彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

2017・12月懲りずに一般質問

2017年12月15日 | Weblog

 この一年ぐらいはいつも、今回は質問は休もうという思いがよぎります。

ですが、やっちまいます。

今回もそうでした。

優等生のように言いますが、選挙で選ばれて報酬を得ている以上、「最低でもできることはやる」という想いしかありません。それだけです。

逆に言えば、それ以上のことはやれていないという事ですが・・・・

 今回は3つの質問をさせていただきました。

①普代駅舎改修後の利活用について  ②住宅施策と小中一貫校建設について  ③高レベル放射性廃棄物地層処分三陸沿岸適地候補について

実は、③は何も考えていませんでした。

一般質問原稿締め切り日の朝、宮古の、ある団体の代表さんから電話が来ました。

「地層処分適地候補の新聞発表があってから(7月末)、9月議会で田野畑村議会と久慈市議会ではそれについての一般質問があった。普代村でもやってほしい。」という電話でした。

この方とは数年前にもお会いしていて、講演会に出席したり、その後に色々調べて原発についての一般質問をしたことがあります。

徹夜で一睡もしないで質問資料を整理して対策を練ったことを覚えています。

おかげで、質問が終わった後は、睡魔との格闘で大変でした(笑)

今回は前の日徹夜はしませんが、原稿を出してから定例議会までの10日ぐらいで、間を置きながら3日ぐらい徹夜でした。当日は4時起きで最終仕上です。

その割には、終えて見て満足できる質問ではありませんでしたが・・・・汗

持ち時間一時間に3つの質問はやはり厳しいものがありました。時間が足りません。

ですが、高レベル放射性廃棄物地層処分のことを調べているうちに、これはしっかりと訴える必要があるという想いが強くなってきました。

しかも、当日は中学生が傍聴に来ることになっていましたので、若い人に原発の問題に関心をを持ってもらいたいという想いもありました。

なぜかといえば、田野畑村の岩見ヒサさんの書いた本「吾が住み処、ここより外になし」を読んだことを思い出したからでした。

田野畑村明戸地区に原発が立地されそうになった当時の35年前、それを阻止するために先頭になった人です。

そのおかげで東日本大震災で、われわれ普代村の人間も救われたのです。

もしかすると、今自分は普代に住んでいなかった可能性もあります。この影響はすごいことだと思います。

誰かが何かを言わなければならない。その微力にでもなればいいのかな?と言う気持ちで質問させてもらいました。

時間配分を最初は③については、10分か15分ぐらいに考えていましたが、20分の予定で臨みました。

あと二つの質問にも思い入れがあったのでおろそかにはしたくありませんでした。それで20分ずつの配分にしての挑戦でした。

③について調べるうちにだんだんウェイトが大きくなっていました。

質問を終えてみて、ほとんどの人には無関心なことだったのかな? との想いもあります。

差し迫った危機ではありませんから・・・

それも岩見ヒサさんのお陰で無関心でいられるのですが。

自己満足に終わったような気がしなくもありません・・・・

 

 

 

 


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