ある映像
11月上旬 駅前のベガホールで開催された宝塚市民合唱祭は第50回目の、節目の催事となった。もう50年になるのか、わたしがこの地に移り住んでからの歳月が走馬灯のようにめぐり、思いがつのる。
三年前 医師の勧めで始めたボイストレイニングが昂じて、いまではふたつのコーラスの末席につらなっているが、楽譜よりは“耳学問”と未だにICレコーダーのお世話になりっぱなしである。
今回は3ステージ6曲、いくつかは昨年からも練習が始まっていたが、いちばん新しいのは、男声コーラスの「最上川 舟唄」、これは暗譜にするかどうか、先生も最後まで迷われていた。
混声のひとつ、「聞こえる」(岩間芳樹 作詞・新美徳英 作曲)は、春先に楽譜が渡された。
1991年(平成3年)の、第58回NHK高校の部の課題曲であったそうで、先生も夏休みの合宿で練習に励まれた由。
わたしはそのころ、あの事件の後の「浦東開発」や「天皇訪中」をめぐる状況
のなかで、忙しい日々を過ごしていたはずだ。
いつものように譜面を手に、ユーチューブのバスパートを開いた。
前奏の調べに、画面に出てきたのは、ひとり戦車に立ち向かう素手の青年の、あの映像であった。
♪ かねがなる はとがとびたつ ひろばをうめた ぐんしゅうのさけびが
きこえる うたをください ・・・♪
北京の、あの光景には、「鐘が鳴る」「鳩が飛び立つ」シーンは、ない。
「広場を埋めた群衆」は居なかった、この戦車に向かう素手の、ひとりの青年の映像は、ホントにあったことだろうか、とさえ思える。
わたしは、ストップをかけて、歌詞を読みはじめた。
・・・油泥の渚 翼なくした海鳥のうめき・・・
・・・歳月こえて壁越しに「歓喜の歌」が聞こえる
・・・森を 森をください・・・
ウイキペディアの解説によると、これら曲中で描写される情景は、すべて
89年の、ルーマニア革命、中東におけるタンカーの事故、ベルリンの壁崩壊、
アマゾンの焼き畑農業による森林破壊などである、という。
しかし なぜ前奏の調べに、あの戦車に立ち向かう青年の映像が出てくるのか。ルーマニアのチャフシェスク大統領夫妻が公開銃殺にあったあの事件は、89年の、北京のあの事件が起爆剤になっているというのであろうか。学生たちは
あまり立派とはいえない“自由の女神像”を押し立て、運動を展開していたが、
最後は“銃火”に押しつぶされる。
しかし、その狼煙は東欧社会主義圏諸国に飛び火してソ連邦は崩壊、東西ドイツを遮っていた“ベルリンの壁”が打ち壊される。これは事実である。
あの“事件”は、世界史的意義のある出来事であった。
中国も改革開放が進み、いまやGDP世界第二の強国になった。
作詞の岩間芳樹さんも、その流れをふまえ、事件発生二年後に少年の気持ちに託して、この歌の後半をつぎのように綴っておられる。
♪時代が話しかけている 世界が問いかけている・・・光っている道を
心開いて歩いていきたい なにができるか教えてください ア・・・ ♪
ステージに立った。
男女二十数名の、混声合唱団の二曲目がはじまる。
。
タクトを振る先生の頭上にあるマイクめがけて、口を開く。
♪ 鐘が鳴る 鳩が飛び立つ…♪
いい 調べだ・・・歌が流れ、すすむ。
もう あの戦車に立ち向かうひとりの青年は どうでもよくなってきた。
♪ 光っている道を 心開いて歩いて行きたい ラ ララ~ ララ~ラ♪
歌に酔い、少年の気持ちになって絶唱した そして、なぜか涙した。
(2016年11月19日 記)