オヤジのひとり言

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● ・ ●・ ▲▲・ ▲ ・「祇園祭り」・・・

2010年07月10日 | Weblog
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コン・コン・チキ・チン・コン・チキ・チン

周りは、ワールドカップと祇園祭り一色・

(暗いニュースの相撲界)←この部分大嫌い!!

私は ??毎日・ セッセ・せっせと・・物件登録していまーす。

トップページに更新状態が解かるようにしてみました。


「祇園祭り」ひとくち MEMO 

そのむかし、
平城京・恭仁京・長岡京そして平安京がこの地に築かれて、
都として繁栄していたころ、
真夏の疫病は何よりも怖ろしいもの
当時の暮らしでは、冷蔵庫も何もない 
この時期の食物はあっという間に腐ります。
当時は氷などは「麻呂さま」だけが食していたもの、
クーラーも扇風機もなく、暑さを避ける術もありません、
京の夏は特別暑い、体力も衰えがちで。
上下水道・が完備された現代のようには衛生状態もよくないし、
井戸も共同で使用して暮らしていました、
だから、
もし悪い伝染病が流行ったらあっというまに感染が広まったと言われています。
現代のように「夏は人生を謳歌する季節」というよりは、
死の影にくっきり縁どられた季節であったのではないかと。
疫病が流行ったときに、人が集団で病み伏して死んでいくさまは、
恰も疫病神が人々を踏み潰していくのが見えるように。
庶民は成す術も無く、
疫病が通り過ぎるのを見守るしかできなかった人たちが、
なんとかしてこの疫病を鎮めて、
無事に夏を過ごしたいと思う気持ちから生まれたのが、
祇園祭の原型となる「鉾流し」の行事。
それから時代をへて祭の形はだんだん変遷し、
現代では「動く美術館」とも言われる豪華な山鉾が建つ祭になりました。
今はもう、山鉾町に生まれ育った若い人でさえ祇園祭が何の祭か知らないと、
年寄りを心配させているようです。
時代が変わり、夏はむかしほど恐ろしい季節ではなくなりました。
「厄除け」の現実は確実に変化していると思います。

おーい!!
そこの若い衆 今年は厄除けの 粽 買わなあきまへんで・

ただし、「恋の病」には効きまへんので・・念のため!!

縁結びの神さんは「地主神社」でっせ


 今日の桜は??  

 林二号(はやしにごう)

 林一号に続き育成された八重桜で、

 花弁数は15~18枚です。

 花は淡紅紫色をしています。


今回はここまで・・   


続きは次回に・・ 


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