浦島伝説のこと
「トランプ大統領は11日、中国や日本を含む多くの国から、毎年800万トン以上のごみがアメリカの海に漂着していると述べたうえで、海洋生物やアメリカの経済を傷つけると批判した」(2018年10月12日、各紙外電)。
各紙は貿易摩擦に次ぐトランプのチャイナバッシングと捉えたようだが、わたしはこの海流の流れ行く先はどうなるのか、それは巡回を繰り返しているのではないか、と思い至った。波は沖から海岸へ向け打ち寄せているが、本流はずっと還流を繰り返している。
後に触れるが、南米のエクアドルで五千年前の縄文土器がアメリカのスミソニアン博士に発見された話を耳にして久しい。
子供のころ口ずさんだ童謡が甦ってきた。
♪ 昔々 浦島は/助けた亀に連れられて
竜宮城に来てみれば/絵にも描けない 美しさ ♪
唄はその顛末を一部始終語り、最後は乙姫から固く禁じられていた玉手箱を開けるや否や、白煙に覆われた浦島太郎は白髪の老爺に変じる。
端的にいえば、それは時間の経過を示しているのだが、この浦島伝説についてもうすこしネットサーフィンで調べたことを先にご紹介したい。
1972年 君島久子さんが発表したレポート「洞庭湖の遊女説話に関する新資料」(「中国大陸古文化研究」第6号)が「日本書紀」などで記された日本古来の民話説に疑問の矢を投じた。
その物語は次のように伝えられている。
「昔 若い漁夫が助けた乙女の案内で洞庭湖湖底の竜宮城を訪れた。漁夫は竜宮城で歓待を受け、この竜女の乙女と結婚、幸せに、楽しい日々を過ごしていたが、ふと故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたくなった。竜女は『私に会いたくなったらこの小箱に向かってわたしの名を呼びなさい、箱は決っして開けてはダメですよ』と漁夫に小箱を手渡した。
村に帰ると、自分の家はなく村人たちは知らない人ばかりであった。村の年寄りに聞くと『子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待っていた老婆が居られたが、とっくの昔に亡くなられたと云うことじゃ』
とのこと。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち昇り、若かった漁夫はたちまち白髪の老人と化し、湖のほとりにパッタリと倒れて死んだ」
ホームページで解説されている永井俊哉氏は「この話は、東晋の時代(5世紀以前)のもので、六朝時代に編集の『拾遺記』に掲載されている。中国南部の民間伝承が日本に伝わり、『日本書紀』などにアレンジされて掲載されたもの。
日本の、この浦島伝説にも中国の神仙説話の影響を受けたことばー『蓬莱山』、『仙都』、『神仙の堺』などが出てくる」と述べておられる。
つぎに、ウミガメのこと。
暖流の黒潮に乗ってウミガメは石垣島などの八重山諸島や薩摩半島最南端の「長崎鼻」などの砂浜で産卵することが知られている。75日ほどのちに孵化した子亀のたちの集団を引き連れて黒潮に乗っての長旅が始まるのだが、十年から二十年にかけて成長したウミガメが自分の“生まれ故郷”の海岸に戻り、産卵する習性があることは周知のことである。そうした意味で、「浦島伝説」は理にかなった“はなし”である。
ウミガメの回遊に人間が乗じないハナシはない、もちろん亀の背中に乗ってのことではないが、稲作文化の中国大陸から日本への移植にもこの海流が利用されているのである。
もう十年ほど前になるか、友人たちと天台山から杭州近郊の富春江風景区を巡ったとき、河姆渡遺跡博物館に立ち寄ったことがある。稲作発祥の地と耳にしていたが地元のドライバーも“迷路”し、最後は小さな艀でクリークを渡った。地元の人のバイクや自転車も同舟、博物館のある“洲”にたどりついた。
その入り口にあるのがこのモニュメント、実物はこの遺跡から出土した左右10センチほどの象牙製品「太陽を抱える双鳥」である。
京セラの稲盛和夫さんもバックアップされていて、そのとき手にした「長江文明の探求」(同氏監修、梅原 猛・安田善憲 共著、新思索社2004年刊)は竹田武史さん撮影の写真が豊富に織り込まれていて、いま読み返しても楽しい。
その帯には「6000年の昔、中国・長江流域に稲作漁労型の巨大文明があった」
の文字が躍っている。
中国文明の発祥は、堯・舜・禹の時代から始まるとされているが、禹は治水の功により舜の禅譲を受けたとされている。以下はわたしの推測も入るがそれまでの黄河文明(狩猟と小麦)流域から長江文明(稲作漁労)圏に侵入、『史記』でいう「三(さん)苗(びょう)」という民族を追いやる。話はそれから飛躍するが、稲作漁労を主たる生活の糧にしていた種族の主なものは、逃れていまの雲南省の苗(ミャオ)族として定着したグループと長江末流域の河姆渡に残り、そこからボートピープルで日本その他に移着したことになるらしい。
トランプ発言から、トンでもハップン、ずいぶんと昔の話に飛躍したが、まだまだ知らないことが多すぎる。
(2018年10月15日 記)