8月27日(金)
10時箕面の友人駐車場に集合して、知らなかった豊能町の摩崖仏を訪ねて、
箕面から山越え、北摂霊園を超えて、423号に合流したところが 摩崖仏のある所
最初なかなか分からず、元来た道を引き返し、会館で教えてもらい、
最初の摩崖仏 中の西 多尊石仏に、説明板の横に
光るのは 雲母とか
次に 西野多尊石仏
蕗の群生
次に 資材置き場の伯父さんに聞いた 納豆店へ
あと たぬきやぶ多尊摩崖仏を訪ねて 奥の径に分け入るもわからず、帰途
急遽 マリア仏の表示発見 確認に
ついに発見、佛教風、最後のキリシタンの夫婦の墓とか
見事な大木が時空を超えて
見落とした摩崖仏は、またの日に
帰りに、箕面の駅前通り、昨年からできたという中華店の隣、和風料理の店で、高級焼き鯖を味わう。
コロナ感染万全の清潔な店にて。
多尊仏について:
生前に自らの法事を修めて死後の極楽往生を願うという逆修(予修)信仰は平安時代から盛んになったが、室町時代末期に世が乱れ、人々は現世に絶望して死後の極楽往生を願うようになった。豊能町東地区には逆修講造立の多尊石仏や摩崖仏が多く、信仰心が根強く、阿弥陀如来を彫った特徴的な、我が町のブランド石である石英閃緑岩を使用した石像仏が各地区に造立されている。
7基あるのは(その他箕面市に2基、茨木市に1基)珍しく、全て永禄・天正年間に集中していて、国内でも多尊仏があるのは我が町だけである。約450年もずっと見守ってくれていて、永禄8年(1580)以降、造立されていないので世の中が落ち着いたかも知れないが、その2年後、永禄10年6月2日(1582)早朝に戦国時代最大の謎、明智光秀による織田信長に対しての謀反をおこし、襲撃した本能寺の変の事件が起こっている。
お問い合わせは:
豊能町観光協会 TEL072-739-3424
豊能町観光ボランティアガイドの会 TEL072-734-6758(AM)
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