<ブラジルワールドカップ>柿谷と香川「ウサギとカメ」の固い決意
同じユニホームに袖を通した2人の天才の軌跡
「自分を信じて戦ってきたから今がある。
4年間の悔しさをブラジルのピッチで出したい」。と
英国から帰国する飛行機内で
サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の
日本代表入りを知ったという香川はそう話した。
4年前はメンバー入りを果たせなかっただけに、
淡々とした口調に固い決意がうかがえた。
同じころ、
柿谷は遠征先の中国広州
「夢がかなった。
代表として世界でしっかり日本のサッカーをアピールしたい」と
大舞台に思いをはせた
2006年、まだあどけなさが残る2人の「天才」は、
セ大阪の入団記者会見に臨んだ。
しかし、
同じユニホームに袖を通しながら、
歩んできた軌跡が重なったのはわずかしかない。
公式戦でともに先発出場したのは14試合
。
2人のことをイソップ童話「ウサギとカメ」に例えるのは
セ大阪の秀島寮長。
「カメは香川で、ウサギは柿谷。
デビューは柿谷君が先だったが、
香川君はひたすら努力して体を作り、
ウサギを追い越した」と
香川は親元を離れて
5年間過ごした仙台市のクラブチームから、
高校3年でセ大阪入り。
食が細かったため、
寮では体力をつけるため、
夕食を2時間以上かけてとり、
オフには毎日30キロの走り込みを欠かさなかった。
海外を見据えて努力を重ね、
世界的人気クラブ、マンUの一員に。
一方、柿谷選手は
セ大阪の下部組織で4歳からサッカーを始め、
クラブ史上最年少の16歳でトップチームに昇格。
しかし、
試合で結果を出せない自分に納得できず、
監督に反抗的な態度を取り、
練習にしばしば遅刻した結果、
当時J2の徳島に事実上放出された。
「わがままばっかり言って申し訳なかったです」。
12年春、徳島から復帰した柿谷は秀島寮長に頭を下げた。
13年7月、東アジア杯で代表デビューし、
ザッケローニ監督の信頼を得るとともに、
この年Jリーグで21得点をマーク。
ウサギがようやくカメに追いついた。
セ大阪の小菊・強化部課長は
「言葉に出さなくとも、
お互いをリスペクトして刺激しあっている」とみる。
入団会見から8年、
夢舞台で再び共演する2人。
互いの力を引き出しゴールを決めて・・、
日本中のファンが渇望する
ワールドカップBEST 8を・・