にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

猫の粗相

2017年02月27日 | 日記
私は基本、動物ならなんでも好きなんだけど、どれが一番好きかと訊かれたら、迷わず「犬」だと答える。
そのせいかな。
大人になってから迷い込んできたオトーサンやグレは猫らしい猫だったが、小さい時から育てると犬みたいな変な猫になってしまうのだ。

例えばヒラメは私が行く所へはどこでも着いてきて、初めて入る人様の部屋でも平気で爆睡。
用をすませて「帰るよ~」と声をかけるとがばっと飛び起きて、またトコトコと着いてくる。
これを可愛いと思わなければ、世の中に「可愛い」事象など存在しない。

ミミはもっと凄くて、普通に犬のように散歩をしていた。
「散歩にいくよ」と声をかけると、嬉しそうに外に飛び出す。
もちろん猫だからヒモはつけてないけど、見えないヒモにつながれているようにずっと付かず離れずでいっしょに歩き、その状態で町内を一周。
一応猫なので、木とか塀とかあると登ったりするけど、降りる時は私を呼ぶ。呼ばれた私は「はいはい」と身体を折って木の下で背中を水平にしてやる。そうするとミミは背中に飛び降りてきて、また地上の散歩に移る。
途中に自販機があったので、私はいつもそこで缶コーヒーを買い、タバコを吸いながら一服することにしていた。その間ミミは一匹で勝手に遊んでいるんだけど、そろそろ行こうかと腰をあげて名前を呼ぶと、すぐにすっ飛んで戻ってくる。
犬でもここまで忠実な奴は、そうはいないのではなかろうか。
(ちなみにニゴウやマーともよく散歩に出かけたけど、途中で行方不明になってしまって、いっしょに戻ってきた試しはない)

そういえばブロンズコレクターとして有名なナイスネイチャという競走馬(要するに万年3位の馬)がやはりそんな感じで、手綱をつけなくても厩務員の後ろを付いてきたという。(この馬も、自分は犬だと思い込んでしまったのかも)

でもって、今ウチにいる奴も、まるで犬のようなのだ。
といっても、上記のようないい面での犬らしさではなく、トイレが覚えられないという意味でだ。

俗に犬を飼う大変さのトップ3は、「散歩が大変」、「トイレの躾ができない」、「泣き声がうるさい」というもので、猫がいいという理由はそのまんま逆になる。つまり「散歩をさせなくてもいい」、「トイレをすぐに覚える」、「鳴かない」というわけだ。
ところがこいつがトイレを覚えてくれない。
部屋にはこれ見よがしに2つも置いてあるのに、なぜか砂の上ではなく柔らかな物の上でする。
一番のお気に入りはコタツ布団の端っこ。ついで座布団の上、脱いだ服の上、はてはカバンの中。
おかげでコタツ布団は買い換える羽目になった。
座布団は100均のだからまあいい。服もオークションで落とした99円の物だからこれもいい。
カバンは・・・・・消臭剤を降りかけてそのまま持ち歩いていたけど、周囲の人は気付いただろうなぁ。

今はコタツ布団の端にはペットシーツを敷き詰め、出かける際は狙われそうな場所にはゴミ袋をかぶせている。
おかげで室内は猛烈にオシッコ臭い。
「埃で死んだ人間はいない」という格言(?)はあるが、臭いで病気になることはないのだろうか。
そう思ってしまうほどに臭い。

まあまだ1歳かそこらだしね~。
そのうちちゃんとトイレでするようになってくれるかなぁ。
日々祈りつつ、今日もペットシーツを部屋中に並べている私。
ま、いいけどね。
コメント (3)
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小説執筆中

2017年02月03日 | 日記
 ここのところ、ずっとHPもブログもほったらしていた。ブログ巡りもせず、コメントにも気づかず、不義理をしてしまったわけは、小説書きに夢中になってしまってそれに没頭していたから。
 元々本はよく読むほうだったけど、科学本やドキュメンタリーばかりで、小説なんぞ手に取ったこともなかったのに、どうして自ら書くようになってしまったのか。

 最初のきっかけはグレの見送りだったと思う。
 山の中のペット専用火葬場で焼き上がりを待つ間、その場の吸い込まれるような静けさにいたく感動した。
 この感覚を何らかの手段で表現したいという欲求に駆られたのだけど、忙しさに紛れてそのまま。
 その2年後、いきなり喀血。
 一応大事には至らず治ったけど、この時「私の人生は、自分が思っているほど長くないかもしれない」と痛感し、やりたいことを後回しにしているばあいではないぞと思い直した。

 やりたいことの一つは創作。
 あの静けさを表現すること。
 手段は何でもよかったんだけど、マンガは二十代半ばに「これ以上は描けない」という自信作を賞に応募したところ「努力賞」どまり。これで限界を悟った。
 俳句は「岩にしみいる蝉の声」ならぬ、「山に吸われる鳥の声」しか思い浮かばなかったので却下。
 で、残ったのが小説だった。

 これもマンが同様落選続きになるかなと思っていたら、2作目で某賞の1次を通過。
 それで完全にハマッた。
 1000作以上の応募作の中の50位内に残ったのだから、ハマらないほうがおかしい。
 で、それ以後マーちゃんの近況報告以外の書き込みは一切ストップした次第。

 3年前マーちゃんがいなくなってからは、ブログだけでなくSNSもご無沙汰してひたすら書いてた。
 創作って、本当に楽しいよね。
 時間を忘れるどころか、自分が誰かということすら忘れる。書いている間は、その作品の主人公と完全に同化してる。
 「ガラスの仮面」のセリフじゃないけど、「千も万もの(そんなに書いてないけど)人生を生きられる」という感じ?
 時にはシャブ中の若い女の子になり、時には強姦殺人犯になり、時には騙されて外国の娼窟に売られる女になる。(・・・と書いていると、あまり生きたい人生じゃないな)

 まだ2次通過が最高記録だけど、10年は頑張って応募し続けると決めたのであと5年、悔いが残らないように書き続けるつもり。
 それで駄目だったとしても、書くことはやめない。
 賞も読み手のことも気にせず、自分の好みを丸出しにした作品を書き続けていくつもり。

 さあて、納得のいく作品を書き上げるのが先か、それとも寿命がくるのが先か。
 最近同僚が60歳で癌死しちゃったから、人生の有限性をますます突きつけられてる。
 ・・・と言いながらタバコはやめてないんだよね。
 そのうちまた血を吐くぞ。
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