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物の怪を恫喝した文章博士三善清行

2012年12月23日 | オヤジのひとり言

12/23

京に伝わる魔界伝説

物の怪を恫喝した文章博士

 北白川通から琵琶湖へ抜ける山中越えの街道傍に、

自然石が置かれている。

「 参議三善清行御墳 」と刻まれていて、

平安時代前期の文人官史三善清行の墓と伝わる。

三善清行は、

この白川の地に山荘を構えており、

墓石はその山荘跡を標すもののようです。

むかしは石洞窟があって、

そこに「 見目美地蔵 」という

等身大の地蔵尊が祀られいたそうです。

地元の人々は「 三善さん 」といって花を手向けていた。

「みめよし」は「みよし」から名付いたともいわれています。

( この三善さんは現在、北白川丸山の勝軍地蔵の傍に安置されています )

北白川で愛されていた三善清行は、

「 花要らんかぇ~ 」と花籠を頭に載せて、

京の街で花を売る白川女を誕生させた功績は大きい。

自宅周辺に咲く花があまりにも美しいので、

里の娘を集めて御所に献上させたのが起こりで、

紺木綿の着物に紺の前だれ姿で、京の三大祭・・

時代まつりの最後尾を白川女が飾るのも頷けます。

千年もの歴史を持つ京の名物です。

 三善清行は、

醍醐天皇に『 意見十二箇条 』を呈上したことで知られるが、

世にも不思議な逸話をもった学者です。

三善清行の邸は、

五条堀川( 醒ヶ井 )に構えていたが、

そこは物の怪が良く現われる不気味なところでもありました。

しかし清行は動じることなく恫喝し、

物の怪の正体が狐であることを突き止めたのでした。

そして息子の浄蔵 もまた、

平将門の怨霊を調伏させる凄腕の僧でした。

しかし、

文人官史の息子がなぜ仏門に入ったのか、

幼い頃から物事に聡かった浄蔵は、

山中に籠って修行をしたり社寺に出かけたりしては、

父親に連れ戻されていたらしい。

それが7歳の時、

霊感でもって護法童子を使い、

庭に咲いた梅の枝を自分のところへ持ってこさせ、

そんな秘術を披露して清行を仰天させた。

それで清行も息子の非凡な才能を認め、出家を許した。

12歳で比叡山に上った。

ちなみに、浄蔵が操る護法童子とは、

陰陽師の式神とおなじモノです。

仏像で見ると、

不動明王の脇役として控えている童子姿の彫像がそれで、

普通の人には見えないという。

今回はここまで・・    

 

 

続きは次回に・・ 

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