暮らしと古民家

折々の暮らしの中気が付く大切なこと

空回り

2023年02月23日 | 古民家
 もうそろそろ頃合いだと顔を上げれば・・・時間の短さにうんざりする時・・・
苦痛の時間を空回りする今を繰り返して・・・
どこにいても同じ拍子で数える時間のはずが・・・夏と冬では出来る事が出来なくなってしまう・・・。
自然と歩幅を合わせるには・・・手前勝手な想いだけでもいけない、遠い川向うを見ているばかりでもいけない・・・
塩梅の良い手納が必要になるらしい・・・。

子供心に思い返すわがままな一面と・・・大人顔負けの想像力で廻りを賑わす神の時間は・・・
そんなに長くは続かないけれど・・・一時でも触れ合える幸せを覚えているから・・・
もっと丁寧に過ごさなければ、もったいないと思う・・・。
町に溢れる奇跡の時間は絶やすことなく繋がるはずなのに・・・
どこかで自分を前に出し過ぎてしまえば・・・あっという間に崩れてしまう・・・。

抱え込むにはもろすぎて・・・遠くに追いやれば、激しく憤る・・・。
助けてとは言えない諸刃の剣に思える暮らしは・・・お節介な暮らし向きには贅沢で・・・
手を伸ばすには求められないカッコ悪さがあれば・・・遠慮なさがひしめき合う場所では・・・
どちらを向いても人懐っこい・・・子供の顔が並んでいる・・・。
混ぜこぜの中に浸る時間の中には・・・幾百通りの答えが転がりつまづいて飛び跳ねて・・・
空回りしながらも・・・受け止めてくれる仲間がそこには生まれるような気がする。



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後先

2023年02月22日 | 古民家
 足元を装う闇の中で・・・不安と恐れが浮かべば、妖怪に幽霊が生まれ・・・
真の暗さを忘れて歩いてしまえば・・・手探りの感覚も手には入らず・・・
月明かりでさえ、不器用に歩く事もままならなくなる・・・。

答えが先か問題が先か・・・後送りにする訳では無く、目的にたどり着くまでの楽しみ方の違いが・・・
笑いの矛先で変わるように・・・時間が巻き戻りはしないけれど、逆の楽しみ方があると幅が広がれば・・・
伝統の技術への向き合い方も・・・先人が残して来た技への入り方も、後先考えず覗いて見ると・・・
答えは目の前にあるのに・・・問題の意味が解らない技術が現れて・・・
なぞ解きの前のしかめっ面ばかりの集まりを・・・遠い空の上から見ている棟梁がいるのかも知れない・・・。

順序が逆で、前と後は手を繋いで曖昧なのに・・・我先にと急がない時は、何かと上手く行く・・・。
左右の手が上手く操れてくれないのは・・・それぞれの違いで、都合よくバランスが取れているのだろう・・・。
下手な人も上手な人も・・・始まりと終わりでそんなに違わなくなると思えれば・・・
楽しんだ方が、たぶん・・・良かったと、何気に変身できるのかも知れない。


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隔たり

2023年02月21日 | 古民家
 入ろうと思えば好き勝手に・・・植え込みに板戸・障子で拒む外と内の境目は・・・
見えないとも言えない不思議な力で守られて・・・
結局は、どうしようもない力不足ではあるけれど・・・程よく暑さも寒さもしのぐ、曖昧な隔たりが文化になっている・・・。

隣の暮らしが繋がるほど開放的な暮らしもあれば・・・
窓もチラホラで・・・格子や丈夫な扉で強く拒む暮らしもある・・・。
命を守るには必要な、住まいの造り方や・・・身軽で自然な暮らし方があって・・・
日本の文化には季節を愛で・・・田園風景で暮らす造りが地域を守ってくれて・・・
里山の、循環する緩やかな住まい方から・・・農村風景が削られて行けば・・・
動物も里山で暮らして来た人も住まいを追われて・・・森の一部を間借りして来た広がりの暮らしは・・・
無造作に拡大する、独り占めの暮らしになってしまう・・・。

自給自足であれば・・・大してウソは無くて・・・
お互い様が手を繋がなくなってしまうと・・・勝手気ままに気持ちが傾いて・・・
持ち寄る住まい方や・・・遠慮しがちで境目のない関係がどちらにもころがれば・・・
憧れて離れて、またくっついて・・・
望む暮らしは・・・ほどほどの暮らしと隔たりで守られているような気がする。

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寄り道

2023年02月20日 | 古民家
 寄り道とも言えない遠回りは・・・目的も無く通学路を超えて行く道すがら・・・
勝手に付けた名前でさえ呼ばれない、踏み敷かれた見知らぬ雑草の道や・・・
得体の知れない側溝の中・・・ザンブリと、水をかき分け歩いて見て・・・
田んぼや畑で笑い合う遊びを造りながら・・・空き家や雑木林は秘密基地になって行く・・・。

親に教わるのはどこまでか・・・考えた事も無く大人になるけれど・・・
たぶん、見知らぬ影からコチョコチョと、合いの手は入れてくれたんだと思う・・・。
辛抱強く長い目で見ていてくれたなんて・・・思えないほどみんなが前を向いていた暮らしと・・・
おおらかな日本の繊細さと雑さが入り混じって・・・何もかもが大きくなっていったのかも・・・。

古民家の暮らしは、お粗末な暮らしとは言えないほど・・・澄ましてみれば細やかで・・・
思い返せば笑える苦労が、たくさん生まれて来ていたんだと思う・・・。
ユラユラと歪んだ床板も・・・埃っぽい壁の仕上がりも、自然の中では素知らぬ顔で振る舞い・・・
目を背けるのではなく・・・どこからどこまでを楽しめるのか・・・
余裕が無ければ優しく触れ合えないのではなく・・・優しくなれないから、余裕が育たないのかも知れない・・・。
毎日の同じ道を、同じ幅に決めたのは大人の自分で・・・無限大に広げていたのが子供の自分だったなら・・・
少しの遠回りは・・・大人にも大切な寄り身なのかも知れない。

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何者

2023年02月19日 | 古民家
 何者かになるを繰り返す贅沢な時間をいくつも超えて・・・夢を語る幸せな合間から・・・
何者になるかが決まったまま・・・夢を造る世の中の都合に、物言わない現実・・・。
手に職を付ける・・・手習いをする姿が変わり、遊びも習い事も星の数ほど用意はあるけれど・・・
習字にそろばんの姿は遠く離れて・・・もっと便利があるからと、素知らぬ顔された文化の中に・・・
大切な教えが学べるような気がする・・・。

アナログが見直されるのは・・・綺麗すぎる出来事がウソの様に・・・
どちらを見ても同じ顔が並ぶと落ち着かないように・・・
右と左が何となく違うから、バランスが取れているみたいに・・・
どこでも同じがどこか違う・・・同じことの繰り返しでも何か違うように・・・
静かな違いに学びはたくさんあると思える・・・。

大人と子供の区別に・・・ゆっくり時間をかけてしまうようになったのは・・・
豊かな暮らしが安心を運んでくれたからなのか・・・人の手が必要ではなくなったからなのか・・・
貧しい場所ほど忙しいのは、女性や子供のような気がしてしまう・・・。
背伸びしたくなる暮らしと・・・背伸びをしなければ暮らせない・・・
どちらも行き過ぎれば苦しくなって・・・ほどほどの時間はバランスも難しいけれど・・・
奇跡の今に・・・選べる未来の子供達は何者にのだろうか。

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