彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

結局、地方はホーチ

2015年05月21日 | Weblog
 復興予算が削られようとしている。国は地方負担をあからさまに表明し、他地域との公平性をちらつかせている。地方創生計画もそうだが、結局自分たちでなんとかしろということ。中央中心主義。米国の言うことには耳を傾け、予算をどんどんつぎ込む。地方の声は怖くないということか。

 普代村においても今後の道路整備に影響するのではないかと心配だ。

復興道路以外のグリーンロードへ繋がる道路や、他にも各地域で未整備のところは点在する。
それでなくても、地権者の交渉で進まないところが多くある。

普代村はまだいいほうだが、近隣沿岸の被災市町村にとっては深刻な問題となる。
その影響は、いろいろな形で普代村にも影響してくる。

 
 震災直後のあるサイトの書き込みでは、「被災地に金をかけるより、被災者は引っ越せばいい」「東北の田舎にかねをかけても経済には関係ない」と言うようなニュアンスのものが少なからずあった。

国もこんな発想ではないと思うが、結果的にはそんなに違いはない。

国は米国の国債(借金の肩代わり保有)を100兆円とも300兆円とも言われるほど保有していると言われている。
しかも毎年一定量を買い増ししているという。
この米国債を手放す発言をした総理もいた。
が、まもなく引退に追い込まれている。

 復興は、人命は、経済は、それを守るために「国」が存在するのではあ~りませんか?
「国」が他の国をうかがったり、自分たち政府の都合を優先するのは、結局は「国」の衰退になるようなものではないでしょうか。

 すべてはおそらく、政府の「緊縮財政」によるものでしょう。
「地方を助けるために国が破綻したらどうする」と言う声が、大企業、都会の住人の皆様から出ていたとしてもおかしくないと予想できます。

 「地方創生」も地方のケツをたたくための対策にしか思えません。
ものを買うための予算は出しませんといっている。こと、地域によっては格差が生じるといっていること。
予算を出すかどうかの評価は、国がしっかりと検証チェックする仕組みができている。こと。

地方のことは地方で知恵を絞ってください。と言いながら、結局は国が仕切る。
地方で必要だといっても、国がダメと言えばダメなんです。
上から目線は普天間の問題と代わりません。

これらを考えれば、予算を出さない体制と、格差を容認していると言うことは、結果を出さない自治体を政府が管理できる体制(強制合併など)の準備か。とも取れます。

 地方創生は、地方切り捨て対策にもなりかねなません。地方放置になります。
地方もなりたくて、こうなっているわけではないのです。
元をただせば、国の経済対策、創生対策の遅れや対策のズレが原因です。
国から言われなくても、これまでにも自治体はやってきています。
しかし、そこにはどうしても予算という壁も存在するのです。ここは国の問題です。
国の政策の失敗の責任を押し付けられた格好が、今の地方自治体の状況です。

自治体は今年度中に創生計画を作成しなさいと国から言われています。
今まで色々やってきて、新たに効果の出る計画が作成できるのか?
国はそれにどんな答えを出すのか見ものです。
地方を救うために本当に支援の姿勢を示すのか?
片方ではすでに、地方で負担しろと支援しない姿勢を見せられて地方創生になるのか?

最低限、復興を最後まで国が面倒をみることが「地方創生」の基礎になります。
それが国の役目です。
と、久慈出身の元衆議員議員だったら声を大にして言ってくれていたような気がします。

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