歌は世につれ・・・
二年前の急性肺炎のあと、医師の勧めではじめたボイストレイニング。
入団した女性数十名、男性数名のIコーラスがこのほど創立十五周年を迎え、かのピアニスト・加古 隆がその音響効果を絶賛した地元の中ホール(420席)で記念演奏会を開催した。
パンフをみてはじめて知ったのだが、賛助出演のCV混声合唱団の初級コースとして誕生したこのIコーラス。団長兼指揮者のM女史はメンバーの半数は後期高齢者に近づいたが、この十余年、鍛えぬいた歌声はいつまでも若々しく、美しいとのたまう。80の手習い?で入団の当方にとっては、声の方はともかく、落ちこぼれんとする身を支えていただいて、いまに至る。
入団半年足らずで地元の合唱祭に出演したあと、他の合唱団の熱唱を拝聴していたが、そのフィナーレーのロシア民謡には心魅せられ、思わずブラボーと絶叫した。それが、CV混声合唱団であった。
ロシア民謡は、若いころ、うたごえ喫茶や労音などでなじみがあった。
その歌声は、青春の思い出にオーバーラップして、こころをゆさぶる。
M女史に裏口入門をお願いして、そのうちに慣れるでしょうと入部を認められたが、男女各十数名のメンバーは若いころからグリーや職場のコーラスでのどを競ってきたひとたち。ポケットに潜めたICレコーダーで聴くわが悪声にウンザリしながら、過ごしてきた年余であった。
さて、この記念演奏会-プログラムを見ると、全6ステージ。両コーラスメンバーのわたしを含む3名は、全ステージ25曲を暗譜することに・・・。終わりよければ、・・・ということで、その感想がテーマの「歌は世につれ・・・」となる。
第二ステージ、男声合唱で「案山子」と「マイウエイ」を歌った。
「案山子」ははじめて耳にしたが、さだ・まさしのヒット曲の由。
77年11月のオンステージとあるから、かれこれ40年になる。
♪・・・寂しかないか、友達出来たか、お金はあるか・・・♪のフレーズ
が繰り返すこの歌で思い浮かぶのは、集団就職のこどもたちのことである。
いまではもう60歳をこえた人たちの青春の思い出であろうと、わたしは思い込んでいたが、黒糖焼酎購入先の奄美の商店主は、奄美の3月は別れの季節、こどもたちが島を離れて行く淋しい季節とメールを打ってきた。そうか、就職や入学で子供たちと別れを告げることは、状況が変わっても、いまでもあるのだ。
♪・・・手紙が無理なら、電話でもいい・・・おふくろが、おまえの声を待ちわびている・・・♪ この曲が、いまでも胸を突くのは、さだ・まさしの、こうした詞とともに、胸にひしひしと沁み込んでくるその節回しであろうか。
第三ステージに移る。
CVの混声合唱である。
啄木の短詩についで、宮沢賢治の「風がおもてで呼んでいる」のあと、
谷川俊太郎作詞/松下 耕作曲の「信じる」を歌った。
♪笑うときには大口開けて、怒るときには本気で怒る♪ではじまるこの歌は、中段♪地雷を・・・踏んで、足をなくした・・・子供の写真・・・目をそらさずに・・・黙って涙を流したあなたを・・・わたしは、信じる♪と絶叫する。わたしは、このフレーズで、カンボジアの戦争のシーンを思い浮かべていたが、どうであったのか。
調べてみると、この歌は2004年のNHK全国音楽コンクール中学校の部の課題曲で、作詞も書き下ろしである由。わたしが思い浮かべたシーンはともかく、ホンネの部分で「信じる」ことを確かめようとする、きびしい歌である。
つぎに紹介する「聞こえる」(岩間芳樹・作詞/新実徳英・作曲)は、今秋の合唱祭で歌うべくこれから本格的なレッスンに入る、91年の同じくNHKの高校の部の課題曲。いまユーチューブで聴いているが、そのバスパートに出てくる映像は「天安門事件」「ルーマニア革命」「原油流出」「ベルリンの壁崩壊」など、当時の国際政治事件そのものである。
1989年6月の北京のあの事件が、ルーマニアに飛び火し、さらには
ベルリンの壁の崩壊から東西ドイツの統合、ソビエト連邦の崩壊などにつながった。
わたしはそのとき、このうたのように「なにができるか教えてください」と立ち止まれず、極東ロシアをめぐり、新潟空港に帰着したときマスコミに囲まれてゴルバチョフの軟禁事件を知った。その後2~3年中国を取り巻く諸国と中国の縁辺地区の探訪を繰り返していた。
しかし、高校生などは「世界が問いかけている」「時代が話しかけている」と感じつつも「なにもできないで膝をだいている」状況であったかもしれない、とも思う。
これらの事件から二十数年たったいま、このような詩句を口にするのは
何か違和感を覚えるが、どうしたものか。
第四ステージは、Iコーラスの寸劇を交えた日本の童謡と演歌まじりの
オンステージであった。その稽古は歌よりも手間取ったが、舞台と観客席が
一番なじみ、なごんだシーンであったかもしれない。わたしは水戸黄門に扮して登場している。
第五ステージは、ロシア民謡の数々。
ユーチュウブでみると、赤軍の合唱団もあるようだがこれはいつのものだろうか。ソ連邦成立以前のむかしの民謡?やスターリン時代の歌もあるが、日本でもこうした歌は“うたごえ喫茶”時代をすごした老人たちだけの愛唱歌になっているに過ぎないのか・・・。
中国でもいま、毛沢東賛歌や革命歌をうたう「ナツメロバー」もあるようだが、こうした風潮を煽動したひとたちは、いま獄中でなにを思っているのであろうか。まさか「トランプ」のなりゆきに興じていることはあるまい。
大声を出す、これはストレス解消につながる。
あなたもいかがですか・・・。
(2016年5月9日 記)
二年前の急性肺炎のあと、医師の勧めではじめたボイストレイニング。
入団した女性数十名、男性数名のIコーラスがこのほど創立十五周年を迎え、かのピアニスト・加古 隆がその音響効果を絶賛した地元の中ホール(420席)で記念演奏会を開催した。
パンフをみてはじめて知ったのだが、賛助出演のCV混声合唱団の初級コースとして誕生したこのIコーラス。団長兼指揮者のM女史はメンバーの半数は後期高齢者に近づいたが、この十余年、鍛えぬいた歌声はいつまでも若々しく、美しいとのたまう。80の手習い?で入団の当方にとっては、声の方はともかく、落ちこぼれんとする身を支えていただいて、いまに至る。
入団半年足らずで地元の合唱祭に出演したあと、他の合唱団の熱唱を拝聴していたが、そのフィナーレーのロシア民謡には心魅せられ、思わずブラボーと絶叫した。それが、CV混声合唱団であった。
ロシア民謡は、若いころ、うたごえ喫茶や労音などでなじみがあった。
その歌声は、青春の思い出にオーバーラップして、こころをゆさぶる。
M女史に裏口入門をお願いして、そのうちに慣れるでしょうと入部を認められたが、男女各十数名のメンバーは若いころからグリーや職場のコーラスでのどを競ってきたひとたち。ポケットに潜めたICレコーダーで聴くわが悪声にウンザリしながら、過ごしてきた年余であった。
さて、この記念演奏会-プログラムを見ると、全6ステージ。両コーラスメンバーのわたしを含む3名は、全ステージ25曲を暗譜することに・・・。終わりよければ、・・・ということで、その感想がテーマの「歌は世につれ・・・」となる。
第二ステージ、男声合唱で「案山子」と「マイウエイ」を歌った。
「案山子」ははじめて耳にしたが、さだ・まさしのヒット曲の由。
77年11月のオンステージとあるから、かれこれ40年になる。
♪・・・寂しかないか、友達出来たか、お金はあるか・・・♪のフレーズ
が繰り返すこの歌で思い浮かぶのは、集団就職のこどもたちのことである。
いまではもう60歳をこえた人たちの青春の思い出であろうと、わたしは思い込んでいたが、黒糖焼酎購入先の奄美の商店主は、奄美の3月は別れの季節、こどもたちが島を離れて行く淋しい季節とメールを打ってきた。そうか、就職や入学で子供たちと別れを告げることは、状況が変わっても、いまでもあるのだ。
♪・・・手紙が無理なら、電話でもいい・・・おふくろが、おまえの声を待ちわびている・・・♪ この曲が、いまでも胸を突くのは、さだ・まさしの、こうした詞とともに、胸にひしひしと沁み込んでくるその節回しであろうか。
第三ステージに移る。
CVの混声合唱である。
啄木の短詩についで、宮沢賢治の「風がおもてで呼んでいる」のあと、
谷川俊太郎作詞/松下 耕作曲の「信じる」を歌った。
♪笑うときには大口開けて、怒るときには本気で怒る♪ではじまるこの歌は、中段♪地雷を・・・踏んで、足をなくした・・・子供の写真・・・目をそらさずに・・・黙って涙を流したあなたを・・・わたしは、信じる♪と絶叫する。わたしは、このフレーズで、カンボジアの戦争のシーンを思い浮かべていたが、どうであったのか。
調べてみると、この歌は2004年のNHK全国音楽コンクール中学校の部の課題曲で、作詞も書き下ろしである由。わたしが思い浮かべたシーンはともかく、ホンネの部分で「信じる」ことを確かめようとする、きびしい歌である。
つぎに紹介する「聞こえる」(岩間芳樹・作詞/新実徳英・作曲)は、今秋の合唱祭で歌うべくこれから本格的なレッスンに入る、91年の同じくNHKの高校の部の課題曲。いまユーチューブで聴いているが、そのバスパートに出てくる映像は「天安門事件」「ルーマニア革命」「原油流出」「ベルリンの壁崩壊」など、当時の国際政治事件そのものである。
1989年6月の北京のあの事件が、ルーマニアに飛び火し、さらには
ベルリンの壁の崩壊から東西ドイツの統合、ソビエト連邦の崩壊などにつながった。
わたしはそのとき、このうたのように「なにができるか教えてください」と立ち止まれず、極東ロシアをめぐり、新潟空港に帰着したときマスコミに囲まれてゴルバチョフの軟禁事件を知った。その後2~3年中国を取り巻く諸国と中国の縁辺地区の探訪を繰り返していた。
しかし、高校生などは「世界が問いかけている」「時代が話しかけている」と感じつつも「なにもできないで膝をだいている」状況であったかもしれない、とも思う。
これらの事件から二十数年たったいま、このような詩句を口にするのは
何か違和感を覚えるが、どうしたものか。
第四ステージは、Iコーラスの寸劇を交えた日本の童謡と演歌まじりの
オンステージであった。その稽古は歌よりも手間取ったが、舞台と観客席が
一番なじみ、なごんだシーンであったかもしれない。わたしは水戸黄門に扮して登場している。
第五ステージは、ロシア民謡の数々。
ユーチュウブでみると、赤軍の合唱団もあるようだがこれはいつのものだろうか。ソ連邦成立以前のむかしの民謡?やスターリン時代の歌もあるが、日本でもこうした歌は“うたごえ喫茶”時代をすごした老人たちだけの愛唱歌になっているに過ぎないのか・・・。
中国でもいま、毛沢東賛歌や革命歌をうたう「ナツメロバー」もあるようだが、こうした風潮を煽動したひとたちは、いま獄中でなにを思っているのであろうか。まさか「トランプ」のなりゆきに興じていることはあるまい。
大声を出す、これはストレス解消につながる。
あなたもいかがですか・・・。
(2016年5月9日 記)