大学4年生で、恩師からチームのキャプテンを任せられた。恩師は監督ではあるが、何も口出しはしないと言うスタンスだったので、実質、キャプテンであり、プレイングマネージャーである。練習内容をはじめ、オーダーも決めなければならなかっならなかった。野球の本格的経験者は、僕ともう一人。ただ、このもう一人は、アキレス腱断絶の大怪我で、あと数ヶ月は、試合に出場出来ないし、リハビリ期間を考えると、最後の秋の大会に間に合うかどうか。6人は野球経験は無いが、色んなスポーツで鳴らした者達で、期待は持てる。しかし、残りの2人は、現状、キャッチボールも出来ない。ここから、春の大会まで、1カ月。どうやって行くべきか?そして、最大の悩みが、僕自身、何処を守って、何番を打つか?
1週間で、メンバーの技量は、ある程度見極められた。決めようとする中で、やはり、僕自身をどうするかで、止まっていまう。頼るのは、もう一人の野球経験者。しかし、僕の事となると言いにくそうだ。その場に恩師が通り掛かって、助言を求めると、一言、他の人と同じ様に分析したらいいだけの事と。そこで、僕自身の特長を考えてみた。最初は、なかなか難しい。何日か、その事だけを考え、ようやくある程度のオーダーか決まった。
その後、試合になってからも、僕自身の特長から、相手は、どんなプレーをすると嫌がるだろうか?その事を考えてプレーする様になった。
また、常に全体を見渡しながらプレーする様になり、この癖は社会人になってからも役立っていると思います。
1週間で、メンバーの技量は、ある程度見極められた。決めようとする中で、やはり、僕自身をどうするかで、止まっていまう。頼るのは、もう一人の野球経験者。しかし、僕の事となると言いにくそうだ。その場に恩師が通り掛かって、助言を求めると、一言、他の人と同じ様に分析したらいいだけの事と。そこで、僕自身の特長を考えてみた。最初は、なかなか難しい。何日か、その事だけを考え、ようやくある程度のオーダーか決まった。
その後、試合になってからも、僕自身の特長から、相手は、どんなプレーをすると嫌がるだろうか?その事を考えてプレーする様になった。
また、常に全体を見渡しながらプレーする様になり、この癖は社会人になってからも役立っていると思います。
1985年、このジャケットの場所、ライブエイドを僕は、リアルタイムで観てました。受験を控えた夏、夕方から朝までずっとイギリスの会場とアメリカの会場を交互に生中継してました。これに関しては、本当に色んな事を言いたい。
QUEENに関しては、イギリスの会場で一番盛り上がったと思います。因みに、アメリカの会場で一番盛り上がったのは、これもイギリス出身のバンドでした。
当時、フレディがこのライブに関して、こんなにも思い入れていた事も、彼に降りかかっている病魔に関しても僕は知りませんでした。
この写真、フレディが、高音の声を出す時に反り返るんですが、これは、骨格の大きな人種には最適らしいのですが、骨格が小さく、ほとんどの人が猫背な日本人は、むしろ前に屈んだ方が高音は出やすいらしい。
彼らが伝説と言われるのは、フレディの病気のためだとずっと思っていました。しかし、この映画を観てそうではない事がはっきり分かりました。その証拠にQUEENは、今も活動を続けている。
また、近年、QUEENの曲名を自分の名前に使って大成功した歌姫がいます。てっきり、このライブをリアルタイムで観てつけたと思っていましたが、1985年、彼女はまだ生まれていない事を知りました。何十年も経ってから、人の人生を揺り動かす力を授ける。まさに伝説だと痛感しました。
改めて、Bohemian rhapsodyを聞いてみて、クラシックをロックに組み入れるなんて、本当に斬新だと思います。
フレディは、様々な偏見と闘い、悩んでいた。しかし、ライブエイドの舞台に立った瞬間、これらの全てを超越したのだと思う。肺を犯しつつあった病魔に、この瞬間だけ打ち勝った。そして、10万人を超える会場の人だけでなく、テレビを観ている人の心を揺り動かし一つにした。まさに”伝説”。