ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「淡々と積み重ねられてゆく彼の言葉を聞きながら、わたしは全く別のことを考え始めていた。」

2019年05月20日 18時51分20秒 | owarai
彼のこの声を、こんな場所では
ない場所で、聞いてみたい
それは、どこ?

たとえばベットの中。
シーツとシーツのあいだで、
裸の躰を寄せ合って、聞いて
みたい。

この人に、静かな熱気を帯びた
この声に、名前を呼び捨てにさ
れてみたい。この人は、どんな
風に、愛の言葉を囁くのだろう。
この人は・・・・。

それは、恋と名付けられるよう
な感情だったろうか。
好奇心、あるいは、欲望。

確かに。
それは欲望だった。それは血の
滴る血液のように赤い、一輪の
花だった。


YouTube
Uru 「奇蹟」×「コウノドリ」コラボレーションMV

https://www.youtube.com/watch?v=B52DT_OVZbQ

「裸のわたし」

2019年05月20日 11時46分43秒 | owarai
フランスの思想家ジャン・
ジャック・ルソーは、その
著『エミール』の中でこう
いっています。

「人間はだれでも、王者で
あろうと大富豪であろうと、
生まれてくるときは裸で、

貧しく生まれて来、そして
死ぬときにも、裸で貧しく
しんでゆかなければならな
い。

このしばらくの中間で、さ
まざまな着物を着る。女王
のような華やかな着物、乞
食という衣装、僧服、金持
ち、社長、美人、さらには
主義とかうぬぼれとか劣等
感とか。

すべて衣装。ほとんどの人
がこの衣装にばかり目を奪
われて一生を終る。

すべてを脱ぎ捨てて裸の私
自身をどうするかを、まっ
た忘れてしまっている」

YouTube
Kaori Muraji - 村治佳織 - Merry Christmas,Mr Lawrence - Ryuichi Sakamoto's

https://www.youtube.com/watch?v=ZA-NjYpRn34

「北の国から」家族はどちらが幸せか。

2019年05月20日 08時29分09秒 | owarai
ドラマ「北の国から」が話題
だったころ、脚本家の倉本聰さん
が新聞のロングインタビューで
「この国はどこへ行こうとして
いるのか」でこんな話をしてい
ます。

「ここでの生活ぶりを描く
うちに、文明対自然、都会対
地方みたいな要素が出てきて
しまいましたが、

本来は、豪華な家に住む
仲の悪い家族と貧しいけど
仲の良い家族はどっちが幸
せか、という単純ななげか
けが原点なんです。

今の日本では親と子供が
一緒に感動することが非
常に少なくなりましたよね。

一人一人は感動してもそれ
を共有している家族がどれ
ほどいることか。

・・・今は親が子供に感動
を与える機会が少なすぎま
す。

親には子供が成人するまで
の間に感動という遺産をき
ちんと伝える責任があるは
ずです。

死んでからカネや土地を
残しても何の意味もない。

本当の遺産とは何か、い
つ伝えるのが最も有効な
のか、親たちは考えない
と。

親子で感動をともにして
きた家族からは、絶対に
曲がった子供は出てきま
せん」

「ごゆるり」

2019年05月20日 05時25分20秒 | owarai
夏目漱石の『草枕』という
小説に、「床を延べる時には
ゆるりと御休みと人間らし
い、言葉を述べて、出て
行った」という一文があり
ます。

ここに出てくる「ゆるり」
は、「ゆっくり」と「ゆった
り」の両方の意味をもつ
大和言葉。

ゆっくりは主に時間、ゆった
りは主に空間のゆとりを表現
する意味なので、

「ゆるり」はその両方の意
味を兼ね備えていると
いえます。その「ゆるり」の
丁寧語が「ごゆるり」です。

「ごゆるり」は、時間・空間
のゆとりを表す言葉です。

お客さまがいらっしゃた際
などに「ごゆるりとおくつ
ろぎください」と言えば、

気兼ねなくゆっくりして
もらいたいという気持ち
を、さらに強めて伝え
られます。

ちなみに現代では、就寝の
際に「お休みなさい」と
挨拶しますが、昔の人は
「ごゆるりとお休み」と
声をかけ合っていました。

それがいつのまにか
「ごゆるり」が省かれ、
「おやすみなさい」と
なったようです。

「遠 恋」八番目の曜日 ―完―

2019年05月20日 00時00分10秒 | owarai



人の一生には、その人だけに訪
れる、八番目の曜日がある。

わたしにそのことを教えてくれ
たのは、父方の曾祖母だった。
名前を、キヨエといった。
キヨエはあちゃんは、わたしが
中学一年生の時になくなって
いるから、わたしがその話しを
聞いたのは、それ以前という
ことになる。

「でも、いつ来るの?日曜日の
次に来るの?それとも土曜日と
に日曜日の次に来るの?」
「さあ、それはわからん。人に
よっていろいろじゃ。来ても、
気づかない人もおる」

「あたしにも来るの?」
「ああ、詩音ちゃんにも来る。
その日には、詩音ちゃんの一生で
起こることが何もかも全部、一日
のうちに起こるんよ。ええことも、
悪いことも、全部な」


「そこにいたんだ?呼び出し音
なしでいきなりつながったんで、
びっくりしたよ。同時に受話器
を取ったんだね?」

「嬉しい」
と、わたしは言った。
「ありがとう。電話をくれて」
そう言ったきり、言葉が喉につか
えて、あとはもう何も、言えなく
なった。べっトに縛りつけられて、
まるで蛹のような姿になっていた、
哀れな父の姿が浮かんだ。

お父さんが、死んだの。ついこの
あいだまで、生きてて、偉そうに、
タバコ臭い息で、わたしに説教な
んかしていたのに。もうすぐアメ
リカへ行くよと言ったら、「ニュー
ヨークでジャズを聞いてこい」な
んて、わかったようなことを言っ
ていたのに。

わたしの口から実際に出た言葉
は、
「もう会えなくなったの、お父
さんに」
それだけだった。

「どうしてなんだろう。きょうに
限って俺、朝からずっと胸騒ぎが
して、何がなんでも絶対に電話し
なきゃて思った」
と、あのひとは言った。

海の向こうで、気が遠くなるほど、
遥か彼方にある岸部から。

「会いたい」
と、わたしは言った。それは
言葉ではなくて、叫びだった。
会いたくて、会いたくて、た
まらない。そばにいて欲しい。

抱きしめて欲しい。
なのに、会えない。会いに行
けなくなった。心も躰も岩に
ぶち当たり、木っ端微塵(こ
っぱみじん)に砕け散る、
波飛沫(はしぶき)のようだ。

「何も話さなくていいから」
海の向こうから、遥か彼方から、
見えない岸部から、あのひとの
声が耳に流れ込んできて、躰中
を巡り、わたしを拐って、どこ
かへ運んでいこうとしていた。

希望と絶望の渦に、わたしを巻
き込んだまま。
「泣いていいよ。泣きたければ、
いつまでだって、好きなだけ泣
いて。俺はずっとそばにいるから。
ずっと、詩音ちゃんのそばにいる
から」

あのひとはいつまでも、わたしの
そばにいてくれる。
あのひとはいつでも、わたしの手
の届かない場所にいる。

その日――――八番目の曜日に、
ふたつの思いに引き裂かれたわた
しの躰は、それからもう二度と、
もとに戻ることはなかった。