心の赴くままに…

夫婦二人でのんびり、気楽に~

お見舞い

2016-05-09 23:55:32 | 日記

6日時々、10時ちょっと前の新幹線で博多まで、乗り換えて小倉まで『ソニック』
13時少し過ぎて到着
八代から熊本まではいつもより速度を落として運転、待ち合わせ時間を入れて3時間余りかかった。
従弟には勝手に行くから迎えは要らないって言ったのにそれでは気が済まなかったのだろう。
駅で待っていた。それからすぐに病院まで
13時半頃から18時近くまで叔母のベッドのそばで見守っていた。
声を掛けると、一度目を開いて顔をしかめて泣き顔になった。
判ってくれたらしい。でも話すこともできない意識朦朧とした状態…
何度か目を開けないまでも、声掛けにわずかに反応を示した。
「4日はもう少しよかったんだけど…」と看護師さん。

7日、16時過ぎから18時近くまで居たけど目を開くことも無かった。
呼吸が荒く苦しそうだった。
看護師さんに「目が腫れていますね~」と言うと「今日は透析をしたんですけど…」
従姉弟が入れ替わりのように18時半から20時まで居たけどやはり目は開けなかったと

8日、帰る前にもう一度会いたかったので10時半頃から12時過ぎまで…
口の中の粘膜のあらゆるところから出血して、口を開けて呼吸をしているので乾いて歯にもこびりついていた。
口の中は血だらけのよう…
口のリハビリ?と担当の方がみえてマッサージをしてくださるとき、保湿剤を塗って血を少しずつ取ってくださった。
最初のうちは痛いのか顔をしかめていた。
その処置で少しは見やすくなった。
少し目を開けたので話しかけたけど反応は無い。目じりに涙が滲んだけど…

6日に少しでもわかってくれたようで良かった。
今日は兄、義叔父、義叔母の所へ行って報告、会えなかった従弟には電話で状態を知らせた。
一度退院して帰りたかった、まさかこのような状態になるとは思わずに入院しただろうに…
風邪だと思い込んでいた。
掛かり付け医がいつもとは違う事を見抜けなかった。
肺炎を疑った。
血液サラサラのお薬を飲んでいたのでその効果が消えるまで血液検査ができなかった。
悪性リンパ腫でも性質が悪いもので進行が速かった。
いろんなことが重なってこんな状態になった。
元々体が丈夫だったので意識が戻らなくなって3週間、4週間近くもっている。
脳梗塞を起こしているようでも無いとのことだけど…
「生きよう」そう思って受けた、二回目の抗がん剤治療。
もう一度望みがかなったら~