くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

日々徒然之私記 

2020-10-14 20:00:32 | はらだおさむ氏コーナー

  紅葉も日一日と北の国から南へ伝播し、秋の深まりを覚えるようになってきました。

先月号の末尾で予告いたしました『日々徒然之私記』が出来上がりました。

本文PSでご案内致しています手順で、ご注文を承ります。

よろしくお願い致します。

ぜひお手元に置かれて、原田氏の見たまま中国を楽しんでください!!

 

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十八話

読書週間(習慣!)     

                           はらだ おさむ

  酷暑の夏が台風10号の通過で一気に吹き飛び、爽やかな中秋の名月を愛でると金木犀の香に酔う暇もなく秋が深まってきた。

  読書の秋!! ことしも読書週間(10/27~11/9)がやってくる!

  今年の当選標語は、野呂美由紀さんの『ラストページまで駆け抜けて!』との由だが、これは耳が痛い!!

 

  夏のはじめ 元中国大使宮本雄二(日中関係学会会長、日中友好会館館長代行、ほか)著の『日中失敗の本質―新時代の中国との付き合い方』(2019年3月刊、中公新書ラクレ)を読んでいて、中国人を理解するには論語より道教の方がよい、との説に、へぇ~道教ねぇ~、これは全く気がつかなかったと大阪の道教協会の友人に推薦図書を求めた。

  坂出祥伸著『道教とは何か』(ちくま学芸文庫)

  これがまたムツカシイ。

  始めと終わりを読んで、ギブアップ。

  近在図書館の蔵書から関連図書五冊すべて借り出してページを拾ったが、その歴史や宗派、その変遷など眺めてもどうも宮本先生のお説のようにはいかない。わたしのように訪中回数は多くとも、現地での生活経験のないもには

 これはむつかしい設問とあきらめた。 

 

  『神戸新聞』の夕刊に「本屋の日記」という連載コラムがあり、わたしはかなり以前から愛読している。

  執筆者は全国展開の大型書店の現在は姫路店長、尼崎の一般書店のユニークな店員さん、神戸市内の骨とう品も扱いそうな書店のオーナーの三人が交替で「本屋の日記」というコラムを担当、二週ごとに四分の一ページ位のスペースを埋めている。 

  いま手元にある尼崎と姫路のコラムニストの「日記」を覗いて見よう。

  9月24日は尼崎、ひとつは新刊ものの紹介。その筆致が楽しい。「商売をしている人にはバイブルとなる小説」とPR.写真は「あきない世博」特設コーナーにわたしの本の表紙にもなった「アマビエ」の色紙も。

  いま届いた10月8日号は姫路、縦見出しに「『ずるい言葉』には訳がある」、思わず本文に目をやる。

  店のスタッフが面白いと教えてくれた「社会学」の本棚の本。「ちょっと多めに注文しときなはれ」とレジ前の話題書台に置くと、「思った通りに売れていく」。この『ずるい言葉』という本、「言葉の底にひそむ『ずるさ』がわかると・・・人間関係のちょっとしたしきみを考えるヒントとなる」と。写真は店頭に山積みのこの本。あとは芝居と美術館のお話。

 

  このところ本は出来るだけ自分では買わずに、図書館にお願いすることに。

  次の本もそうしたのだが、申し込みが少し遅かったのだろう。

  地元の図書館が3月から三カ月コロナ休館になったこともあって手元に届いたのは先月であった。 

  宮崎紀秀著『習近平VS中国人』(新潮新書、2020年3月刊)

  結論から言えば先予約者も含めこれは題名を買いかぶり?過ぎたのではないかとも思えた。

  日本テレビの中国総局長も務められた筆者が、キャリアーの道を捨て一ジャーナリストとして在中国で取材されたネタということだがどうだろうか・・・扉に付された「一党独裁が強化されている中国でも、『個人』を貫く人たちはたくさんいる。その存在は共産党体制への『アリの一穴』となるのか。中国社会『剥き出しの現実』を、在北京のジャーナリストが描き出す」覚悟と心意気には敬服するが、「いま」の地の底の動きはあぶり出すことはなかなかムツカシク、その分鮮度が落ちる。

 

  本を読むことが楽しい習慣になるにはどうすればいいのだろうか。

  子供のころ、わたしは小学校を出ていないと自己紹介でよくひとをからかうのだが、国民学校四年の七月に農村へ疎開して五年の夏敗戦、翌三月までその地で過ごした。この二年弱、読む本が無く五歳年長の兄の中学の国語の教科書などを読んでいた。読めない漢字も多かっただろうが、小泉八雲や芥川龍之介の短編はいまでもかすかに記憶がある。

  いまのような情報過多のなかで読書の習慣を身につけることはむつかしいかも知れないが、わたしのような年代のものからみると逆にそれは不幸なことかもしれない。

 

    “老いて学べば死して朽ちず”

           ― 佐藤一斎『言志四録』 ―

                      (2020年10月14日 記)

 

PS

  前号末尾で簡単にご紹介いたしました『日々徒然之私記』が先月末できあがりました。新書版より少し大き目の本文191頁。添付目次ご案内のように三部建てで、どこからでも読めるように工夫しました。頒価1,200円、ご注文いただきますれば送料は当方負担で、お支払いは同封払い込み料金加入者負担の振替用紙にてお願いさせていただきます。

 

表紙(申し訳ありません 

写真が送付されたのですが、UPできませんでした

 

 

    ぷろろーぐ                        

 

   なめるんじゃねーぞ!!。

コロナくん(性別不明)はふてくされている。

 

わたしたちは四月から二カ月、家に閉じこもってキミの通り過ぎるのを待った。キミはイナゴの集団ではないことは知っていたが、ただ家に蟄居しておればきみの先輩の、サーズやマースのときのように消え去るものと思っていた。

 

本書に収録の作品はすべて業界紙『日本ミシンタイムス』に毎月寄稿のもので、目次トップの「庚子年之過半年」は今年一月からの掲載分を収録(敢えて時系列を逆にしている)のほかは、内容別に分別、どのページからでも拾い読みできる。

 

巻頭の『この夏のむかぶ(向伏)すに・・・』(2020年7月2日 記)の冒頭部分で、わたしはつぎのように記している。

「日本のコロナ対策は手ぬるいのか・・・東京の患者増はまだ『向伏す極み』を見据えることが出来ない」

 

その後一か月、東京どころではない、全国に患者は累増、伝播し続けてている が、『緊急事態宣言』の再発令はあるのか、その必要はあるか・・・。

 解除後の二カ月、患者増というマイナス面はあるが、それぞれの分野で工夫しながら日常の営みを取り戻そうとの努力が積み重ねられて来ている。

 いまは特効薬の開発まで、キミとの緊張のある日々を過ごさねばならぬこ

とだろう。

アマビエさんの故事来歴に思いを馳せつつ・・・                 

                    (二〇二〇年八月)

 

日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)

 ぷろろーぐ

  第壱部

■ 庚子(かのえね)年之過(どしのすぎし)半年(むつき)

この夏のむかぶ(向伏)すに・・・

三度目の敗戦?

あたらしい五月

なぜか、だれか?

生かされて、生きる

白 鳥

  乙女の舞

 

  第弐部

 ■ 聴く/歌う

歌 う

 雪

  いい日旅立ち

  防人の詩

 

 ■ スポーツ

TV観戦のあとで

“神ってる”と“神速”

男たちの挑戦 パートⅠ

男たち 挑戦 パートⅡ

・・・のてっぺん

 ■ シネマ雑感

  ある映像

  ふたつの結末

  西郷どん

  映画を観るまでに

  ジャー・ジャンクー

  きみと旅たとう

 

  第参部

 ■  大和路紀行

  初一念

  二階の書棚

 ■  海外歴遊

  ソーリー、タイピーオンリー

  あのときと、それからと、

  はじめての留学