彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

むちむちでした

2020年06月25日 | Weblog

 前回ブログの痛みのひどい生活道路のことです。

過去からの事情を知っている人から若干詳しく聞いたのですが、

行政側の無責任もないわけではありません。無知無知でした。

過去の産経の記事を見つけました。

<道路の「迷子ちゃん」、全国でトラブル 暴力団介入“通行料”名目で金銭要求も…>

・・前段略・・現在まで放置されてきた背景として、ある自治体担当者は「実務上の問題が起こることは少なく、『寝た子を起こす』必要はない」と打ち明ける。道路法は、すでに供用されている道路について「私権を行使できない」と定めており、所有権の有無にかかわらず道路の撤去などを求められることはない。

 

 この記事と内容が若干違いますが、「私有地であったのが時代とともに生活道路となった」あとの

法的処理の問題になります。(村道として登記処理がされていません。)

「法的処理」は役所側の問題にもなり、記事にあるように、そっとしておけば問題ないのに

「寝た子を起こす」ことにもなるわけです。

しかし、住民が困っていれば「そっとしておく」訳に行きません。

問題の先送りもいいところで、「処理を逃げて後世に先送りしてきた」結果が今なんです。

そのツケが、住民の不便となって回ってきたことになります。

だから「今でしょ!」なんです。

どこかでケリをつけていかなければ、役場の職員であれ、生活する地元民であれ、

後に続く人に苦労や不便を先送りするだけになります。

 

恐らく登記しようとすれば、先送りされた分、膨大な作業と時間とカネもかかることです。

新たな問題も出てくるかもしれません。

自治体が「やる」と腹をくくらなければできないことです。

それをやってこなかった責任はあります。

地主が「補修していいよ」と言えば、法的には整理されていなくても別に問題ないわけですが・・・

しかし、今それでよくても、いずれまた同じ問題に直面するかも知れません。

「実務上問題なく」ても、そのために法律があるわけです。

役所で「実務上問題なく」ても、住民には大きな問題です。

地域の課題は、役所にとっては問題のはずですが・・・

 

ここは生活道路であり、「住民が困っているという事実」を無視できるのでしょうか。

人口も減り、人がいなくなれば問題も解決されていきます。

それを待つ事になるのかも知れません。

もうひと踏ん張り、自分にできることをやっていくしかないのでしょうか。

言うだけですが。

 


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