男雛と女雛の位置が京と東京で違うわけ
3月3日はひな祭り
、
現在のようなひな祭りになったのは江戸時代に入ってからのようです。
これが女の子の祭りとして定着するに従い、
雛人形を飾って祝うことが中心になって来ました。
この雛人形が贈り物の対象となり、
女子の嫁入り道具の一つに、
また女児の初節句に嫁の親元から贈られるという習俗が
一般化されるにつれ益々華美になっていったといわれています。
そして江戸末期には、
ひな壇の最上段に内裏を置き、
その下に官女や五人囃子、随身を飾る段飾りが完成した。
段飾りの主役の内裏の男雛と女雛の位置が
京と東京では左右が逆と言うことはよく知られていますが。
京では男雛は向かって右、女雛は左に飾るが、
東京ではその逆になる。
最も近年では東京式が全国を席巻し、
京でもデパート等では東京式の雛人形が売られています。
実は変化の裏には次のような事情があったようです。
権力の視覚化を狙った時の明治政府は天皇の写真(御真影)を全国に配布する。
この手法で教育勅語が発令された
翌年には全国の学校において
勅語謄本や御真影を拝礼することが義務付けられたのです。
御真影は天皇、皇后が並んだ写真ですが、
外国の皇室を見習って天皇は向かって左でした。
それ以来違和感を持っていたが、
大正から昭和の初め頃から
三越や高島屋などの有名デパートがこれにならって
男雛と女雛を入れ替えたのに端を発して、
東京の業者間で左右入替が始まり、
瞬く間に全国に広がったようです。
その中でさすが、
かたくなに伝統を守り続けているのが京都のみであったというわけなのです。
他にも諸説があるようですが・・
もし、これに関するものがあれば・
是非ご一報下さい。
お待ちしています。
じゃっ・・bye2
3月3日はひな祭り
、
現在のようなひな祭りになったのは江戸時代に入ってからのようです。
これが女の子の祭りとして定着するに従い、
雛人形を飾って祝うことが中心になって来ました。
この雛人形が贈り物の対象となり、
女子の嫁入り道具の一つに、
また女児の初節句に嫁の親元から贈られるという習俗が
一般化されるにつれ益々華美になっていったといわれています。
そして江戸末期には、
ひな壇の最上段に内裏を置き、
その下に官女や五人囃子、随身を飾る段飾りが完成した。
段飾りの主役の内裏の男雛と女雛の位置が
京と東京では左右が逆と言うことはよく知られていますが。
京では男雛は向かって右、女雛は左に飾るが、
東京ではその逆になる。
最も近年では東京式が全国を席巻し、
京でもデパート等では東京式の雛人形が売られています。
実は変化の裏には次のような事情があったようです。
権力の視覚化を狙った時の明治政府は天皇の写真(御真影)を全国に配布する。
この手法で教育勅語が発令された
翌年には全国の学校において
勅語謄本や御真影を拝礼することが義務付けられたのです。
御真影は天皇、皇后が並んだ写真ですが、
外国の皇室を見習って天皇は向かって左でした。
それ以来違和感を持っていたが、
大正から昭和の初め頃から
三越や高島屋などの有名デパートがこれにならって
男雛と女雛を入れ替えたのに端を発して、
東京の業者間で左右入替が始まり、
瞬く間に全国に広がったようです。
その中でさすが、
かたくなに伝統を守り続けているのが京都のみであったというわけなのです。
他にも諸説があるようですが・・
もし、これに関するものがあれば・
是非ご一報下さい。
お待ちしています。
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