にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

長編と短編

2024年04月16日 | 小説
「緋の契り」を書き終えてから、はや二ヶ月が過ぎた。
まったく白紙の状態から脱稿まで二か月半というのは、私にとっては最速だ。
今、思い返しても、よく無事に書けたものだと冷や汗が出る。

私は小説の依頼って、最初はあいさつ程度で、それから意向を確かめ合い、ネタを出してオーケーが出たら企画書を提出してという具合に、徐々に話を詰めていくものだと思ってた。
だけど月刊誌でそんな悠長なことをやっていたら日が暮れてしまうのだろう。
依頼はいきなりやってきて、いきなり決まった。
私なんぞが書いて本当にいいのかと思ったけど、ド新人にとっては書く場が与えられただけでも超ラッキー。まさか断れる筈などない。

デビュー作の「もゆる椿」は生まれて初めての長編だったから、慣れないことだらけでいろいろと大変だった。
でも50枚ならR18への応募で何度も書いている。(すべて落選だったけど)
80枚を一か月半で書いたこともあるのだから、きっと大丈夫だろう。
それに小説誌だったら当然他の作家の作品もいっぱい載ってるわけで、一作くらい駄作が混じっていても売り上げには影響すまい。(コラコラ)
そんなふうに自分を励ましたり慰めたりしながら書き始めたんだけど、向こうはどうだったんだろう。
「やっぱり書けませんでした」とか、「できましたぁ~」って渡された作品が読むに耐えないものだったりする可能性は考えてなかったのかなぁ。

私はいつも、キャラだけ先に決めて、筋は書きながら考えていく。
ところが書き始めてすぐに躓いた。
ほぼ1年近く「もゆる椿」で悪戦苦闘していた成果で、いつの間にか頭が「長編脳」になっていたのだ。
これは思わぬ誤算だった。
短編のリズムを忘れてしまってるせいで、筆がまったく進まない。(懐かしい比喩だよね。今ならキーを打つ指が動かないってとこかな)
修正するのに半月くらいかかったかな。
そういや逆の意味で、「もゆる椿」を書き始めた時は大変だったことを思い出した。
なんせそれまで、100枚以上の作品って、書いたことがなかったからね。

けれど、ここでまたまた後遺症が出現。
「緋の契り」を書き上げたら、今度は「短編脳」になってしまったのだ。
今は長編に取りかかっていて、第一章を書き上げたところなんだけど、読み返したらどう見ても短編の流れ。
こりゃ早々に書き直しだなぁ。
なんて融通のきかない私の頭。
世の売れっ子作家さんたちは、長編と短編を同時執筆することもざらなわけで、改めて凄いなぁと感心する。

凄いと言えば、今回改めて思ったんだけど、編集者の人たちはそれ以上かも。
一作にかかりきりになって書き上げればひと息つける私と違って、編集の人は担当の作品をチェックし(それも複数の)、その間に企画を考え、次の次の号に載せる作家に依頼をし、イラストレーターさんと打ち合わせ、校了したと思ったらもう次の号の作業が始まる。私が知らない諸々の仕事もあるだろうし、新人賞の担当をしていたら応募された作品も読まなければならない。
想像するだけでため息が出そう。

兼業だから書く暇がない、なんて甘いことは言ってられんなぁ。
次の長編、頑張ります