日露戦争を故郷を両国に奪い取られた、アイヌの人達の目線から描いた、これまでに無い切り口が、不思議な面白さを産んでいた。自分達は亡びるのか?その恐怖を打ち消す為なのか、必死に生きようとする。この生きる為のエネルギー、それが熱源と言うタイトルの意味ではないだろうか。
一昨日、ミズガメ軍団の水槽を洗っていて、90センチの水槽を洗うのにキャタツに登ってて、降りようとして左足を床に着いた時、足を滑らせてしまい、左足の膝に激痛が走りました。勿論そのまま、水槽は全て洗いました。
今、膝を曲げた時と、その後膝を伸ばした時に痛みを感じますが、大丈夫、膝を固定して、この後仕事に行きます。
水を使って洗うので、床は滑り易くなっているので、もっと注意深くしないといけませんね。
京都に来て30年、突然届いた1枚のハガキから、40年ぶりに小学校の同窓会に参加することに。誰の連絡先も知らないので、もう会えないものと思っていたところでの連絡に本当に驚きました。顔を見る前に、早速グループラインを作って、幼馴染達と毎日ワイワイと会話してます。40年と言うものは、恐ろしいもので、記憶は曖昧、一人が覚えてる事も全く分からないって事も多数。でも、面白いのは、ラインしているうちに、それぞれの立ち位置が40年前と全く同じになる事。
当日、会って、52歳の現実に引き戻されるのが怖い気はするけど、さて、どうなる事か?
連絡くれた友達達に感謝。身体の中にある沢山の爆弾達が、今日まで大きな爆発をしなかった事に感謝です。何とか、当日まで、爆発しない事を祈るだけです。