にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

三鷹市女子高生殺人事件について

2013年10月10日 | 日記
何だか久々に、心底イヤ~な気持ちになった。

この犯人は、彼女の命を奪うだけでは飽き足らず、人格も尊厳も踏みにじった。
そうなるように、事前に仕組んだ。
肉体だけでなく、魂まで抹殺しようと図ったのだ。

人は人を、ここまで激烈に憎むことができるのだろうか。
考えるほどに怖くなる。


今の気分は、オーバーかもしれないけど、「アメリカ同時多発テロ」を知った時に似ている。
あの時ニューヨーク市民の一人が、「何よりもショックなのは、私たちはここまで憎まれているのかということです」とコメントしていた。
圧倒的な憎しみの感情を目の当たりにすると、気分が陰鬱になる。
「自分は違う」という問題ではなく、そういう感情を抱けるのが人という生き物なのだと思い知らされるようで、人間でいることが嫌になってくる。


それとも私の深読みなのだろうか。
犯人の男は、「こんなに可愛い女に俺は愛されていたんだ」と自慢したかっただけで、彼女を貶めるつもりなどなかったのだろうか。


ストーカー殺人に至る人の心理は、本当に謎だ。
「可愛さ余って憎さ百倍」?
このことわざの心理が理解できない私は、本当に人を愛したことがないってことなのかな?


拾い物

2013年10月02日 | 日記
生き物が落ちていると、持って帰らずにいられないのは、私の悪い癖だ。

クロタンの時も、「今は駄目だ」「見て見ぬふりをしよう」「飼うわけにはいかない」と頭の中で叫びつつ、気がつくと抱き上げていた。
「犬は飼い主に似る」というが、どうやらネコも同様らしく、クロタンは落ちているマーをわざわざ拾ってきた。
マーもやたらにヤモリを持って帰ってくるが、これは「拾う」とは言わないだろうな。

最近は幸いにも、落ちている子猫には遭遇していないのだが、その代わりやたらと虫に出会う。
道路の真ん中を這っている毛虫とかミミズとかは、道の端に避難させてやればすむのだが、この前新幹線のトイレの中でテントウムシをみつけてしまった。
たっぷり1分以上悩んだけど、このままそこに置いておけば間違いなく死んでしまうだろうと思って持って帰ることに。

途中で死んじゃったらどうしようかと思ったけど、無事に家まで辿り着いた。
今は部屋の中を飛び回っているが、そのうち気が向いたら外に出て行くだろう。
どこから新幹線の車輌に飛び込み、どういう経緯でトイレに入り込んだのかはわからないが、このテントウムシは元の住処から数百キロの距離を移動したことになる。
もしテントウムシの世界にギネスブックがあれば、間違いなく認定されるのではないかな。

実は今部屋には、お店の近くで拾ったクワガタもどきの虫も住み着いている。
閉じ込めてはいないから、いつでも自然に帰れるのに、部屋のあちこちに置いている昆虫ゼリーが気に入ったのか、一向に出て行く気配がない。
羽化し損ねたセミも少し前までいたのだが、こいつはいつの間にかいなくなってしまった。

私の拾い癖が治らない限り、これからも部屋は、あらゆる生き物が跳梁跋扈する空間であり続けるだろう。
そんな我が家を、私はいたく気に入っていたりするのだ。
あ~、どっか山奥で暮らしてぇ。