも若いころ作詩に芽生え、その処女詩集『ふくらみ』ではつぎのような詩も書いている。

 

火 山 礫

 

     煙がきなくさく思えた。

     灰も何かいじましかった。

     あつい溶岩はまだ来なかった。

 

      死んだ火山礫を拾い集めた。

      記念は いらないと思った。

      ガラガラと くずれて 散った。

 

      おれの火山は死んだ。

      息の根をとめてやった。

      がれき(・・・)の底で何かが動いた。

                (1968年10月)

 

  自分ではそのときの思いはいまでも沸々とこみあげてくるが、これはひと様に説明するものではない、私家版残部の記念ものだ。

  しかし、いま練習しているのはプロの作詞家のもの。

  すこしネットサーフィンした。

  高野喜久雄(1927~2006)詩人、数学者(仏教徒)。

  「白鳥」はNコン昭和55年(1980)中学、高校(女声)の課題曲。

  作曲家の高田三郎氏はこの作曲集の最後に、以下のような解説をされている。

 

  激しい型の別れの詩である。

  我々は高みからの呼び声により、或いは自らの目標に従い、土地や事物や人から、また、ある精神状態からの別れをしばしば経験しなければならない。

  しかし、血みどろになって飛び去ってゆく白鳥も結局は行為の円環性から離れる事はなく、春の湖にまた戻って来る。

 

  ネットサーフィンしたら、CDでもあったのだろう、2012年投稿のユウチュウブ(山形西高校、女声)があった。

  きれいな声、そして♪切れる、切れる・・・♪の絶叫、最後の折れた足が見つかったときの嬉しそうな響き。

 

  だが、理屈で詩を捉えてはならないと頭でわかっていても、白鳥は「眠り過ぎる」ことはない、そんな鈍感な渡り鳥はいない、とわたしの直感がまたまたネットサーフィンをさせる。

  「渡り鳥は、脳の半分ずつ交互に眠る=半球睡眠」が定説、脳波測定実験で最長数分は眠ることもあるらしいが、それは飛行中。「眠り過ぎ・・・」 「両足は固い氷の中」ということはありえない。

  数学者でもある作詞家が、仏教の輪廻の教えを表現するのに渡り鳥の回帰性に着目、クリスチャンの高田先生もそれを納得されたのか・・・。

 

  歌は理屈ではないと承知しても、これは困った!

  氷ではなく、人間が仕掛けた罠にひっかかったとしたら、これは理屈に合うが、はて、さて・・・・・。

                

 白鳥は、いまでも冬になると伊丹・昆陽池に群れ集い、その美しい群舞はバレー「白鳥の湖」を連想させる。スワン、鴻・・・とたどり、ユン・チュアンの『ワイルド・スワン』に思いつく。

 二階の書棚に土屋京子訳の講談社(上・下)一九九三年四月の、第8刷単行本があった。

 上巻の帯は「『大地』をしのぐ圧倒的なスケール」、下巻には「いつか誰かが言わねばならなかった現代中国の衝撃的な真実」と大きな字が躍っている。

  著者のユン・チュアン(張 戎)はエピローグで次のように語っている。

  「私は、現在ロンドンに住んでいる。中国を離れてから十年のあいだ、過去のことはなるべく考えないようにしてきた。一九八八年になって、母がイギリスに訪ねてきた。そのときはじめて母の口から、母が生きた時代、祖母が生きた時代の話を聞いた。母が成都に帰って行ったあとで、私はひとり部屋にすわって記憶を呼びさまし、残っていた涙で心をぬらした。そして、この本を書こうと思った」(中略)「一九八〇年代の経済改革の結果、中国の人々の生活水準はかってなかったほど向上した。・・・毎日毎日、中国に投資してくれそうな外国人を招いては贅をつくした饗応がくり広げられていた。ある日、そうした宴会を終えて出てきた客人のなかに、母は見おぼえのある顔をみつけた。・・・それは、四十年前に女学生だった母を公安に通報して逮捕させた、国民党スパイの政治主任であった・・・」(一九九一年五月)。

 

  著者のあとがきは、政治の世界でもかたちを変えた「輪廻」~「回帰性」のあることを示している。

  文革の後期 古参党員の父が直訴した毛沢東への手紙が原因で「精神病者」にされ、最後は医師の手当も遅れて“心臓麻痺”で死絶する。

  昨年末 はじめて新型コロナウイルスを告知した武漢の医師は、一時当局に拘束され、かれは若い妻と幼子を残して一月末に死亡した。

 

  歌の「白鳥」に戻ろう。

  詩人高野喜久雄の「世界」に疑念を挟むのは排し、作曲者高田三郎の前掲の「演奏上の注意」に再度留意したい。

  「はげしい型の別れ」と詩人のことばをとらえた作曲者は、それまでPPで流れていた調べを、mf飛び立とうと fもがく もがく と一気に盛り上げる。しかし、それは絶叫であってはならないだろう、苦痛と悲鳴、そして恐怖(そんな声が出せるかどうかわからないが、わたしたちは女学生ではない)。以下この注意を読み返しながら、練習を重ねていきたい。

  自宅待機がいつまで続くか・・・♪春よ来い 早く来い♪である。

                  (2020年3月2日 記)

 


日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十一話

2020-12-22 15:00:56 | はらだおさむ氏コーナー

すぎてみれば・・・     

                     

  歯の治療中、なぜか、なぜか“近親憎悪”という言葉が浮かんだ。

 

  こんな言葉があるのか、帰宅して電子辞書を開く。

  わたしの辞書(「岩波・電子広辞苑」)には“近親相姦”はあるが、このことばはない(30数年前購入のもので、最新版はどうか?)。

  ヤフーで検索、そのグウ辞書に「親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと」とあった。

 

 二月はじめ 武漢で新コロナ流行とメディアが騒ぎ始めたころ。

わたしだけではないと思うがそれはサーズや第二次サーズ(「マース」)のときのように二カ月ほど中国圏内で蔓延、そのうちに収束するものと多寡をくくっていた。

上海の友人あてのメールなどにも言葉は悪いが“高みの見物”的口調も自然と出ていたかに思うが、二月末に予定されていたコーラスの先生のリサイタルが公営の会場側からの申し出で二日前に突如中止、三月以降のコーラスの練習もとりあえずは六月末まで中止との連絡が入った(その後再々の延期で一年)。

近在の図書館も三月半ばから“当分の間休館”になり、そこを“根城”の「古文書学習」活動もストップ。逆に上海などからは、落ち着き始めてきたとの情報が入りはじめる。

 

  ここまで書いてきて、筆がとまった。

  寝ている子を起こすような、“尖閣発言”。

  それは当事者同士の会談で話し合い済み、それを敢えて共同記者会見で発  

 言された意図はなにか。メディアによる情報はさまざまだが、政府与党内だけではなくその波紋はじわじわと階層を越えてひろがり、染み込んできている。

 「お上へのおべっか」と指摘される方もある、しかし、これで“栄達”への階段は外された、“勇み足”に過ぎたとみる向きも多い。

  香港問題をどうみるのか。 

   これは“勇み足”ではない。

   習近平の強権発動である。

   イギリスと約束した「一国二制度」調印当時と、いまやアメリカと“覇権” 

  を相争うまでに国力をつけてきたいまの中国とは違うという“意思表示”であろうか、“お上”に“モノ申す”人たちを矢継早に逮捕・隔離、国旗の「五星紅旗」にある「漢族(大きな星)と少数民族(小さな四つの星)」の結合国家の“象徴”を汚すような「国語教育」の強制などは、建国の精神に反することであろう。

   いまの「中国」とは時代や背景は異なるが、安政五年(一八五八)の井伊直弼政権に擬せられはしないか。“四面楚歌”のなかで「幕政批判者」を徹底的に弾圧・逮捕した、その光景を“時を越えて”思い、至る。          

しかし、習近平体制は“桜田門外”で暗殺されるような弱いものではない。

 

「香港だけでなく、世界中の多くの人たちが中国を『敵』と捉える時代に、私たちは中国とどう向き合えばよいのか」(阿古智子『香港 あなたはどこへ向かうのか』P236)

 

いま、切り抜いた11月24日の「日経」朝刊国際版を見つめている。

紙面トップには、横二行の大見出しで「中国ネット企業 政府圧力一段と」とあり、二段下左には縦見出しの「香港活動家 当局が収監」、三段に拘留される三人の写真、四段目にやや小さく横見出しで「周庭氏ら、昨年デモ巡り」とある。

   この記事の8日後の12月2日、周庭氏ら三人は禁固刑の「有罪判決」で、直ちに収監(いまのことばづかいでは「収容」だろうが、「監獄」に対比はやはりこれか)された。

   前掲大見出しの記事は、11月23日に開催された政府主催の「インターネット大会」関連記事だが、事の発端は11月3日に香港と上海の証券市場に上場許可を与えていたアリババ傘下の金融会社アント・グループの上場が突如延期になり、政府は10日に「巨大ネット企業の独占行為を規制する試案」を作成、この大会で承認を求めさせたのであった。

昨年九月に55歳の誕生を迎えたアリババの創業者馬雲(ジャックマー)はCEOを退任、後任の張勇(ダニエルチャン)が、この日の大会で政府の規制案に賛成する発言をせざるを得ない状況に追い込まれた、といえよう(写真はウイキぺデイアに掲載のアリババグループ馬雲会長)。 

 この大型上場を政府が許可を与えておきながら、その直前にストップをかけたのは、習近平しかいないと目されている。

なにがあったのか!

消息通は上場承認の数日後、上海での馬雲・前CEOのつぎの発言を指摘する。 

「中国のリスクは金融システムの欠如だ。私たちは質屋の考え方が残る金融を変革し、信用に基づく発展をしていく必要がある」

ジャックマーにして油断があったのか、上場許可は出ているがまだ上場はされていない、そこを習近平は突いた。

ジャックマーが共産党の党員である、という消息もあるが、それはわからない。

しかし、わたしはかねてからかれの心意気に共感と尊敬の念を持っている。それは08年4月の四川大地震のとき、かれはもちろん多額の献金をしているが、その額を越える献金の国有企業や民営企業とのことをメディアに問われて、自分は個人でも会社でもきちんと納税しているが、他の多額献金企業は納税番付には出てこないですね、と皮肉った。

北京五輪を夏に控えたこの大地震、かれの発言には冷たい反応も多かったようだが、わたしはかれの正論を受け止めた。

 

11月23日の政府主催「インターネット大会」には当然のことながらアリババのほかにテンセント、バイドゥなど中国のネット企業すべてが招集されていた。そのほとんどは国有企業ではなく、民営企業が多い。

かれらがこの数年中国の消費市場を引っ張って来ていた。

そこに当局はくさびを打ち込もうとしている。

 

この記事は最後に中国当局のネット世論への統制に触れている。

「ネット上の『違法・不適切情報』として通報された2020年10月の件数は1551万件で前年同月比五割を超えた」(国家インターネット情報弁公室)

なにが「違法・不適切情報」であったか不明であるが、中国の庶民が昨年比50%増、当局から見て、違法・不適切の発言をしていることに注目したい(その件数は人口比1%強である)。

 

               (二〇二〇年十二月二十日 記)

 

新しい年まであと一旬とはいえ

            コロナ対策ワクチンが市場に出るかの矢先に、

            四川の変面ごとき早業で変種のコロナ出現の情報。

            明治のコレラや第一次大戦後のペストの流行のように

            人間世界の傲慢な振る舞いに、天罰が下されようとしているのか・・・。

            わたしたちはいま、忘年会も新年会も返上して巣ごもりで

            新年を迎えようとしています。

            お元気で! 負けないで! 新年好! 身体健康!

 

                                     はらだ  

 


日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十話

2020-12-15 10:27:46 | はらだおさむ氏コーナー

霧の中の赤いボール     

                           

 サッカー日本代表 今年最後のゲームは、オーストリアでの対メキシコ戦。

時差の関係で試合開始は11月17日、日本時間の午前五時、すこし早寝していてもやはり眠い。

 コロナの関係で観客無人の試合、在オーストリアの前・日本監督のオシムさんも自宅での観戦であったよう。スポニチとのインタビュー(11月28日配信)では「ちょうどメキシコ戦の前日から昼間の外出も制限され、ロックダウンが強化された。こういう状況で試合をアレンジしたサッカー協会、代表チームの選手・スタッフのみなさんは大変だったと思う。試合は無観客だったが、直前で中止になってもおかしくなかった」と話されている。

 

 ご覧になっておられない方も居られると思うので、すこし説明を加えておこう。

 終わってみれば圧倒的な力の差といえるのだろうが、前半12分にMF原口元気がカットインから強烈なミドルを放つ。同15分には原口のラストパスからFW鈴木武蔵が相手ゴールキーパーと一対一の決定機を迎える。老練な岡崎がいたら相手ゴールキーパーの動きを察して、ボールをフワッと浮かしたかもしれないが、鈴木は一直線に押し込もうとして阻まれる。こぼれ球を拾ったMF伊東純也のシュートも、相手GKに阻まれた。

 テレビに釘付けで観ている当方にとって、瞬時、瞬時の相手ゴールキーパーの神業的運動神経に、悔しさ7分だが感嘆せざるを得なかった。この間〆て十数分くらいか、終わってみればこの時間帯が眠気も冷めて、テレビにかじりついていたことになる。

 後日(19日)サッカージャーナリスト中山淳さんの談を読むと、ウ~ンとうなってしまった。

 前半の25分前後のシーン。

 伊東に激しいチャージを受けた相手15番は、ホイスッルが鳴ると、伊東の胸を手で押して威嚇、その後レフェリーは二人を呼び、特に伊東に注意をうながした。

 その2分後、今度は逆サイドで鈴木がジャンプしながらチャージした場面で、ファールを受けた相手2番が、立ち上がろうとした鈴木の背中を両手で押して威嚇。危険なチャージをした鈴木にはイエローカードが提示された。

 メキシコにとって苦しい時間帯の出来事、「親善試合では怪我の危険性のある激しいファールはするな!」のアピールで、日本側はそれから大人しい守備に一変されてしまった。

 これが、それ以降メキシコがボールを握ってリズムを取り戻した要因のひとつであり、メキシコ選手たちのしたたかさと経験値を示した、と指摘されている。          

                                           オシムさんも「前半25分以降、日本の        

チャンスが途切れたのは、メキシコがや     (写真あり)

り方を変えてきたからだ」と話されている。

 

 前半の終わりころから霧が立ちこみ始め、後半からは赤いボールが使用された。

 写真は日本サッカー協会提供のもので

後半戦の終わりに近いシーンだが、テレビの画面ではこれほどはっきりとは見えなかった。選手たちにはこの程度の感覚で見えていたのだろうか、テレビでは突然選手が現れたり、消えてしまったり。

 もちろん監督やベンチの指示も見えなかったに違いない。

 メキシコは後半12分と18分にシュートとドリブルで2-0とし、そのまま押し切った。

 

 今年の親善試合はこれで終わった。

 一勝一敗二分け、強い相手FIFA11位のメキシコとはやはり力の差が歴然としていた。

 仮に前半に得点が入っていても、後半では押し切られて負けていただろうというのが大方の見方だがオシムさんも含めいまの日本に不足するのは、選手とチームの「自主的判断力」との指摘が多い。

 オシムさんはつぎのようにアドバイスされている。

 「ベンチの指示を待たずに、選手同士が話し合い、対応できるようになってほしい。ベンチからの声は満員のスタジアムでは聞こえない。相手が変化してきた場合、選手こそが相手の最も近いところにいるのだから、自分たちで意見交換して修正しなければならない。そういう能力や習慣を身につけてもらいたい。日本人のもっとも苦手な分野であると知っているからこそ、あえて言っておきたい」

 

 霧の中から飛んでくる赤いボールは、サッカーボールだけとは限らない。

 オシムさんのアドバイスには、もっと深い意味が込められているのかもしれない。

 

         (2020年12月2日 記) 霧の中から 

 


日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十九話

2020-11-18 22:57:29 | はらだおさむ氏コーナー

ある“ざれことば”のこと     

                           

 「ざれごと」は漢字では戯言と書くが、その意味はどうなるのか。

 戯れ(たわむれ)、ふざけて言うことばになるのだろうか・・・。

 

   あの事件のあと 90年代のはじめ。

   中国で<「北京 愛国」「上海 出国」「広州 売国」>という言葉が流行っていた。

   広州の「売国」はすこし説明がむつかしいが、この厳しい時期“密輸”もふくめ商売に明け暮れているさまに顰蹙、非難しているのだろうか。

 

   あの事件のあと 90年4月。

 李鵬総理は上海で「浦東開発」を宣言した。

   橋も架かっていない黄浦江対岸の「浦東地区」の国有地を条件付き・有期限であるが、外資を含め「有償譲渡」(売却)するとのこと。

それまでの中国では考えもつかない画期的な政策決定であった。

 

あれから三十年がたった。

十年ひと昔というが、九十年代はその助走期間、外資導入・技術援助受入れの時期。労働集約型輸出・外貨獲得奨励の時期でもあった。

今世紀に入って08年の北京五輪、そして10年の上海万博の開催成功で内外ともにその「地力(じりき)」を証明、国際社会に打って出た。

2012年11月 習近平中共総書記に。「中国の夢」を語る。

2013年3月 習近平国家主席に。「一帯一路」政策を打ち出す。

2014年9月 少数民族へ「普通話(中国標準語)」教育の強制

 
   


月面探査車「玉兎2号」のパノラマカメラが撮った「嫦娥4号」の着陸船(新華社) 

2019年1月 月探査機「嫦娥」4号 月の裏側に到着

 

2019年末 新コロナ 武漢市で発症、パンデミックに。

 

あの事件のあと 90年代のはじめ。

わたしの上海だけの見聞だが、日本総領事館の周辺を取り巻く上海の青年男女たちの長い列があった。これから大海原を乗り越えねばと、まなじりを決した子亀たちの長い、長い行列であった。

92年の留学生は6千人位と推定されているが、そのころはまだ改革開放がはじまったばかり、進軍ラッパを手にはっぱをかける鄧小平はパリ労学の体験者だがそこまでの余裕がなく、のちにバトンを引き継いだ江沢民は官費ソ連・東欧在留の経験はあるが見識を広める機会であったかどうか。まだ海外の「人材呼戻し政策」には着手していない。

95年1月 阪神淡路大震災で上海からの留学生衛紅さんが倒壊家屋で

  圧死。5月 上海からの視察団を大阪港から神戸まで船で移動・案内して、三宮、元町、長田、鷹取の被災地区を視察。

そのころ外国との合弁・合作企業の増加につれ技術交流や商談で幹部の外国訪問の機会が多くなって来ていたが、留学生の帰国はまだそれほど多くはない。しかしその必要性は次第に高まり、上海ではベンチャー企業向け団地が建設され、視察したのもその頃であったと思う。

中央でも「海帰族」の優遇措置が検討されはじめたのもその頃であろう。それと共に「ひとりっ子」の高等教育の需要と受入れ大学などの教学レベルの向上もあり、今世紀に入ると帰国留学生の「質」が比較され、「海

  待族」が問題になり始めている。

子亀の淘汰、海流に乗って行く先を自分で探さねばならない状況になってきている。それは新しい拠点つくりに励むことになるのかもしれない。

 

習近平の「中国の夢」は、阿片戦争以後中華人民共和国成立までの中国の、被侵略と屈辱の歴史を取り戻したいま、明代の永楽帝時代の鄭和により実行せしめた七次の大航海で東南アジアからインド、アフリカに至るところで朝貢国を増やしたその歴史に思いを馳せ、「一帯一路」で大中華圏をつくること、換言すれば「大中華帝国」を建設することである。それはすでにアフリカと中南米をその影響下におき、「一帯一路」の加盟・賛同国を増やしてきている。さらには、遠藤誉さんご指摘の「一空一天」にまで及ぶのかもしれない(『徒然中国』第四十七話ご参照)。

 これは「ざれことば」ではない、ホントに考えねばならないことである。           

          (2020年11月12日 記)


日々徒然之私記 

2020-10-14 20:00:32 | はらだおさむ氏コーナー

  紅葉も日一日と北の国から南へ伝播し、秋の深まりを覚えるようになってきました。

先月号の末尾で予告いたしました『日々徒然之私記』が出来上がりました。

本文PSでご案内致しています手順で、ご注文を承ります。

よろしくお願い致します。

ぜひお手元に置かれて、原田氏の見たまま中国を楽しんでください!!

 

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十八話

読書週間(習慣!)     

                           はらだ おさむ

  酷暑の夏が台風10号の通過で一気に吹き飛び、爽やかな中秋の名月を愛でると金木犀の香に酔う暇もなく秋が深まってきた。

  読書の秋!! ことしも読書週間(10/27~11/9)がやってくる!

  今年の当選標語は、野呂美由紀さんの『ラストページまで駆け抜けて!』との由だが、これは耳が痛い!!

 

  夏のはじめ 元中国大使宮本雄二(日中関係学会会長、日中友好会館館長代行、ほか)著の『日中失敗の本質―新時代の中国との付き合い方』(2019年3月刊、中公新書ラクレ)を読んでいて、中国人を理解するには論語より道教の方がよい、との説に、へぇ~道教ねぇ~、これは全く気がつかなかったと大阪の道教協会の友人に推薦図書を求めた。

  坂出祥伸著『道教とは何か』(ちくま学芸文庫)

  これがまたムツカシイ。

  始めと終わりを読んで、ギブアップ。

  近在図書館の蔵書から関連図書五冊すべて借り出してページを拾ったが、その歴史や宗派、その変遷など眺めてもどうも宮本先生のお説のようにはいかない。わたしのように訪中回数は多くとも、現地での生活経験のないもには

 これはむつかしい設問とあきらめた。 

 

  『神戸新聞』の夕刊に「本屋の日記」という連載コラムがあり、わたしはかなり以前から愛読している。

  執筆者は全国展開の大型書店の現在は姫路店長、尼崎の一般書店のユニークな店員さん、神戸市内の骨とう品も扱いそうな書店のオーナーの三人が交替で「本屋の日記」というコラムを担当、二週ごとに四分の一ページ位のスペースを埋めている。 

  いま手元にある尼崎と姫路のコラムニストの「日記」を覗いて見よう。

  9月24日は尼崎、ひとつは新刊ものの紹介。その筆致が楽しい。「商売をしている人にはバイブルとなる小説」とPR.写真は「あきない世博」特設コーナーにわたしの本の表紙にもなった「アマビエ」の色紙も。

  いま届いた10月8日号は姫路、縦見出しに「『ずるい言葉』には訳がある」、思わず本文に目をやる。

  店のスタッフが面白いと教えてくれた「社会学」の本棚の本。「ちょっと多めに注文しときなはれ」とレジ前の話題書台に置くと、「思った通りに売れていく」。この『ずるい言葉』という本、「言葉の底にひそむ『ずるさ』がわかると・・・人間関係のちょっとしたしきみを考えるヒントとなる」と。写真は店頭に山積みのこの本。あとは芝居と美術館のお話。

 

  このところ本は出来るだけ自分では買わずに、図書館にお願いすることに。

  次の本もそうしたのだが、申し込みが少し遅かったのだろう。

  地元の図書館が3月から三カ月コロナ休館になったこともあって手元に届いたのは先月であった。 

  宮崎紀秀著『習近平VS中国人』(新潮新書、2020年3月刊)

  結論から言えば先予約者も含めこれは題名を買いかぶり?過ぎたのではないかとも思えた。

  日本テレビの中国総局長も務められた筆者が、キャリアーの道を捨て一ジャーナリストとして在中国で取材されたネタということだがどうだろうか・・・扉に付された「一党独裁が強化されている中国でも、『個人』を貫く人たちはたくさんいる。その存在は共産党体制への『アリの一穴』となるのか。中国社会『剥き出しの現実』を、在北京のジャーナリストが描き出す」覚悟と心意気には敬服するが、「いま」の地の底の動きはあぶり出すことはなかなかムツカシク、その分鮮度が落ちる。

 

  本を読むことが楽しい習慣になるにはどうすればいいのだろうか。

  子供のころ、わたしは小学校を出ていないと自己紹介でよくひとをからかうのだが、国民学校四年の七月に農村へ疎開して五年の夏敗戦、翌三月までその地で過ごした。この二年弱、読む本が無く五歳年長の兄の中学の国語の教科書などを読んでいた。読めない漢字も多かっただろうが、小泉八雲や芥川龍之介の短編はいまでもかすかに記憶がある。

  いまのような情報過多のなかで読書の習慣を身につけることはむつかしいかも知れないが、わたしのような年代のものからみると逆にそれは不幸なことかもしれない。

 

    “老いて学べば死して朽ちず”

           ― 佐藤一斎『言志四録』 ―

                      (2020年10月14日 記)

 

PS

  前号末尾で簡単にご紹介いたしました『日々徒然之私記』が先月末できあがりました。新書版より少し大き目の本文191頁。添付目次ご案内のように三部建てで、どこからでも読めるように工夫しました。頒価1,200円、ご注文いただきますれば送料は当方負担で、お支払いは同封払い込み料金加入者負担の振替用紙にてお願いさせていただきます。

 

表紙(申し訳ありません 

写真が送付されたのですが、UPできませんでした

 

 

    ぷろろーぐ                        

 

   なめるんじゃねーぞ!!。

コロナくん(性別不明)はふてくされている。

 

わたしたちは四月から二カ月、家に閉じこもってキミの通り過ぎるのを待った。キミはイナゴの集団ではないことは知っていたが、ただ家に蟄居しておればきみの先輩の、サーズやマースのときのように消え去るものと思っていた。

 

本書に収録の作品はすべて業界紙『日本ミシンタイムス』に毎月寄稿のもので、目次トップの「庚子年之過半年」は今年一月からの掲載分を収録(敢えて時系列を逆にしている)のほかは、内容別に分別、どのページからでも拾い読みできる。

 

巻頭の『この夏のむかぶ(向伏)すに・・・』(2020年7月2日 記)の冒頭部分で、わたしはつぎのように記している。

「日本のコロナ対策は手ぬるいのか・・・東京の患者増はまだ『向伏す極み』を見据えることが出来ない」

 

その後一か月、東京どころではない、全国に患者は累増、伝播し続けてている が、『緊急事態宣言』の再発令はあるのか、その必要はあるか・・・。

 解除後の二カ月、患者増というマイナス面はあるが、それぞれの分野で工夫しながら日常の営みを取り戻そうとの努力が積み重ねられて来ている。

 いまは特効薬の開発まで、キミとの緊張のある日々を過ごさねばならぬこ

とだろう。

アマビエさんの故事来歴に思いを馳せつつ・・・                 

                    (二〇二〇年八月)

 

日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)

 ぷろろーぐ

  第壱部

■ 庚子(かのえね)年之過(どしのすぎし)半年(むつき)

この夏のむかぶ(向伏)すに・・・

三度目の敗戦?

あたらしい五月

なぜか、だれか?

生かされて、生きる

白 鳥

  乙女の舞

 

  第弐部

 ■ 聴く/歌う

歌 う

 雪

  いい日旅立ち

  防人の詩

 

 ■ スポーツ

TV観戦のあとで

“神ってる”と“神速”

男たちの挑戦 パートⅠ

男たち 挑戦 パートⅡ

・・・のてっぺん

 ■ シネマ雑感

  ある映像

  ふたつの結末

  西郷どん

  映画を観るまでに

  ジャー・ジャンクー

  きみと旅たとう

 

  第参部

 ■  大和路紀行

  初一念

  二階の書棚

 ■  海外歴遊

  ソーリー、タイピーオンリー

  あのときと、それからと、

  はじめての留学