ソウリー、タイピーオンリー
先日「デモで苦境を訴える観光業者(9月14日、台北市)」の写真とその新聞記事を読んで、あのときの光景を思い出した。
もう数年前のことになるか、前から計画していた「阿里山観光」のため 雨の桃浦空港から市内へ向かう途次立ち寄った「陶磁器の町」鶯歌でのこと。
陶磁のマグカップでおいしそうにコーフィーを飲んでいるカップルを目にして、思わず可憐なウェイトレスに「レンミンピ、クウイマ?」と声をかけたとき、「ソウリー、タイピーオンリー」とすまなさそうに言われた。
もう日本でもお目にかかれない大正ロマン風―竹久夢二の描く少女の風情であった。
国民党の馬英九総統が政権を握り、海峡両岸の交流が拡大し始めていた。 わたしもその現場を確認しようと、その前の年にはアモイから金門島まで日本人団体旅行第一陣として船で渡ったが、そのとき大勢の中国人ツアーも船を連ねて金門島に押しかけていた。現地情報によると、大陸からの船便は一日32便、乗客九千人/日とのことであったが、今後は蒋介石のふるさと・浙江省からは三千人/月の到来が見込まれているとのこと。いまから思えばまだ政策的ツアーであったか、金門島の土産物店に群がる観光客はレンミンピー(毛沢東)を振りかざして買い物に熱中していた。
タイペイでは、孫文か蒋介石の台幣しか使用できない商店(両替は可)で、正価販売に食って掛かる大陸のツアー客相手にウンザリして、わたしたちにウインクする店員たちの姿があった。まだ台湾観光がはしりの、大陸からのツアーであった。
この記事(「日経」朝、10月17日)の見出しは、横に二本「中国との直接対話停止」「台湾、民間交流に波及」縦に「中国人客減、観光に影」とこのデモの背景を紹介している。
たしかにこの数年の中国からの訪台者は、台湾の観光地を埋め尽くし、美術館や歴史建造物などでは、他の参観者にもお構いなしに大声で叫びあう人たちのむれは、まさに顰蹙の対象にもなっていた。
しかし、昨15年の統計をみると中国からの訪台者414万人のうち、その
80%は観光目的であるが、その4割が個人旅行に変化していた。これは注目すべき発見であった―言葉の不自由も感じない~リピーターも増えて来ているのかも知れない。
この記事では「親中路線の馬英九・前政権下の8年間で(大陸からの訪台者は)13倍近くに膨らんだ。だが今年5月の蔡政権発足後は減少に転じ、8 月は前年同月比3割も減った」とあるが、実数で見るとそれでも25万人の中国人が台湾を訪れている。観光業者は騒ぐだろうが、この数字は見落としてはいけないだろう。
わたしは数年前、ある会合で「台湾が中国を変える」と題して私見を述べたことがある。
それは独断と偏見の私見に過ぎないが、中国の改革開放が始まって中国の保守派長老が「窓を開ければハエが入る」と反対したとき、ある人が「金網を張ればいい」と押し切った由。それでも、テレサテンの歌声はその金網を越えて中国人のこころをつかんだ。
八十年代前半、ある経済視察団を案内して深圳に行ったとき、女性服務員(と当時呼んでいた)に当時の習慣で“同志(トンジィ)”と声をかけたら見向きもしなかったが、“小姐(シャオジエ)と呼び変えると、いそいそと用を達してくれた思い出がある(いまはまた、この小姐は禁句のようだが・・)。
同後半、田舎の駅ではじめて中国製ラーメン(「康師傅」)を食べた。出迎えの人も同行の通訳も、これが台湾企業の、メイドインチャイナであるとは知らなかった(たしかに中国製であるが・・・)。 九十年代になると、対中投資がブームになる。
上海の閔行経済開発区には台湾企業の進出が多く、そのなかには日系企業がバックアップまたはタイアップしている製造業も多かった。
李登輝総統の民選時、中国は台湾を威嚇したが、そのころ中国のエライ人の子弟が台湾企業のトップに居座っていたと後で聞いて、驚いたことがある 。
台湾企業は製造業から第三次産業も抑え、夜の社会にも食い込んでいた。
その闇の後始末は、どうなっているか・・・。
台湾の民進党政権が発足して、中国からの訪台者が減ったとデモ行進した裏には、蔡政権を揺さぶろうとする中国の意図が感じられる。
しかし、”爆買い”の訪日が減っても、毛丹青さん責任編集の『在日本』が綴っている〝中国人がハマった!ニッポンのツボ″が語るように、台湾の魅力にとらわれた人たちは、同じような感動を台湾に見つけるだろう。そして同じ「中華民族意識」のなかで、いろんな発見をしていくものと思われる。
「毛沢東」と「孫文」のことも、そしてこれからのことも・・・。
(2016年10月18日 記)