にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

日食

2009年07月22日 | 日記
いよいよ当日。
 朝からそわそわ落ち着かず。
 だってね、見事に曇り空なんだもの。

 9時頃外が少し明るくなって時々薄日も差してるので、「これはいけるかも?!」と思いきや、9時半くらいになったら厚い雲がびっしり。
 太陽がどの辺にあるのかすらわからない。
 10時を過ぎた頃からこころなしか外が暗くなってきたようだけど、これも日食のせいか雲が厚くなっただけなのか判然としない。
 ネット中継もアクセスが集中してるのかつながらないし、だめもとで外で観測することにした。

 10時半から、(反則だけど)黒のゴミ袋を持ってベランダに寝転ぶ。
 相変わらず太陽の場所もわからない曇天だけど、しばらく空を眺めていたら薄い雲の下を真っ黒な雲が次々と流れている状況であることに気付いた。しかも下の雲の流れはかなり速い。
 ということは、雲と雲の継ぎ目でチャンスがあるのでは?

 そして待つこと数十分。
 黒い雲の端っこが何となく明るい。
 あの辺かな?と当たりをつけてみつめていたら、薄い雲の向こうに確かに三日月になった太陽が!!

 しかも本当に細い三日月。
 間のいいことに、ちょうど食の最大時に当たってるみたい。
 次の黒い雲が近付くまでに、何度か雲が切れる場面もあった。
 ちょっとでも雲が切れると三日月は消えていつもの太陽になる。ゴミ袋を通して見たらちゃんと三日月だったから、本当に細いわずかな部分の光だけで、判別がつかないほど眩しくなってるわけだ。
 切れ目から覗いた空も、普通に青空だった。
 本当に完全に覆い隠さないと(つまり皆既でないと)、変化というほどの変化もないということで、改めて凄いエネルギーなんだなぁと実感。
 質量がエネルギーに変わるって、こんなに凄いことなんだ。
 やっぱり、水爆はもちろんだけど、核融合炉もやめといたほうがいいんじゃなかろうか。
 人間が手をつけてはいけない「神の領域」というのは、確かにあると思う。

 などと思いつつ眺めているうちに、再び真っ黒い雲の向こうに三日月の太陽は消えてしまった。
 今度の雲の塊りはかなりでかいので、しばらく切れ目は訪れないだろうといったん部屋の中に。
 そうしたらネット中継がいつの間にかつながっていた。
 奄美からの皆既日食中継。
 
 あ、いかん。
 やっぱり「部分」ではなく「皆既」をこの目で見たいぞ。
 一瞬で空が真っ暗になるなんて、どんな感じなんだろう?

 その後もう一度ベランダに出て見てみたら、まだ欠けてはいたけど、かなりぶっとい三日月になっていた。
 
 雲のおかげで、直に太陽を観測できてチョー満足。
 次はできたら皆既日食が見たい。
 30年後かぁ。
 うーん、さすがに生きてないだろうなぁ。