男たちの挑戦 パートⅡ
早く目覚めてしまった、まだ笛が鳴るまで二時間近くある。
ダージリンにお湯を注ぎ、読みかけのページを開く。
十の言葉を題材に綴った中国人作家・余華(ユイ・ホア)の随筆集(原題
チャイナ イン ザ・ワールド):日本語版題名は気に入らないが「ほんとうの中国の話をしよう」(飯塚 容訳・河出書房新社)。人民・領袖・読書・創作・魯迅・・・と読み進んでいて、少年期の文革の思い出を今の視点から描き続ける、エスプリのきいた筆の進め方。
ベルギー戦のはじまるまでの時間つぶしにと、つぎの「格差」のページを繰った。
出だしは“性”に目覚めた思い出や年上のグループとの“武闘”だが、食糧切符の話から「文革期は単純な時代だった。いまは複雑で、混乱した時代である」と鄧小平の改革を経て今世紀の初めの「格差」がテーマとなる。それから二〇〇六年のWカップドイツ杯に話題が飛んだのにはオドロイタ。
作者の友人でCCTV(中央テレビ)の名司会者でもある崔永元の企画で「紅軍大長征」ドキュメンタリーを取材・撮影中、とある西南の極貧地区に到着したころ、このW杯カップがはじまった。中国はいまでもまだアジア予選は突破できていないが、サッカーは卓球や排球を凌ぐほど人気のある国民的スポーツになってきて、これまでも日本との試合で負けると腹いせに何度か暴動騒ぎをおこしている。
かれは地元の子供たちとサッカーの試合を思い立ったが、県城の商店では肝心のボールを売っていない、「長征」の戦友に州政府のある町まで車を走らせてやっとボールを手に入れたが、肝心の子供たちはサッカーを知らなかった!!
いまでは中国のクラブチームは札束を積み上げて世界の有名選手を集め、このところ日本も苦戦するようになってきている。都会の子供たちはナイキやアディダスのユニフォームを着て観戦するほどだが、貧困地区の子供たちはそのサッカーも知らない“格差”がある、と。
ロシア杯ワールドカップ 日本は早々とアジア予選をトップでクリアしたが、後が芳しくなく4月にハリル監督が解雇され、西野新監督のもとH組の
コロンビア⑬(6月19日)、セネガル㉓(6月24日)、ポーランド⑦(6月28日)と戦うことになった。
戦前の予想(6月12日「共同」)では「前回ベスト8のコロンビアと3大会ぶり出場のポーランドが決勝トーナメントへ一歩リードか」とあまり芳しくなかったが、初戦のコロンビアを4-2で勝ちあげ、あれよあれよと「低い下馬評を覆して16強入りした2010年大会の再現を果たした」のである。
2時45分、テレビのスィッチを入れる。
G組を一位で立ち上がってきたベルギー③との対戦がはじまる。
これまでのグループ戦では日本は一勝一敗一分けだが、相手は三戦全勝で立ち上がってきて優勝候補の一角を占める。前半はさすがに手ごわいが、日本もひるまず立ち向かう。後半3分 原口が相手の追撃を振り切ってゴール、さらに7分 乾が目の覚めるような無回転シュートを放って2点目のゴール。
相手ベンチが温存していた二選手をいれて反攻に出る。さすがに速い、強い、それに女神も味方につけたのかラッキーなゴールもあって2点を取り返し、そのロスタイムに日本はコーナーキックを得て、本田がコーナーに立つ。残り時間はもう一分を切っていて、このまま延長に入るのかどうか。本田は強気に直接ゴールを狙い・・・相手ゴールキーパーはこのボールをキャッチするや否や怒涛のごとき反攻がはじまり、その高速カウンターに昌子は半歩追いつけず、ゴールを許す。この間十数秒とか・・・そしてゲームオーバーのホイッスルが鳴り響く。呆然とする日本選手、芝生をたたきつけ悔し涙にむせぶ昌子の姿がクローズアップされる。
後半二点先取した時点で、長友も「ベスト8の夢を見た」そうだが、テレビの前で熱狂した全国のフアンはたとえ敗れたとはいえ善戦したこのゲームオーバーでも満足しただろうが、画面に映る放心したような選手たちを見つめながら、わたしは本田のあのコーナーキックはかれの自己満足を満たしただけで、本当に日本の勝利を目指したものなのか、と疑問に思った。
選手たちは出発時の数十倍の人たちに出迎えられ、“感動をありがとう”
とねぎらわれた。それはいい、監督の辞任、長谷部のキャプテン辞退に続いて本田のぼくのW杯は終わったとの発言が続いた、ご苦労さま、わたしも感動をありがとう、というのにやぶさかではないが、引き分けに終わったセネガルとの第二戦の後 岡崎と敬礼を交わしたあのシーンはなんであったのか。
あの試合 セネガルに先行されながら一点目は柴崎から長友に渡ったボールが乾にスイッチされて奪い返し、二点目は乾―本田―岡崎から本田へ転がったボールをかれがゴールへ押し込んでいる。岡崎は意図的につぶれたわけではないとあのシーンを振り返っているが、かれはこのボールの流れの中で
二度からだを挺してコースを開けており、二度目の場合は相手のゴールキーパーを手前に引っ張り出して、本田に広い空間を差し出している。瞬間的に反応した岡崎のこの動作は歴戦の積み重ねがもたらした運動能力の賜物であろう。
こうしたいきさつをすべて熟知している本田がベルギーとの最後のコーナーキックに一発逆転をねらったのであろうが、いまどきのゲーム運びでそんな甘い展開を期待する方がおかしい。
ゲームオーバーの今 こうした疑問に答える記事は見当たらない。
わたしは不思議に思いながらネットサーフィンした。
あった! あった!
「なぜ本田圭佑はベルギーをアシストするコーナーキックを蹴ったのか?
ラスト9秒の全真相」(7月6日「ビジネスジャーナル」編集部)。
「敗因を分析しなければ 先に進むことは出来ない」と応じたのは、元日本代表FWの平山根太氏やヘラクレス・アルメロ氏(オランダ)。
「あのCKの場面ではゴール前に入れずショートコーナーがセオリーです。試合終了間近であり・・・悪い流れを断ち切るためにも、一旦ゲームを終わらせるべきだったと思います」(平山氏)。
今年3月 中国の「江蘇蘇寧」監督を解雇された元ACミランなどの指揮官ファビオ・カッペロ氏は開口一番「もし私が日本の監督だったら、彼の首根っこ掴んでいただろう」(7月3日『AS』)。
『格差』を克服するには まだ時間が必要である。
(2018年7月8日 記)