ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

恋より烈しく ―Ⅱ―

2022年09月18日 11時46分24秒 | owarai
もう一度、ニューヨーク時間
に合わせてある猫の置時計に
目をやる。長針と短針を、じ
っと見つめる。見つめだって、
どうにもならないと、わかっ
ているのに、それでも見る。

ねえ、どうして。
どうして、メールをくれない
の?
あなたは今、どこで、何をし
ているの?
必ずメールを送るって、あの
約束を忘れたの?
それとも、もうわたしのこと、
忘れてしまったの?

空しい疑問符に搦めとれたま
ま、ベットにどさっと倒れ込
む。失望がぐるぐると、全身
を駆け巡っている。両手で
抱え込んだ枕に顔を押し付け
て、悲しくて泣いている女の
子のふりをしてみる。

まるで、水槽から外に飛び出し
てしまった金魚のよに、なす
術もなく、足掻いている心を
持てあましながら。

 ああ、泣きたい、と思う。
「泣き虫詩音」になって、思い
きり泣きたい。涙で洗い流して
しまいたい、息苦しいまでの、
この想い。 たぶんあのひとは、
わたしがこんなにも烈しい気持
ちを抱えていることを、知ら
ない。知ったらきっと、驚いて
しまうだろう。

電話したいと思う、電話して、
声が聞きたい。この気持を伝え
たい。だけど、できない。だって
わたしは、あのひとの電話番号を
知らない。

新しい住所と電話番号が決まった
ら、すぐにメールで知らせるね。
うん、待ってる。
そんな約束をした空港で、別れる
前に、あのひとは言った。

「淋しくなる」と呟いたわたしに
対して。
「大丈夫。どんなに遠く離れてい
ても、つながるのは心と心なんだ
から。心の中で相手を想っていれ
ば、それはつながってることに
なるんだよ」

想ってる。こんなに、想って
る。恋よりも、烈しく。一分、
一秒ごとに。張り裂けて、ば
らばらになり、砕け散ってしまい
そうなほどに。でも、淋しい。

想っているだけでは、わたしは
幸せになれない。

改定版 恋よりも烈しく ー1-

2022年09月18日 09時10分46秒 | owarai
桜の季節に、佳代子は東京にやって
きてわたしの部屋に泊まり、不倫
の恋を終わらせた。

 別れ話しの前の夜には「京都に
戻る前に、奥さんのところに乗り
込んでいく」と息巻いていたけれ
ど、翌日の夕方、わたしが仕事か
ら戻ってくると、佳代子はベット
の中から力なく「お帰りなさい」
とわたしを出迎え、

そのあとに、「疲れた。別れと同
時に魂も、抜き取られたみたい」
と呟いた。その夜遅く、学ぶさ
んからわたしの部屋にかかって
きた電話に、佳代子は「いない
と言って」首をふった。

走るのを、佳代子はやめたのだ
った。

わたしはひとりで、走り続けて
いた。三月が終わり、四月が来
て、桜がすっかり散り、五月(
さつき)の蕾が膨らみ始めても
―――来る日も、来る日も。

朝、目覚めた時にはまっさき
に、あのひとのことを考えた。
朝には夕暮れ時の風景を、夜
になると朝の風景を、思い浮
かべる癖がついた。なぜなら
東京の朝は、ニューヨークは
まだその日の朝だから。

成田空港で、あのひとは教え
てくれた。
午前と午後を入れ替えて、二
時間引いたら、俺の時間。四
月になったらサマータイムに
なるから、引くのは一時間だけ。

これからは、同じ時間を共有
することさえできないのだと
思った。
俺の方がいつもあとから、追
いかけてるってこと。

朝と夜が反対になるなんて、
悲しいな。

なんで?
だって、同じ時間に同じ空、
見られないでしょ。
その代わりに、ふたつの時間
が持てて、ふたつの空を見ら
るじゃん。


コーヒーとクロワッサンと
フルーツの朝食をとって、
ひとり暮らしのアパートを
出るのは、七時四十分。あの
ひとの時間は夕方の六時四
十分。

わたしはいつも、少しずつ
暮れていくニューヨーク
の空を思い浮かべた。街を
思い浮かべようとしても、
行ったことがないから、
うまくいかない。

ひとりの例外もなく、誰の
心の中にも、大切な人が
棲んでいるのだと、当たり前
のことなのに、まるで初めて
知ったことのように、思う。

あのひとは今、わたしのこと
を想ってくれているだろうか。
わたしが想っているほどに。



はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり <恋心

2022年09月18日 09時04分55秒 | owarai
思いこんではいけない
思いすぎてはいけないと
何度も自分に言いきかせた

愛は強くひきつけてしまう
その人のもとへと

起きているあいだじゅう考えて
起きる素材が底をついたら
妄想が始まる

思い込んではいけない
思いすぎてはいけない
愛が心の中で
愛の心の中で
妄想を生んでしまうから

散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑(ほほえ)んで枝を離れる   「輪廻」

2022年09月18日 09時03分05秒 | owarai
輪廻を信じている。
時折、仕事の合間に頬杖をつき
ぼんやり前世に思いを巡らせたり、
来世を慮ったりしている。

輪廻を信じる理由は単純で、信じない
より信じた方が楽しいからだ。それ
はUFOや幽霊にも言える。

私は根が欲張りなので、身近になるべ
く沢山、面白がれることを探しておく
のが好きである。

前世や来世を信じると、世界が何倍に
も広がる気がする。第一、人間は死ん
だら灰になるだけと思うより、永遠の
生命があると考え方が心が慰められる。

過去世でもこの地球に住んだことがあ
り、来世もきっとまた何処かの国に生
まれ変わるだろうと考えると、SF小説
を読むようにワクワクする。

人生を何かに賭けるなら、よりロマ
ンティックな方に賭けてみたい。
ロマンとは未知数が一杯ということ
だ。一足す一が二ではなく、千にも
億にもなる世界。

答えが見えない分だけ興味も増す。
イマジネーションの中で自由に
選ぶことが出来たら、この世は
もっとも面白くなる。

出来れば、人生をロマンティックに
賭けてみたい。輪廻を信じるという
ことは、人のご縁を信じることでも
ある。

すべてのことは廻り廻って、廻り巡
って繋がってゆく。そう思えは今世、
出会う人がみんな懐しく思える。

たとえ初対面の人でも「初めまして」
ではなく、「五百年振りにお目に掛か
りましたね」とつい、そんな挨拶を
したくなる。