わたし、教育ママ in Sapporo

自称○○ほど怪しいものはない。札幌在住、自称教育ママが綴る教育の真髄とは!

引っ越し

2016-04-06 | 遊び
5年間で7回引っ越しをしたことがあります。結婚後の世帯合体や市内から市内のせこい引っ越しも含めてですが。

引っ越しという作業、物は片づくし、効率的にどれだけ荷物をまとめることができるか、そんなところにワクワクするので、引っ越し作業が大好きです。もう、私の中では引っ越しは遊びの一つです。引っ越し後の荷ほどき作業も、物がどのようにおさまっていくかとても楽しく感じられます。

でも、私は旅行が好きではないんです。旅行準備は好きなのですが、帰ってきた後の荷物の片づけが何とも苦痛…。引っ越しに比べたら少量だろうと思うかもしれませんが、そこにはダイナミックさ、新しさ、工夫の余地もなく、ただ、旅行で疲れた後に荷物が残り、しかも大抵増えて戻ることが多いとなると…。

やはり引っ越しはスケールが大きい!物のないところにどうセッティングしていくか、ゲームのような面白さを感じるように思います。

ここ5年間、定住生活になってしまい、家の模様替えでダイナミックなゲームを楽しんでいます。

かまってちゃん

2016-04-06 | 
昨年度は、かまってちゃんの存在を大いに感じる一年でした。

このかまってちゃんは、自分が注目されていないとだめらしく、かまってもらいたいがために、ありもしないことをでっちあげるのです…。○○さんが、ひどいんですとか、ありもしないことを言い続け、はじめはそうなのかなあと聞き手も思うらしいのですが、そのうち、かまってちゃんが明らかにおかしいと気づくのです。そして、結局、かまってちゃんは益々孤立していくのでした。

こちらとしては、仕事と自分の子どものことで手一杯。バイトする子育て中の母親なんて、職場に迷惑をかけないようにし、主婦としてもしっかりやらなければならないしで、自分が注目されたいなんてことを考える暇もないので、かまってちゃんに対しては、もうひたすら関わらず、無視です。

うちの隣人もおそらくかまってちゃんの一人。何か問題を自分で作りだしては、近所の人と接触しようとするのです。こんなことを繰り返していれば孤立するというのに、かまってちゃんたちはそれが分からない…。むしろ、普通にしていた方が人との交流はうまくいくんですけどね。

かまってちゃんのもう一つの特徴は、何か達成感のある仕事をさせると元気になるというところです。正直、私なんか楽して賃金をいただきたいと思うのですが、かまってちゃんは案外違ったりするのです。大きな役を与えるとよいのでしょうが、危なっかしくて現実には与えられないわけで、その辺の矛盾がさらなるかまって現象を悪化させるのでしょう…。

娘も高学年に突入。小学生女子の間でも、ウソをつくというのがそろそろ問題として見え始めてくる頃です。息子よりも娘の方がかまってちゃん要素があるので、かまってちゃんにならないようにどう接していったらよいか、考えてしまいます。

ピアノ

2016-04-06 | 音楽
娘のピアノの先生が転勤になり、急遽、別の先生を探すという作業に追われる年度末となりました。前の先生とは、娘のピアノを抜きにして、レッスン以外の話をよくしていたので、私もガーンだったのですが、悲しみに暮れる間もなく…。何しろ年度末なので、今の時期に動かないとレッスンが埋まってしまう可能性が高いもので。

娘の仲良しが習っているという先生はどうかなあと思ったのですが、仲良しの話では、レッスン中に怒鳴られることもあるとのことで…。私自身がピアノの先生は怒鳴る先生でした。レッスン中に間違いを指摘されても、すぐには直るわけないのに、直らないと怒鳴るという先生でした。そんな過去の経験から、怒鳴るとわかっていて、そこに飛び込むのはちょっとなあ。

そして、この1年間、先生に反抗的だったにも拘わらず、「やっぱり先生がいい…。」と娘。その後、すてきな先生方をご紹介いただくも、なかなか…。

ようやく、ここならば習おうかなあと思えるお教室が見つかり、ほっとしています。前の先生も新しい先生も大学生以上のお子さんのお母さん。新しい先生はピアノを無理やりやらせて音楽嫌いにさせないというポリシーをお持ちの方で、極論、家で練習しなくても、レッスン中に集中してくれればよいとのこと。私も練習しなさい!と言わずにすむようで、4月から穏やかな母になれそうです。

前の先生も新しい先生も、娘が遊ぶこと、運動することを喜んでくれ、人生の一部として音楽を楽しむことを教えて下さる先生と出会えて本当によかったと思います。

新しい先生のレッスンでは、色々指摘しても、「一度には全て直せるはずはないから、一つここだけは決めるぞ!というポイントを考えて弾いてごらん」と。(そうそう!そうなのよ。一週間間違って練習してきたところはすぐに直らないのよ。先生がそう言って下さるだけで、子どもがどれほど楽か。そして、いやいやではなく、意欲的に取り組めるのですよ)と子どもの頃の自分に戻って、そんなことを思いました。

劣等感

2016-03-24 | 子どもの成長
スパルタ塾に入れて、競争させることについて、親野智可等さんの記事を見つけました。

中学受験男子にはありがちなのですが、受験もゲーム感覚で乗り切ってしまいます。確かに合格しますし、その後のテスト人生はゲーム感覚でこなしてはいけるのでしょうが、このような方法で勉強をするのは虚しいなあと思います。

それ以上にお父さんの営業成績的な点数を棒グラフにして勉強させる方法は危険だと感じています。でも、パパたちは成績が数字で出るのが大好きな傾向があるんです。これは男性特有のものなんでしょうか。

私は夫より教育熱心で、子どもの習い事や受験などの支援をしますが、子どもの成績にあまり興味はありません。教育熱心ではないはずの夫の方が成績に拘るのには驚きです。学期末になると、夫は「成績表はいつ出るのか」と子どもに聞いたりしています。他方、私は学期末が成績表には結びつかず、ああ、また一言書いてハンコを押して返さなきゃとむしろ面倒なくらいだったりします。

そう言えば、実家でも父がやはり成績表を楽しみにしていたような気がします。成績表や偏差値を考え出したのも男性なのでしょうね。

さて、競争させるとよいかということについてですが、他者との競争を煽っても、劣等感、優劣感に翻弄されるようになるだけのように思います。他者と競う中には常に自己に打ち克つという発想が必要なのでしょうね。

小さい頃から息子はスポーツではだめだめで、頑張ってやることが目標、親も今回は最下位脱出だねと喜ぶような感じでした。それが、あるスポーツで勝つようになってからは、本人、勝って当たり前の状況に苦しむようになりました。今は、勝てるスポーツをするのではなく、自分が好きなスポーツをしたいと。好きなスポーツであれば、負けることなど何ともないそうです。

息子が結果を出していた頃よりも、断然、頑張ってやることが目標であった結果の出ない時期の方がずっと楽しかったなあと親の私も思うのでした。

遊びの中から生まれる運動能力

2016-03-09 | 遊び
スポーツに関するこんな記事を見つけました。

とはいえ、日本人は、一つのことをやり通すという考え方が主流で、そこからなかなか抜け出せないような気がします。このスポーツをやると決めたのに、子どもが途中で辞めたいと言い出したとしたら…。親として安易に辞めさせたら、きっと根性のない子に育ってしまうのではないかという不安がよぎってしまうのではないでしょうか。

でも、思えば、スポーツを〇〇道のように考えるからかもしれません。学校の体育では様々な競技を体験します。習い事でもスポーツという広い視野でとらえたら、何かしらのスポーツに取り組んでいれば、それは安易に辞めずに続けていることと同じと考えられます。

遊びの中から運動能力が育まれるという考え方もなかなか難しいですよね。私、マラソンなど継続的にしていて、体力に結構自信があった時期がありました。しかし、子どもと一緒に遊具などを使って遊んでみると…。情けないかな、全然体が動かないのです。体力と運動能力は違うのです~。マラソンしていても、冬道の転倒予防にはならないですね、きっと。